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074 -花火と花火-


 *



「え!? リリリ様のお手製花火!? いいの!?」

「まぁ一応、仕乃たちを通して色々検査は行ってもらったから。安全確保の為に打ち上げ位置とか、観覧位置も決めさせてもらったけど」

「ぜんぜん! いいよ!! やった、ひゃははっ!! やったぁ!! リリリ様がんばったから、うれしいよぉ」

 ありがと、桜条先輩ちゃんサマ、と。

 普段は生意気さ全開の後輩の、無邪気な笑顔に悪い気はしない。流石に観覧者が海に潜ったりとかは危険すぎるから却下ではあれど、一応海中花火も問題ないそうだ。どういう理屈か爆発とかを使っていないようで、周囲の生態系へも影響は想定されないらしい。ホログラムとかとも違うようだからもう素人にはよくわからない。その辺りは、検証を頑張ってくれた専門家の皆さんの結論を信じるけれど。

「手持ち花火とかの用意もあるので、まずはそちらから皆でやりましょうか」

「うんっ!」

 澪が手にしているのは、初めて見るタイプの花火セット。一応スーパーとかコンビニで売られていて、家庭でやる花火はこういうものが一般的らしい。これまでの人生で花火といえば、ごった返す人混みを遠くに、毎年同じ場所からぼんやり眺めるか、パーティーとか式典とか海外で、風情というより派手さ重視のそれを洋間のシャンデリアを見るくらいの気持ちで眺めるか。その程度のものだったのだけど。

「え、ええと……手に持っていいの? これは」

「はい、あ、それ持ち手が逆ですね。ここに火を点けるんですけど割とすぐ勢いが増すので、一応ロウソクからすぐ離れて、人に向けずに持ってください」

「わ、わかったわ」

 誰か先にやってみせればいいものを。こういうのは初めてだと明かすと全員が興味津々で見守りモードに変わり、仕乃も特段口を出さずににこにこと。ええいいでしょう、別に曲芸を披露するわけでもなし。

「い、……いくわよ」

 火を移す。急いでロウソクから先をずらすと、それこそ思ってたよりも早くにしゅぱあ、と眩しい光が噴き出し始め。オレンジのそれはすぐに緑色に変わって、もうもうと煙と火薬の匂い。音がこんなにするなんて思わなくて、暗闇の中でその光は随分眩しく思えて、手を動かすと光の軌道が、しゅわわという独特の音が夏の夜気の中、宙を踊る。

「撫子さん!」

「え?」

 呼ばれて目を向ければ、澪の持つ花火がぐるりと円を描く。それから器用に一筆書きに、星。光の軌跡は一瞬で消えていくけど、網膜に眩しく残る分、描かれたものはちゃんとわかった。それに目を奪われるうち、そういえば三色と描かれていた手持ち花火は、気付けば赤に変わっている。

「――澪!」

 夜空に咲く花火もたった一瞬の芸術だけど。手に持つ花火も時間との追いかけっこだとわかる。そんなに長くはもたないペース。一瞬というほど刹那的でもないけれど。でも。それは初めての経験に昂揚する心を何倍にも加速させて、だから勢いのままに手を動かせた。呼んだ彼女がこちらを向いた。

 こうすればいけるか。手を下の中央に持っていって、斜め右上に持ち上げて、十分上がったら左に折れながら半円を。つまりハートを描く。描いてしまう。多分皆が見てるけど。

「あっ、……」

 と。描きかけたところでしゅ、と花火が沈黙する。手元には夜の闇と、周囲の光たちに照らされる煙と、まだ熱を宿した花火の残骸。

 途端ぶわっと羞恥も浮かぶ。いえま、あれだけ描けていればきっと澪だってわかったでしょうけど。煙と夜とが切り裂いて、他の光が鮮やかな中では当然彼女の表情はわからない。案外に皆こっちを見ていなかったのか、後輩たちははしゃぎ回っているし、花糸さんも犬伏先輩もそれぞれ花火を持っているよう。

 い、いえまぁ。思わずノリでやってしまっただけだし。思いながら澪を見たら、ちょうど花火が終わるところで。

「…………」

 とん、と胸が鳴った。

 ただの、気のせいかもだけど。

 澪の花火が最後に描いたのは、私の描きかけ、七割のハート、その残り。斜めに下ろすような素振りのそれだけで、とくりと胸が鳴って。

 手に花火を持つというのは、心に火を灯す感じにも似てる、なんて。そんな曖昧でロマンチックが過多な考えが浮かんだり。

「え、と。終わったら、このバケツ、です」

「……うん」

 とくとくと鳴る胸。なんかぎこちない澪の声。示された通り、バケツに棒になった花火を差し込めば、きっとどこかに残っていた火の存在を教えるように、小さくじゅっと音がした。



 ■



 面白そう。

 それだけの理由で参加した、完全部外者の合宿だったけれど。

「先輩」

「うん?」

 市販品の花火は十分に楽しんだ頃合い。線香花火が妙に短くてやや凹み気味だった撫子くんも、いよいよリリくんが自作したという水中花火の段になり、梅園さんたちと打ち合わせを進めている。かすみくんはカレーの傍らで作っていたというデザートを取りに戻っているところで。

 だから朝ぶりに、澪くんと二人きりのような時間。

「楽しんでますか?」

「あはは。それ、どっちかって言えば年上側から訊いた方がよさそうだね」

「一応、体裁上は生徒会としての合宿で、私はその会長ですから」

「ふふ……楽しんでるよ。お世辞抜きで」

「だと思いました」

 澪くんにしてはすこし茶目っ気のある答えに、またからからと笑顔を返す。

 本当に。

 ただ面白そう、という期待に応えてくれただけではなく。完全部外者、だからこそ。

「新鮮なんだ。私に興味がない人たちの中で過ごすの」

「……興味ない、ですか?」

「いい意味でだよ。行動とか、期待されすぎない、って言えばいいのかな」

「…………なるほど?」

 撫子くんとかかすみくんが、普段どうかはわからないけど。学園でのほとんどの時間は、ファンサービスのようなもの。別にそれが嫌なわけではないけれど。例えばすこし自分を出して、欲や弱みを見せてしまうと、大体の場合はなんだか変な、勘違い、をさせてしまう。

「それこそ、アイドルとしてならわかるんじゃない?」

「あー……」

 ちらり、と背後を確かめて。後輩たち皆の気配が十分遠いことを確かめると、一つの頷きが返る。

「別に嫌というわけではない、というか……そこはむしろ、自分でそういうイメージとか作りにいっているのは先輩と違うかもですけど。ただ、気を抜けないのはわかります」

「ふふ、……伶くんが素を見せたら、何人も恋に落としてしまいそうだね」

 そうでなくとも、恋の夢を何人にだって見せているだろうし。

「う、うーん……ブランディング的にどうでしょう。いやどういう素かにもよるかもですし、そこも計算ずくならあれですけど、……私、素はこんな感じですから」

「うん。……多分、破壊力はすごいと思う」

 と。言いながらもぼんやりと、思考が巡る。

 恋をする、というのがどんな感覚か。あのデートの日からの何度目かの思考を、また反芻する。

 かすみくんは。澪くんの一番になりたいと言っていた。

 その字面だけなら理解できる。私にとってのそれは例えば、皆で並んで走っている時に、先頭で走れば楽しいだとか、相対した強豪選手の手の内を見極めて、よりスリリングな勝利を掴んだりとか。そういう方向になってしまうから、そこがかすみくんとは全然違うのだけど。

 素を見せる、というのもその延長なんだろうか。それを許されるくらい近い相手になれたと、そう思えてしまえるから? だから皆、ちょっと気を抜くと告白という選択肢が出てくるんだろうか。

 もちろん仮説でしかないし、人それぞれ、ケースバイケース。なんだろう。でもその一ケースすらもまだ実感のない私だと、考えてみる価値はある。

 つまり。

 私が澪くんの、一番になりたいと思うのか。澪くんが私の、一番だと感じるのか。

「……………………どうだろう」

「はい?」

 一番に心を許す関係。どこまでを? 澪くんには随分色々話したように思うけど。心の中心までには大きな川でも流れているような、それか谷でも渡っているような。地続きじゃない断絶の感じ。そんなところまで本当に、人は人を招き入れたりするんだろうか。

 こんな夏の夜でさえ、潮風の冷たさを肌が感じるような。そんな感覚がふと足下から駆け上がる。そこに誰かが踏み込んでくる、と思うと全然想像がつかない。足下がすごく狭くなったような。いっそかすみくんのように、無遠慮に槍でも突き立ててくれた方が、中心まで届くと思えさえするような。

「先輩は」

 はっとする。

 瞬きをすると、夜の海辺が飛び込んできて。澪くんの瞳は、皆の方を眺めていた。

「……うーん…………」

 逡巡するような声。遅れて私も苦笑する。

「ああ、ごめん……ちょっと考えごとに没頭しすぎたみたいだね」

 別に。何かを差し伸べてくれたりだとか、解決策とか。そういう話ではないと示したい。余計なことは必要ない。と。やっぱりそんなことを思ってしまう。自分から勝手に思考を巡らせたくせに、失礼な話だけど。

「その、先輩」

「うん」

 まぁきっと。澪くんなら別に、見逃したりはしないだろうと、わかってはいたけど。

「私、姉なんです」

「…………うん?」

「ええと……その。花火の時って、大体近所の河川敷に出て、妹弟を連れて見に行くんですよ」

 脈絡のない話にぱちりと瞬きをして、とりあえず続きを聞いてみる。

「で。結構この年になると恥ずかしいんですけど。一番下の妹がまだ小さくて、一緒に言おうってすごくせがんでくるので、……ほら、たまやーとかっていうあれ、叫ぶんです。結構な声量で」

「……大分意外な光景だね」

 家族と一緒なら間違いなく、澪くんとしてだろうし。

「で。言ってみたらすごく恥ずかしくはあるんですけど、……案外花火を見に出てる人で、言う人も時々はいたりして。なんていうか、……海にバカヤローって叫ぶやつ、こういう気持ちなのかなとか、思うんですよね」

「……つまり。お誘いということかな?」

「はい。あの、……私たち二人だけでもいいんで。叫びましょうか」

「ふっ…………ふふふ、あはははは!」

 ああ、つまり。そういうことだ。

「いい、……ふふっ、いいよ! やろうそれ!」

 ほんとに、なんだかすごく婉曲だけど、多分澪くんなりに思い遣ってくれてるんだろうし。それも角度が不思議なもので、でも嫌な感覚はあんまりなくて。

「ええと、……でもこの場合って、製作者を考えるとおくすりー……とかになるんですかね」

「あはははははははっ!! ふっ、お、おなかいたい……ぜ、ぜったい皆と打ち合わせないで二人で言お、あははっ、……ぜったいおもしろい……あははははは!」

 いや、もう。

 ほんと澪くんは、最高だ。


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