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3-2【流民集積場】

 人の体が弾けるのを見た。

「ぎゃ」

 赤い色付きの水風船が潰されるようにして、数秒前まで会話をしていた相手から命が喪われる。それを認識しながらも、エレンは足を止めなかった。悲鳴を上げもしなかった。

 少しでも怯めば、それで速度を緩めれば、次に水風船となるのはエレンになる。

 すぐ後ろに轟音。

 エレンを狙う鋭い鉤が、すんでのところで床を粉砕した音だった。

「クソッ‼︎」

 細かい礫に背中を打たれつつも、エレンはなんとか目指していた壁際に辿り着く。

 そこには、外殻部でアデルが補給に使っていたものに似た、給電設備のようなものが据えられていた。エーテルが補給できるのだろう赤い光を放つパネル、電力が補給できるのだろう差し込み口、それからもう一つ穴が。

 逃げ惑いながらも離さず手に持っていた紐の先端を、エレンはガシガシとそこに差し込もうとする。

「落ち着け、落ち着け……!」

 先ほどの鉤の主――何本ものマニピュレーターを生やした巨大なロボットが迫ってきているのを感じる。装備をほぼ全て置いてきたエレン程度……いや、仮に装備があったとしても、一息でぐしゃりだろう。

 手が震える。

 ただ接続するというそれだけの行動が、やけに難しい。

「〜〜〜〜〜〜っ、差さった!」

 叫ぶ。

 瞬間、すぐ背後まで迫ってきていた気配がぴたりと止まった。

 それでも警戒は崩さないまま、エレンは飛び退きながら体を反転させる。見えるのは、ぴたりと動作を停止させた巨大ロボット。やけに殺風景な空っぽの区画スクエア。そこに、今しがた追加されたばかりである赤黒い色彩。

 肉でも骨でも内臓でもない、かたちを持たない何かが、しかしはっきりと喪われた跡。

「……ッ、」

 エレンは叫ばない。

 ただ肩を震わせて、強く横の壁を殴りつけた。旧文明による頑丈な壁は小ゆるぎもせず、鈍い音とともに痛みを覚えたのは殴ったエレンの側である。

 程なくして隣の区画に繋がる門が開き、そこからいくつものロボットが押し寄せてきた。

 こちらは敵ではない――少なくとも、エレンに直接の危害を与えるものではない。天人の指揮下にあるらしいロボットたちだ。

 その役目は種類によってさまざまで、例えば動作を停止した巨大ロボットを分解して素材をどこかに運ぶもの、【労役】終えても生き残っているエレンを運搬するために檻を備えているもの、【労役】で生き残れなかった赤黒いそれをやはり素材としてどこかに運ぶもの……。

「……クソッ」

 どうせ聞く者もいない。エレンは大きく舌打ちをすると、自ら檻の中に足を踏み入れた。

 がしゃんと入口が閉まって、そのままガタゴトと運ばれていく。行きは二人だった檻で一人なのがやけに広く感ぜられて、エレンは落ち着かないままその場に小さく身を縮めた。

 流民集積場、とマップに記載されていた区画に単身足を踏み入れてから、三日の時が経っていた。

 その三日で起きている時間は、ほとんど何かしらの作業を――説明してきた天人の言うところの【労役】をさせられている。大概、今のようにケーブルを運んで差すものだ。どういう意味がある行為なのかは分からない。

 今のように、暴走しているらしきロボットによる命の危険を伴うケースもある。変異生物モンスターだらけの地上、中でも危険に満ち満ちた旧都市遺跡を根城にしていたエレンでさえも精神の摩耗をはっきり感じ取るくらいには。

「あと数日生き残るだけだ……そうしたら、アデルが迎えにくる……」

 呟く。

 一週間で迎えにくる。その間に、それぞれ別の場所で情報を収集する。

 つまり、エレンに課せられた一番の使命は、とにかく生き残ることだった。

 しばらく揺られていくつかの区画をまたぎ、集積場区画に戻ってくるとまたがしゃんと檻が開く。そこから出ると、エレンは大きく伸びをした。強張っていた筋肉が弛緩して、精神に生きているという実感が滲む。

 灰色をしたそこは、家畜小屋だった。

 外に出ることがないように、区画の中の一部分をぐるりと壁で囲んでいる。

 照明は最低限で薄暗い。樹脂かナノマシンのプリント製だろう、ずらりと並ぶ簡易的なベッドには最低限体調を崩さないように薄い防寒シートが一枚ずつ乗せられていて枕はナシ。ベッドの数と同じくらいの人間が、ぼんやりした面持ちで腰かけていたり寝ころんでいたりする。全部で数十人といったところで、最初に見たときはこれだけの人数が地上から攫われていたのかといくらか驚きもした。

 服装だけはバラバラな彼らはみな、地上から無理やりレイヴンに【鹵獲】されてきた、流民である。

 ただいま、と声を掛けてみる。虚ろな表情をした流民たちのうちの数名がこちらを窺うが、おかえりの言葉はなかった。【労役】終わりで疲れているのだろう、と解釈しておく。

 周囲に倣いエレンもベッドに腰かけてしばらく。

 大きくブザーが鳴った。食事の時間を示すものだった。

 エレンは苦々しい顔をする。たっぷり動いたための空腹にもかかわらず、だ。

 それでものそのそと手に取ったのは、ベッドの脇から生えているチューブ。これまた流民一人に一つずつで、その先端をかぷりと咥えてしばし待つ。

 ゴゴ、とチューブの奥が震える感触。

「~~っ、……!」

 かと思えば、すぐに粘っこい液体があふれ出てきた。

 どろりとしていて、強いて言うならば穀物を煮溶かした粥に煮ているが、味はほとんどない。頑張れば微かな塩気を感じなくもない、くらいだ。

 エレンは吐き出しそうになるのを必死で堪える。そもそもここに来た理由のひとつが、食料の入手なのだ。これがその食料だというならば、黙って飲み込むしかない。

 液体はほんの数分で止まった。

「ぜは……ぜえ、はあ。まさかエナジー・バーよりひでえメシがあるなんてなあ……」

 口の端に零れた白っぽい液体を手の甲で拭いつつ、そうひとりごちる。

 エナジー・バーはマズいが、マズいのだ。つまり味があるし、ギトついた食感もある。

 対して、今の液体は無味無臭の無食感。刺激が何もなく、気持ち悪さだけが喉を滑り落ちていく。喉ごしも最悪で、吐瀉物を胃に戻しているような感覚だ。

 エナジー・バーを人間用燃料だとするのならば、こちらは人間用の餌といったところか。いや、肉やら皮やらを目当てに地上でよく飼われている岩蜥蜴クヌルだって、もう少しくらいマシなものを食べているのではなかろうか。

 そんなことを考えていると、

「んん……?」

 横のベッドに寝っ転がっていた流民仲間が、怪訝な様子でチューブを覗き込んでいるのに気が付いた。

「どうしたんだ?」

 一応初日に挨拶くらいはした仲である彼――エレンとは相当に歳の離れた、老人に片足を突っ込んでいそうな男性は「いやな」と首を傾げて。

「出てこないんだ、俺のエサ」

「ああ、やっぱそれ餌っぽいよな……じゃなくて、出てこない? あんまり味がないから、気づかず飲み干しちまったんじゃなくってか?」

「ンなわけあるかよお。ったく、クソ天人野郎が。これじゃあ腹減って眠れねえ――ん?」

 からからから。

 どこかで聞いた覚えのある、タイヤが回る軽い音。

 ベッドの間をぬって近づいてきたのは、白くてずんぐりむっくりしていて、先端にバチバチいうケーブルを備えたロボットだった。

 突然のことで状況を理解していない内に、人間を気絶させるそのケーブルが男性へと突き付けられる。

「が……?」

 軽く撫でられただけで、男性はあっさりと白目を剥いて気絶した。

 すかさず、白ロボットの後ろに控えていた檻付きロボットが、マニピュレーターで器用に腹へと気絶した男性を放り込む。

「お……おい! どこに連れていく気だ!」

 ここ数日の疲労もあってとっさに動けなかったエレンは、ここでようやく事態の異常さに気が付いて食って掛かる。しかしロボットは躊躇いなくエレンへもケーブルを突き出してきた。

 一度目は回避した。しかしベッドに座った体勢ではそれ以上動くことができず、背中にばちりと鋭い痛みが走る。

 エレンの意識は闇に落ちた。

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