今朝第5エリアで起こっていた件について、詳しい事情を説明しながらミカンの皮を剥く。
久々に食べるミカンを自分の口へ入れる前にシオンの口へ放り込んでいたら、ほら母性…と聞こえるか聞こえないかくらいの声で呟かれた。
ギロッと睨みを利かせて、両手使えねェんだから黙って口開けて食ってろ、と示せば、大人しく両目を閉じてマヌケ面で大口を開け始める。
スズメの餌やりを彷彿とさせながら2つ目のミカンを口に放り込んでやって、3つ目でやっと自分の口へと運んだ。
「お前はどう思う?」
「……すみません。そもそも子どもの遺体がそんなに多かったなんて…今まで現状を知らずにいました。だから的外れなことを言ってしまうかもなんですが」
「大丈夫。もう無知だとか罵らねェよ。何でも思ったこと言ってくれ」
「……これは教科書で習ったことの1つなので、本当にあるかどうかはわかりませんし、嘘の可能性も高いんですが…」
本来あるはずの『親子プログラム』が正常に作動した、ということは考えられませんか?
そう真剣な眼差しで問われた内容に、全く理解が出来ず反応が遅れる。
何度頭の中で質問されたことを繰り返しても意味がわからず、仕方なくオウム返しをした。
「親子プログラム??」
「はい…乳幼児施設から5歳男児を移動させる際、戸籍上の父親や兄弟が生存している施設へ移送する……つまり下流階級の施設で親子共に暮らすことが出来るシステムです」
「何だそれ…?」
「橘さんが知らないってことはやっぱりないんですね、そんなシステム……これも嘘でしたか」
「家族で…暮らせる、システム…」
「教科書は嘘ばっかりです。橘さんがここに初めて来て下さった時まで、私はてっきり…施設では下流階級の殿方が家族で暮らしているものだとばかり思っていました。何よりも優先して助けるべくは花街に移送される遊女達だと考えて、それで…」
途中で口を閉じたシオンが、膝の上に乗せていたリンゴを右手の人差し指だけで優しく撫でる。
痛ましい包帯の手と切なげな表情を見て、数秒迷った後に膝からそれを奪い取った。
これは俺のために用意してくれた物だろと表現するように、皮も剥かずそのままリンゴを齧る。
負の感情を食べながら左手ではシオンの口にミカンを運び、器用に餌付けをしていると、ふふっと柔らかい表情で微笑まれた。
「もう大丈夫ですよ、橘さん」
「…何が?」
「もう私は大丈夫です。私には橘さんがいますから」
「……あっそ」
「ふふっ、ほんとに橘さんは優しいお母さんですねー。南くんや藤さんにもこんな感じなんですか?」
「だから、母親じゃねェっつーの。南と藤には………南、と……藤、は……」
「…?橘さん?」
「……シオン」
さっきの言ってたシステム…本当にあるかもしれねェ。
そう発した俺の声を聞いて、シオンがこれでもかというくらい大きく目を見開く。
パクパクと口を開閉させた後に選んで返された言葉は、かなり冷静なものだった。
「橘さんが、そう思われた根拠は…?」
「藤と南は、本当に血の繋がった兄弟だ」
一瞬驚き、希望を見出したような声色で、藤さんと南くんが…と小さく零す。
その後にした表情は、地中深くで光を見つけた探検家のようだった。
「…あんま期待すんなよ。それ以外の奴らで血の繋がってる奴なんか見たことねェから…」
「でも希望はありますよ!藤さん南くん兄弟が、本来あるはずのシステムが正常に稼働した例だと考えるなら、このシステムを意図的に妨害している人間がいる…って考えられませんか?」
「妨害ねえ…」
端からシステム自体がない可能性の方が高いだろ…妨害してる人間がいる根拠もねェし…
全部憶測の域を出ないシオンの話に少しだけ眉を顰める。
目を若干キラキラさせながら話を続けるから、どうしたもんかと軽く溜息をついた。
「そしてこの止められているシステムを復活させることが出来たら、子どもの生存率はかなり高くなると思うんです」
「……それはどうだか」
「何でそこは胸を張らないんですか!あなた方が実際の成功例でしょう?」
「…?」
「藤さん南くん兄弟や、血は繋がってませんが谷さん橘さんのような家族関係が築けられれば、施設に移送された幼児が生き残る確率は高まります!」
「……可能性は」
「ゼロじゃないですよね!だって実際に、橘さんも含めて子ども達3人は生き残ってるじゃないですか!谷さんという父親の元で!でしょう?!」
「……。」
全否定は出来ないが可能性の低い希望に、2度目の溜息が出そうになる。
出かかったものを無理やりリンゴを齧って押し込んで、シャリシャリと咀嚼しながら眉間の皺を伸ばした。
「完全に幼児の死亡がゼロになるとは言い切れませんよ?血が繋がってるとわかっても見殺しにする人間も中にはいるでしょう。でも希望はあります。下流階級の環境を変える、最初の第一歩に、システムを正常に稼働させて幼児の生存率を上げる!どうでしょうか?!」
「…意図的に妨害してる奴なんか存在しなくて、システムが端から無かったら?」
「その時はシステム導入を目指して、新たに作戦を練りましょう!」
国のトップにでもなる気かよ…と思わず半笑いになる。
途方もない話で呆れそうになるが、そもそも俺らが叶えようとしてる夢自体がもっと現実的じゃない夢物語だ。
本気で叶えようとするなら、こういう一見馬鹿げたような発想の話し合いばかりになるんだろう。
別の案も思いつかず否定ばかりしている俺の方が足を引っ張ってるんだろうな…
「…わかった。その件は俺も考えとく」
「はい是非!で、最初の話に戻るんですけど、教科書通りのシステムがあると仮定して、それが正常に稼働し、幼児が今朝第5エリアにいなかった…という可能性はありませんか?」
剥いたミカンを自分の口に放り込んで、少し考えてみる。
脳内で出た結論を伝えようと相手を見た瞬間、シオンが目を閉じながら口を開けていて吹き出しそうになった。
「……おそらくねェな」
「そう思った理由をお聞きしても…?」
マヌケ面を眺めながらしばらくミカンを口に入れないでいると、目を開けたシオンが首を傾げながら問うてくる。
催促するように今度は人差し指でミカンを指されて、話している内容とは対照的にフッと笑みが零れた。
「そのシステムが正常に稼働したのなら、俺たちの住む第6エリアにも新しい子どもが移送されてくるはずだ。けど俺たちの施設にはいつも通り誰も来なかった」
「…1人も、ですか?」
「ああ、1人もだ。それに…俺は別の可能性の方が高いと思ってる。先入観なしでお前の意見が聞きたかったから、後出しの情報で悪いけど…」
奴らが所属してた組織の人間が、第5エリアの子どもを連れ去ってる可能性がある。
そう俺が真剣な表情で伝えた途端、シオンが目の色を変えて呟いた。
「…詳しく聞かせてもらえますか?奴らから聞き出した情報を」