一体なぜ、天人はレイヴンを使って流民を攫っていくのか。
地上においては誰にも皆目見当のつかなかったその答えの一端が、この流民集積場にあった。
ここに連れてこられた流民は、毎日毎日何かしらの仕事を命じられる。説明されるのは表面上のこと、つまり今日のものであれば『入口付近の壁から伸びたケーブルをどこかにある給電設備に差し込んでこい』というものだけで、それをどうして流民がやらされているのかも、それをやることに何の意義があるのかもサッパリ教えてもらえない。
従わないとどこかに連れ去られる。
連れ去られた者が帰ってきた例は一度たりともないという。殺されるのだろう、という致命的な言葉をわざわざ声に出す者はいなかったが、扱いのぞんざいさからして疑いようもない。
困ったことに、ここに集められている流民は男性だけだった。
同じくらいの人数攫われてきているはずの女性がどこにいるのか、初日に手当たり次第訊いてみたものの、知っているという人は一人とていない。
ついでに【黎明】のことやレイヴンのいる場所についても訊ねてみたが、ここにいる人々にとってのレイヴンというのは自分を地獄に連れてきた悪魔にも等しい存在であり、そこに興味を示すエレンはすっかり変人扱い。会話に応じてくれるという人さえほとんどいなくなった。その流れに、エレンはアルカでのことを漠然と思い出した。
とにかく、流民からの情報収集ができないとなってくると、天人に接触しにいったアデルのほうに期待するしかない。
一週間以内には迎えに来る、という約束だ。そう遠い話ではない。今日の【労役】は酷かったが、本当に酷かったが、毎回あそこまで危険だというわけでもない。ただ空っぽの区画を歩き回ったら終わりのパターンだってある。
先の見えない中で生き延びるのには慣れていた。むしろ、明確な期日がある分相当に楽だ。……食事の内容に目を瞑れば、だが。
ただ、毎朝目が覚めるかどうかということだけが怖い。
「……っ、」
意識が浮上する感覚。
曖昧な感覚のままに目を開き――驚愕で、思考が停止する。
二人の流民男性が、こちらを覗き込んでいた。あり得ない光景だった。
だって、彼らはとっくにこの世を去っているはずなのに。
「……死んだのか、俺?」
「死んでないです」
二人の内の片方、
しかし死んでいないとなると、つまり目の前の彼らは幻覚ということになる。
「どころか幻聴まで……だって、キャラバンは随分前にいなくなったんだから、ウェンズもガロさんも死んでるはず……」
「死んでないですこっちも。殺さないでください」
「はは……やけに鮮明だな、この幻覚。まるで会話が通じてるみたいだ。それとも本当に天国なのか、ここは……」
「まるでじゃなくて通じてるんです……ああ、ガロさん。エレンはもう駄目かもしれないですね、頭が」
メガネのほうに話を振られ、人相の悪い壮年の男がかぶりを振った。
「否。彼奴は元より頭をおかしくしていた」
「それはそうかもですね。死んだら間違いなく天国に行けると思ってる自意識の高さとか、地味に結構おかしいですし」
「失礼な幻覚だな!」
がばり、とエレンは跳ね起きる。
「なんだ、本物なのか!? 本物のウェンズにガロさん?」
「ウム。おれは間違いなくガロウだな」
「僕もウェンズですねえ。久しぶりです、エレン」
や、と軽く手を上げるメガネのほう――ウェンズのことを、エレンは眩暈のするような心持ちで見返した。再会を喜ぶべきか、嘆くべきかも分からなかった。
心のどこかで、期待していたのかもしれない。
「……二人が、ここにいるってことは」
呻くようなエレンの問いに、二人は揃って頷く。
「お察しのとおりです。世界最後の経済の熾火――キャラバンは、壊滅しました」
キャラバン――それは、かつてエレンの所属していた集団の名前だ。
人数はよく変動するが、いくら少なくても二十よりは多くて、五十を超えるということはない。だいたいは三十人前後で集落から集落を巡り、商品を売る。対価として別の物品を受け取る。時には都市遺跡に立ち寄って、商品の仕入れをやったりもする。
言葉にすると簡単だが、実際は経済という狂気に囚われたがごとき、頭のネジが外れた流民の集まりであった。
キャッチコピー、あるいはアイデンティティとして据えられた言葉は、『価値には価値を』。
そもそも地上というのは、イコールで
そんな場所をわざわざ巡る、というだけでも超が複数個つくくらいには危険な仕事だというのに、彼らはあくまで商売人であるという矜持を決して捨てようとはしないのだ。
たとえば、【ヴァルハラ】という集落がある。
ここはエレンの知る限り最も小規模な集落で、それはなぜかといえば、周囲を変異生物のコロニーにぐるっと取り囲まれているためだ。外に出るということはほぼイコールで死を意味するし、新しく誰かが訪れるということもほとんどない。変異生物を狩った資源で細々と存続しているところである。
キャラバンはその【ヴァルハラ】も、交易ルートに含めている。変異生物に襲われ死傷者を複数回出そうとも、何度も商売をやりにいく。なぜならそこには人がいて、商品を売り買いする余地があるからだ。変異生物の肉や毛皮を受け取って、代わりに【ヴァルハラ】では入手できない塩やら合成繊維やら薬やらを置いていく。
当然、そんな場所に行くことのできるキャラバンの戦闘力は非常に高い。
なのでどう考えても、わざわざ【ヴァルハラ】で肉を仕入れるより自分たちで狩ったほうが効率的で安全性も高いのだが、彼らがそれを選ぶことはない。商人は狩人ではないからだ。
端的に、おかしい。頭のネジが何本か外れているとしか思えない。
天――実在するかも分からぬ半ば空想世界――に行くことを、そのためにレイヴン――流民では歯の立たない超兵器――を捕獲することを目標として掲げていて、その方法を探すためにあちこちを移動するキャラバンへと仮加入をしていた当時のエレンがそう称すると、『お前が言うか』と散々笑われたり呆れられたりした。それはそうである。
中でも一番大笑いしていたのが、目の前にいる無精髭のガロウ。エレンは彼との組手で一度も勝てたことがないし、今も勝てるとは思えない。
並びに、わざわざレイヴンを捕獲することの不可能さを滔々と説いてきたのが、目の前にいる
そんな彼らに負けるとも劣らぬおよそ三十人が所属していたはずのキャラバンが、壊滅した。
「呆気ないものであった。レイヴンが一度腕を振るうだけで皆倒れ伏し、おれは紫電のひと薙ぎごときで身動きが取れなくなった」
当時を思い出したのだろう、ガロウは渋い表情をした。
最近はキャラバンが来ない、という話をあちこちで聞いていたエレンは、彼らがそういう悲惨な目に遭ったであろうことをいくらか覚悟していた。
けれど、いくら予想をしていたのでも、いくらこの世にありふれた話であろうとも、悲しいという気持ちを捨てる理由にはならないのだった。いくら痛くても、辛くても、その痛みを感じられなくなったとき、人の火はきっと消える。それは、死よりもよほど恐ろしい喪失なのだと思う。
それになによりキャラバンは、アンを失い孤独に苦しんでいたエレンを受け入れてくれた、一種の故郷のような場所でもある。