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おくすりー。
と。
先輩と二人で企んだ茶目っ気は、最後の一発が花開く頃には全員での合唱になって。小薬さん本人もノリノリで楽しげに応えていたし、彼女お手製の花火は本当にすごかった。
夜の海中は黒々と。塗り潰されたその一面を裂いて、ぱっと眩く開花する。色とりどりの光の端には海を映した青が照っていて、海中に閉じ込められた刹那の花はぱちぱちと細かに分かれながらも、波に揺られて煙るように散った。
高校二年の夏休みも、案外充実するもので。大半はAudit10nEEとしての活動、というよりも伶くんとしての自主練習に費やしてきたけど。バーベキューにビーチバレー、海水浴に花火とか。先日のデート三連戦に引き続いて、取り零していた夏をまとめて拾い直すような合宿の日々。
そして、これもその一つ。
「――肝試し、ですわ」
夏の風物詩。というには少々、レアな行事かもしれない。
特にここまで気合いの入ったものは。
堂々とした風格と、垣間見える不安とを絶妙に同居させて。鼓舞しているのか脅かしているのかわからないきりりと引き結んだ表情で、撫子さんは皆を見渡した。その背後には、『清正院学園高等部生徒会夏合宿 〜最恐お化け決定戦〜』のおどろおどろしい看板が一つ。
いや、うん。そんなタイトルつけたらそれはもう、肝試しじゃなくてお化け側の腕試しだけども。
「コースは一周十五分程度。二人一組で回ってもらうので、制作側ですけれど仕乃にも参加してもらいます。各組は五分の間を空けてスタート。コース自体は一本道になっているから迷うこともありませんし、無事ゴールに辿り着ければそれでクリアですわ。……ここまでは簡単ですけれど」
看板下のシンプルなルールを示すと、彼女の指はそのままするりと、一枚のシールを取り上げる。
「皆様にはこちらの心拍計で、度胸を測っていただきます」
嫋やかな指に挟まれるのは、ハート型の薄手のシール。
表面には、淡く映った「79」の数字。78、また79、80と、時間と共に数字は変化して。数字を取り囲む円はととん、ときっと、撫子さんの鼓動と同じリズムで脈を打つ。シールを持った彼女の腕には柔らかな素材のリストバンドが着けられていて、同じものがそれぞれに配られる。
「メインの計測はこちらのリストバンドで行いますが、補助としてシールも併用します。首元の……この辺りで計測できるので、着用をお願いしますわ。鼓動が大きく動いたらその分怖がっていたと判定されますし、ペアの驚き具合に応じてホラー演出が調整されますから、苦手な方も安心ですわね」
とんとん、と首筋を叩いた彼女は、そこにぴとりとシールを貼り付ける。多分位置が合ってる証だろう、表示された数字は短く点滅して、ピピピとリストバンドから小さく音が響いた。
いや。いやいや。
別にあらためて確認するまでもないタイトルだけど、『清正院学園高等部生徒会夏合宿 〜最恐お化け決定戦〜』なんてそれはもう、この合宿のためだけに作られたコースだよね? の上で驚き具合に応じてホラー演出調整とか、どれだけこだわられてるのか。ほんと会議で落とさなくてよかったし、何ならいっそAudit10nEEの企画としてやりたいくらいなんだけど。
ちらと目を遣った梅園さんは、澄ました顔で撫子さんを見守っている。どうも企画詳細や準備を含め、この肝試しの企画を取り仕切ったのが彼女らしい。底知れない感じがあるとは思っていたけど、あらためてその有能さが窺い知れる。
「もちろん。ただ測るだけでは意味はありません。これもまた、勝負です。一周目はランダムにペアが組まれるので、演出次第で難易度は変わりますがそれは悪しからず。そして、――」
ととん、と撫子さんの首筋で、鼓動はまた一つ加速した。皆を見渡したその瞳が、こちらと合う。
「一周目で度胸を測った結果、最も肝が据わっていると判断された四名の方には、決勝トーナメントに出場していただきます。――お化け役として、互いをドキドキさせていただきますわ」
「…………」
なるほど。だから、最強お化け決定戦。
■
「……それでまさか、一周目があなたとだとは思わなかったけれど」
「それ、私の台詞です」
本当に。一周目のペアはランダムだとか言っていたけど、たぶん本当にそうなんだと思う。これで桜条さんが澪ちゃんと組んだりしてたらきっと不正を疑ってたけど。私なら、そうできるならするだろうし。
でも。桜条さんとペアになるのも、それならそれで悪くない。自分の臆病さ加減はわかってるつもりだし、ただ純粋な肝試しだと、度胸勝負で私に勝ち目はないだろう。でも、桜条さんと張り合うというなら。
「……これって、もう計測始まってるんですか?」
「ええ、この段階から始まっているはずよ」
十五分くらいかかるという、私にとっては長く感じる肝試しのコース。潜った入り口の先にはしばらくまっすぐ、明るくライトで照らされた通路が続いていて、向こう側の曲がり角までは意味深な暗がりの一つもない。だからまだ、足が竦んだりもしていない。
だから。そうですか、と相槌を打って、たった二歩。
仕掛けるのなら、今のうち。
「決勝戦なんて建前で、ほんとは澪ちゃんとドキドキする時間がほしかっただけですよね」
「……」
不意を打つために一息に。ついでに足も止めたら、桜条さんは何も言わずに振り返った。
「ふふ、……動揺がわかるのって、結構面白いですね」
心拍数。こうしてリアルタイムで見てみると、思ってたよりも揺れ動くものだけど。それでも明らかに跳ねたなってわかる、数字の動き。なのに。
そんな変化を少しも表に出さずに、彼女は堂々と。
「当然でしょう。私はあの子と恋するためなら、全力でやるわ。なんだって」
「……」
とくとくと。高鳴りを示すように、彼女の数字は少し速まったまま。
「あの子なら決勝トーナメントに残るでしょうし、私も当然残ってみせる。……花糸さんこそ、わざわざそんなことを話題に出すのは、勝てる自信がないからでしょう」
「……そうですよ?」
どきりと。図星を突かれた分を逃がすために肯定してみても、きっと数字は動いたと思う。でもそんなので揺れていられない。わかってる。きっと負けてしまう。普通にやったって勝てやしない。だからわざわざ、こんな盤外戦術みたいなことをしてるのだ。
「私だって同じ。澪ちゃんを、絶対取られたくない。私が、……私の気持ちが、あなたたちに負けてるなんて少しも思いません」
「当然ね。少しでも負けてると思うのなら、さっさと諦めてもらうもの」
「だからっ、……絶対負けたくないから、こんなことだって言います」
動揺したくない。感情を昂ぶらせたくない。その分鼓動は動いてしまう。でもやっぱり、思ってしまう。考えてしまう。そもそもだって、ずるい企画だ。肝試しなんて私が不利に決まってる。だからこそそんな提案したんだろうけど。それもきっと、桜条さんの全力なんだろうけど。
ああ。これじゃ、負けちゃう。
「私があなたなら、絶対はじめから、結果を操作して澪ちゃんと一緒に回れるようにします……っ! それくらいの覚悟もないのに全力ですか? なんでもやるとか言ってるんですか?」
「ええ」
間髪入れずに、動揺せずに。むしろ桜条さんの心拍は落ち着いていく、――
と。
「――ひっ」
ばん、と急に、真っ暗になった。思わず息を呑んで。けど、目の前の暗闇に淡く光るハートは、少しも数値を乱さない。
淡々と。桜条さんは、言葉を続ける。
「絶対勝てるから、必要ない。この程度で負けるなら、私は澪を追ったりしない」
「…………っ」
悔しい。こんな程度で怖くなるのが。お化けも、暗闇も。何より、彼女に負けるのも。
「ほら。…………手くらいは繋いであげるから。五分経ったら次が来るから、先へ進むしかないでしょう」
「……っべつに、……平気です」
悔しい。順路を示すためだろう、足下をぼんやり照らし始めたライトが、恐怖で滲んで見えるのも。差し出された手を拒むことさえ、ぎゅっと勇気が要ることも。
それでも。私だって澪ちゃんが好きで。絶対に諦めたくなくて。だから一人で足を出す。追い越して、先へ進んでみせる。
「……得手不得手はあるでしょうに」
溜め息混じりの桜条さんの言葉は、でも怒ってるというより、呆れているというよりも、ちょっとだけ嬉しそうな気もした。
今も歩いてて鼓動は揺れるし。影でなにかが動く度。
「っ、……」
びくりと、声が上がりそうになるし。
多分、勝てはしないけど。
「怖いなら、リタイアもできるわよ」
「……い、……りません」
そう。私は臆病で、怖がりだから。
澪ちゃんを諦める方が、澪ちゃんを誰かに取られる方が、ずっと怖いから。
「私も、……っぜったい、負けません」
もっと足を踏み出して、大胆に動こう。どれだけ勇気が要るとしても。とっても怖いことだとしても。
私は、澪ちゃんのことが好きだから。