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No.40 第16話『証拠』-1



例えば私が彼女の心を深く理解してあげていたら、こんなことにはならなかったのかもしれない。

それどころか、私が彼女の前に現れなければ、彼女はもっと良い未来を歩めたのかもしれない。


私が仕出かしたことは罪でしかないのだと、振り返って改めて思い至った。




第16話『証拠』




「これが……橘さんに助けられるまでに起こった、全ての出来事です」

「……。」


橘さんが自分の右手へ消息液をかけている途中、今まであった出来事の経緯を話し終える。


私を庇った時に負った切り傷だ。

せめて私に手当てさせてほしいと包帯を取り出せば、火傷……と一言だけで制止させられて包帯を奪われる。


お前の両手は火傷で大怪我、大人しくしてろ、自分で出来る。

そう視線で表現されて、思わず眉尻が垂れ下がった。

テキパキと片手だけで包帯を巻き始める橘さんを見て、改めて思ったことを口にする。


「…本当に、迷惑ばかりかけて……本当に本当に、申し訳ございませんでした」


両手をカーペットに付き、深く頭を下げて謝罪する。

橘さんだけじゃない。南くんや谷さん、他の親しい方々にまで危険が及ぶような迷惑をかけた。


こんな簡単な謝罪だけじゃ到底許されない。

ぐっと両目を瞑り、どうすればお詫びになるのかを必死に考える。


私が経緯を話し始めてからほとんど沈黙を続けていた橘さんが、落ち着いた様子で…大きく息を吸ってから口を開いた。


「……お前が謝る必要のある人間って、どこにいんの?」

「……え?」


驚いて、両目を見開いて顔を上げる。

質問の意図がわからずポカーンと口を開けていたら、包帯を巻き終えた橘さんが私を見据えた状態で、再度同じ内容を繰り返した。


「お前が謝る必要のあるやつ、どこにいんの」

「へ…?あ、ま、まずは…橘さ」

「俺はお前に助けてくれって言われた覚えはない」


はっきりと、言い切るように放たれた言葉を耳にして固まる。

え?え?と動揺しながら口を開こうとした刹那、私の声を掻き消すように話を続けられた。


「勝手に助けて、勝手に首突っ込んで、勝手に危ない目に合った。お前のこと無視していくらでも回避する方法はあったし、お前は俺のこと関係ないって巻き込まねェようにしてた」

「で、でも…南くんや谷さん達まで」

「……あいつらは俺のために助けてくれた。お前の所為でってよりは俺の所為で巻き込まれてる。お前が謝る必要はねェよ」


あいつらに関しては、無傷で脱出出来たしな。


そうほっと息を吐き出しながら呟いた橘さんを見て、先ほど施設に帰ってから私の自宅まですぐに戻って来た彼を思い出す。

あいつら全員無事だったと、あまり笑ったりしない橘さんが安心したような笑顔で報告してくれた時、全身の力が抜けて玄関にへたり込んだ。


橘さんからの報告を待っている間、本当に生きた心地がしなかった。

どうか全員無事でいてと祈ることしか出来ず、自分の無力さや馬鹿さ加減を思い知った。


昔の私と、何1つ変わってなんかいない。

無力で、考えなしで、周りを巻き込んで傷つけて……本当に、何1つ変わってなんかいないじゃない。


「私は……彼女を死なせました」


ポツリ、小さく発したはずの言葉が、やけに大きく聞こえて部屋の中を木霊しているように感じる。

橘さんの前に置いてある麦茶の氷が溶けて、カラン…と響いたガラスの音ですら、大きく鳴り響いているように感じた。


「……私の所為で、彼女は……死にました」

「……。」


これだけは紛れもない事実だ。


私の所為で辛い思いをさせて、そればかりか命まで失った。

あんな悲惨な最後を迎えたのは…全部全部、私の所為だ。


「ッ…本当に、私は、取り返しのつかないことを……」


ぐっと握った両手が震え始めて、拳の上に水滴が落ちる。

その生暖かい水滴を手の甲で感じながら歯を食いしばった時……橘さんから、思いも寄らない言葉が返ってきた。


「……ああ、まあそうだな」


取り返しのつかないことにならなくて良かった。


そう、返事をされた瞬間、橘さんが言った返答の意味がわからなかった。


取り返しのつかないことにならなくて良かった?

私が取り返しのつかないことをした、ではなく?


「……。」

「どういう意味だって顔してんな」


私とは全く真逆の感想を述べた橘さんに、伏せていた目線を向ける。

涙で視界が歪んで相手の表情が見え辛い中、低い声で、私へ断言するように橘さんが言い放った。


「死んだのが八って遊女で良かったって言ったんだよ」

「ッ…?!」


ぞわっと、全身の毛が逆立つような感覚に陥る。

こんなことを言える立場なんかじゃない。それは十分わかっているのに、これだけはどうしても叫びたかった。


「撤回してください!!今の発言は!ッ…絶対に!間違っています!!」

「いーや、俺の本心だし、間違ってないね。撤回なんてしない」

「ッ…!橘さんは!彼女が死んで良かったって思うんですか?!」

「そいつが死んだことに関しては自業自得だろ。お前が散々手助けしようとしたこと裏切って、挙句にお前の頭殴って囮にして?救いようがねェし、お前が死なずに済んだのが奇跡だろ。現状、全部丸く収まったと俺は思うね」


ソファに座っている橘さんが、呆れたような目でカーペットにいる私のことを見下ろす。

裸で首を吊られている彼女を助けようとしたあの時の彼とは大違いで、冷たい視線に喉の奥がぐっと締め付けられた。


「わ、私が…彼女に脱出計画を、持ち掛け…ッなければ、こんな、ことには…!」

「お前を端から通報することも、お前の計画に乗ることも、お前を騙して利用することも…全部向こうに選択権があった。お前はただ提案しただけ。そいつが選んだ道で失敗した、それだけだろ」

「彼女が、ッ…死んで、よかったなんて…言わないで、ください!」

「自業自得で死んだ奴のことなんかどうでもいい」

「どうして!う゛ッ…そんな…ッ、ひどいこと…」


私のことを命懸けで助けてくれた優しい彼の口から、予想もしていなかった答えが返って来て身体が震える。


悲惨な死に方をした彼女に対して、こんなことを言う人ではないと思っていたからなのか。

それとも、私が悪かったと正面から責めてくれなかったからなのか…


どんな感情から来るものなのかはわからないけど、とにかくショックが大きくて溢れ出す涙が止まらなかった。


私は橘さんを責めて良い立場でも、涙を流して悲しんで良い立場でもない。

頭ではわかっているはずなのに、次から次へと両目から溢れてくるものが震える手の甲へと降り注ぐ。


手を伝って落ちた雫がロングスカートにも染みを広げていて、それがわかっているのにティッシュへ手を伸ばすことすら出来なかった。


優しいはずの橘さんが、今になって…何を考えているのかわからない。

冷たい、怖い印象すら抱く。

震える手で何とか自分の涙を拭って、再び橘さんへと視線を戻した。


冷めた表情で私を見下ろしていた橘さんが、上を向いて大きく息を吸い、今度は首を下げてはあっと溜息をつく。


私へ視線を戻しては、また一瞬逸らして考え込み、何かを伝えようと口を開いては、また閉じて考え込む。

お互いに気まずい沈黙が数秒流れた後、先に声を発したのは、橘さんの方からだった。



「……俺は、お前が怖い」

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