最初は小さかった雨粒が大きくなりかけた頃、約束した公園へと到着して辺りを見回す。
公園の入り口から真っすぐ進んだ突き当たりで左右を確認すると、すぐにシオンの姿を発見した。
百日紅の木が並ぶ場所、唯一その真下に設置されている木製のベンチ。
真上で咲き誇る白い花のお陰で少しは雨を凌げていたんだろう。
座って待っていたシオンが、俺の姿を発見してすぐに立ち上がり駆け寄ろうとしてきた。
「橘さ…!」
「いい、俺が行く!濡れるからそこで待ってろ!」
俺の声を聞いて大人しくその場で立ち止まったは良いものの、運悪く木から落ちてきた雫で顔面をひどく濡らしている。
にもかかわらず、濡れた本人はそんなことを一切気にしていないようで、顏も拭わず深刻な表情でこちらを見つめ続けていた。
俺が目の前に着いてすぐさま傘を差し出せば、橘さんが濡れてしまいます、と首を左右に振られる。
シオンの性格上、ここで傘を押し付けても受け入れないことはもう十分わかっていた。
仕方なく小さな傘へ一緒に入る素振りを見せる。
思った通りそれなら納得したようで、大人しく俺の左側に入り近くから問いかけてきた。
「何か、聞きたいことでもありましたか?わからないこととか」
「落ち着け、大丈夫だ。もう聴取は終わってる」
気を張っていて一向に自分で拭おうとしないシオンの顔面を、代わりに右腕を伸ばしてパーカーの袖で拭ってやる。
今さっき思い切り濡れたことさえも忘れていたのか、あ……と小さく我に返ったように呟いて、慌てた様子で自分の左腕を伸ばし拭っていた。
「…情報は全部吐かせた。説明するからとりあえず雨の凌げるとこで、誰もいねェ場所に…」
「ここでは駄目ですか?」
包帯を巻いている手の代わりに真っすぐ顔の向きで示されたのは、さっきまでシオンが座っていた木製のベンチ。
生い茂る百日紅の葉と花のお陰で少しは雨を凌げてはいるが、完全な屋根があるわけではない。
そんな場所で小型カメラを出して説明するとなると、どうしても傘は差しっぱなしになる。
小型カメラが水に濡れる可能性のことを考えれば、ここは面倒だが場所を移動した方が良いだろう。
「ここから距離はあるが、完全に雨が凌げるところへ移動した方が…」
「どうしても、今すぐ確認したいんです」
ぐっと我慢していた感情が溢れ出しそうになったのか、一瞬だけシオンの声が震えて聞こえる。
俯く相手の顔を少し頭を下げて覗き込めば、歯を食い縛って何かに堪えている表情が少しだけ見えた。
「移動する時間がもったいないです……どうしても…ッ、今すぐ、お願いします」
「……。」
ああ、こいつが今すぐ確認したいのは……
自分の胸ポケットに触れて、数秒沈黙しながら考える。
倉庫で確認した、八という遊女の最期の映像。
シオンを気絶させ、その後どのような行動をとったのか、全てが映されていた。
ジュンイチと呼ばれていた男が、どんな風に八を苦しめて殺したのかも……
自然と眉間に皺が寄り、本当にこいつへ全部見せて良いのかを悩む。
シオンの部屋で見た大量の梨が頭に浮かんだ刹那、やっぱり全ては見せるべきじゃないと悟った。
こいつの八に対する思い入れようは、どこか家族に対する愛と近いように思う。
どうしてそこまで想えるのかは理解出来ないが、家族のように想っていた相手が殺される辛さくらいは想像できる。
そしてその想っている人間がどのように死んでいったのか、知りたいと思う感情も……
しばらく考えた後に、シオンの背中を押してベンチの方へと誘導する。
比較的まだ濡れていない方へ座らせて、その隣に傘を差したまま腰を下ろした。
「……俺は向こうで全部確認してる」
「え…?」
胸ポケットから小型カメラを取り出して、中の画面部分を見ながら呟く。
握っている左手の傘に自然と力が入って、胸糞悪い感情を無理やり抑え込んだ。
「おそらく八って女がお前を気絶させた直後からの映像だ。息絶えるまでのことが全部映ってた」
「全部……」
「途中までは映像でお前に見せる。けど八が殺される部分は……何が起こっていたのか俺が口頭で説明する」
「で、でも……橘さん、私はッ…」
「俺がちゃんと記憶してる。事細かく説明する。だから……」
殺される時の映像は、見ない方が良い。
そう眉を寄せて囁いた瞬間、シオンがくしゃくしゃに表情を歪ませる。
気を張って抑え込んでいたものが一気に溢れ出したのか、姿勢を前屈みにさせて両手で顔を覆い始めた。
「…シオン、包帯濡らすな」
両手に巻かれた包帯が涙で濡れる前に、俺の右腕を無理やり目元へ差し込んで頭を抱えてやる。
正面を向いていた状態から向きを変えて、俺の肩近くで嗚咽を漏らし始めたシオンが、本当にごめんなさいと何度も謝罪を繰り返していた。
「……。」
始めは八に対しての謝罪だと思った。
それについてはもうお前の所為で死んだんじゃないと断言出来る。
はっきり言ってやろうと口を開きかけた時、小さく小さく俺の名前を繰り返しているのが僅かに聞こえた。
「橘、さ…ッ、ごめ、なさ……」
「……。」
俺にばかり負担をかけさせていると、途切れ途切れに伝えられた瞬間、胸の辺りがぎゅっと痛くなる。
俺がいなければこいつは全てを背負う気だったのかと思うと、言い表しようのない不思議な感情が湧き起こった。
「シオン…」
「う゛ッ…ごめ、なさ…」
「……。」
守ってやりたい。
小さいくせに無茶ばかりして、弱いくせに人を助けようとして、怖いくせに強い奴へ立ち向かおうとして…
「謝るな…俺は平気だから」
「ッ…橘さ」
「俺のことはもっと頼れ。大丈夫だから」
危険な中1人で頑張ってきたこいつを、俺が出来るだけ守ってやりたいと思った。
自分よりも他人を優先してしまうこいつを、俺が誰よりも守ってやりたいと…強く強く、そう思った。