目次
ブックマーク
応援する
5
コメント
シェア
通報

第50話

 テンパラスとサンを封印して半月と十日が経った。その間にタロットの魔獣が姿を現すことはなく、平和な日常が送られていた。


 ただ一人を除いて。


 谷坂たにさか綾斗あやとはげんなりした様子で三角巾に吊るされた自身の左腕を見て登校路を歩いていた。左腕は未だ完治しておらず三角巾で吊るしていなければならない状態なのだ。そんな自身の状況とは違い、他の生徒は夏休みを自分なりに桜花しているだろう。常盤桜花学園高等部のグラウンドからは野球部が練習をしているのか、カキーンという甲高い金属音が聴こえてくる。加えて互いに喝を入れるための掛け声が響いてくる。まさに青春の一ページのような努力の結晶と熱気を感じる。


 綾斗の偏見ではあるが、お金持ち学校では努力や何かに打ち込むという熱量のようなものはないと思っていた。


 しかし、常盤桜花学園に慣れてきた頃から少年はそれぞれの部活を遠目で見るようになっていた。そこで部員たちの姿を見て、以前まで部活の助っ人を意気揚々としていた自分と重ねてしまい、努力と何かに打ち込む熱量はお金持ち学校でも一緒なのだと気付いた。なにより、タロット戦争に参加していることで綾斗自身が送ることができない普通の学生生活を送れていることに羨ましさすら感じていた。


 それでも常盤桜花学園に入学してからもいくつかの部活の助っ人に行っていた。だが、タロット戦争に加えて家事当番の兼ね合いから以前に比べて三分の一程度まで減ってしまっていた。


「無い物ねだりは性に合わないな」


 そんなことを呟くと綾斗は常盤桜花学園高等部の校門を通過する。その時、視界の端で見知った顔が映り込んだ。それも一人ではない。二人だ。咄嗟のことで驚いてしまった綾斗は勢いよく振り返ってしまう。なぜなら、そこにいたのが伏見ふしみ冬香とうか須藤すどう龍鬼たつきだったからだ。


 冬香はこの日に綾斗が登校することを本人から聞いていたためこの場にいてもおかしくない。加えて、まだ綾斗の左腕の怪我が完治していないこともあり、責任を感じてか目を覚ましてから、いや、眠っている時から今日までずっと身の回りの世話していた。そういった経緯もあるため、冬香がこの場にいても違和感はない。


 だが、龍鬼がいることに綾斗は些かの疑問を抱いていた。


 綾斗は気になり二人に駆け寄る。


「おはよう。二人ともどうしたんだ? 冬香はまあ何となくわかるけど龍鬼は……まさか……まさかまさかの追し――」

「追試じゃねェよ!」


 龍鬼は食い気味に言うと、威圧感を孕みながら鼻先がぶつかるんじゃないかと思うくらい顔を近づける。


「お前がいきなり学園に来なくなって……し、しん……いや、試験が終わってから、もし暇なら遊びに誘うところなんだよ!」

「落ち着けって。所々日本語おかしくなってるぞ。遊びなら試験が終わってから特に用事はないから大丈夫だ。食堂にでも待っててくれ」


 そう。夏休み真っ最中にもかかわらず綾斗が学園に来た理由は一つしかない。


 期末試験を受けに来たのだ。


 綾斗は試験が実施されたその日も伏見低の自室のベッドで深い眠りについていたのだ。そのため目を覚まして二日で動けるようになった綾斗は、残りの八日間で遅れた分の勉学と試験範囲の勉強を五つ子総出で手伝ってもらったのだ。


「綾斗、頑張れ」

「ありがとう。よかったら冬香も一緒に遊ぶか? 三人でどこか行ったりして」

「いいの?」

「俺は構わないぞ」


 いつも無表情な冬香が嬉しそうに笑みを浮かべる。


 綾斗が龍鬼に了承を求めるため視線を向けると腕時計を気にしていた。その行動が意味していることはだいたい分かる。


「一緒に遊ぶのは良いから早く教室行けって!」


 龍鬼が慌てた様子で言う。試験開始までまだ三十分近くある。それでも龍鬼が焦っているのは試験直前の復習のための時間を求めてのことだろう。見てくれはそこら辺のごろつきと大差ないが中身は友達思いの真面目さんなのだ。


 綾斗は苦笑して軽く手を振ってから教室に急いだ。


 そうしなければ龍鬼に尻を叩かれそうな勢いだったから。


☆☆☆☆☆☆


 試験の手応えはあった。ただ困ったことに手応えが有り過ぎて、受けたのが本当に期末試験なのか心底不安になってしまう。本当は抜き打ちテストだったんじゃないかとさえ思えてくる。


 しかし実際のところは、伏見家の頭首である康臣によって学校側に綾斗が一ヶ月ほど気絶していたことを伝えられていた。そのため、試験の範囲はあくまで通っていた期間に限られていたのだ。このことを綾斗が知るのはまだ先のことである。


 試験を終えた綾斗が食堂に足を運ぶと、冬香と龍鬼が机を挟んで向き合うように座っていた。


 最近ではよく三人でつるむようになったため、綾斗はつい好奇心で綾斗抜きの二人を見たくなって遠くから眺めていた。だが、五分経っても何の会話もない。それどころか目すら合わせていない。少年は二人のそんな姿にさらに面白味を感じ、さらに十分間ほど観察し続けた。結果はもちろん先ほどと全く変わらず、二人の間に流れる空気には気まずさが感じられた。


 流石の綾斗もやり過ぎたと感じ二人の下へ歩み寄る。


 龍鬼は綾斗の姿を見るや否や「遅い!」と言わんばかりの勢いで綾斗の胸倉に掴みかかろうとするが、綾斗の吊るされた左腕を見てただ顔を近づけるだけにした。


 一方で冬香はそんな二人のやりとりをぼんやりと眺めていた。冬香らしいと言えば冬香らしいが、龍鬼と一緒にいる間、目を開けながら眠っていたんじゃないかと思えて仕方がない。


「落ち着けって、龍鬼」

「試験終わってからどこで何してた!」

「どこで何してたって……えっと、ついさっき終わったばっかだぞ?」

「お前のついさっきは二十分前のことを言ってるのか?」


 綾斗の目が右往左往する。移動時間に五分。二人の観察時間に十五分。確かに教室から食堂まで二十分も掛かるのはおかしい。綾斗の焦りが龍鬼に伝わったのか、訝しげな視線を向けてくる。


 考えに考えた末、


「道に迷った」


 なんとも間抜けな答えだった。


 こんな嘘に引っ掛かるのは差し詰め、馬鹿か冗談が通じない真っ直ぐな奴ぐらいだろう。


「なんだよ。そんじゃあ仕方ねェな。転校してきてすぐに半月も休んじまったら、そりゃあ、忘れるよな。悪い、掴み掛かって」


 ここにいた。


 綾斗は後者であってほしいと願いつつ罪悪感を覚えた。


「龍鬼、昼飯奢るよ」


 急な綾斗の提案に龍鬼の目が点になる。もちろん答えはノーだ。龍鬼からすれば奢られるほど何かをされた覚えがない。


「頼む。奢らせてくれ」


 珍しく圧の強い綾斗に龍鬼は押し切られる形で了承した。


 冬香はそんな二人のやり取りを見ながらスマートフォンを取り出して目にも止まらぬ速さで操作し始める。かと思いきやすぐにスカートのポケットにしまい、無表情で綾斗の顔を凝視する。


 綾斗が、誰かにメッセージでも送ったのか? と思っているとズボンのポケットにいれていたスマートフォンが振動する。誰かからメッセージが届いたのだ。まさかな、と思いメッセージを開くと予想通り冬香だった。


『さっきはなんでずっと見てたの?』


 冬香にはばれていたようだ。


 綾斗は『二人が仲良くしているか気になって』と正直に送った。冬香は返信を確認すると手慣れた手つきでスマートフォンを操作する。


『ごめん。目を開けて寝てたから話してない。目が乾燥して痛い』


 綾斗はメッセージの内容を見て苦笑した。またもや予想通りだった。流石、冬香だ。馬鹿にしている訳ではないが、冬香のことがなんとなく理解できてきたからか、嬉しさが込み上げてくる。


「なあ、どこに遊びに行く?」


 龍鬼がそわそわしながら問う。初めて友達と過ごす夏休みに心が躍っているのだろう。


 綾斗も綾斗で夏っぽいことは一年生の間島麻衣とのプライベートビーチデート以外に何もしていなかったため、男子二名はハイテンションで食堂を後にした。


 それから男子二人組が話し合い、行き先は庶民的な暇潰しということで地元のショッピングモールとなった。


 かくして綾斗は普通の男子高校生らしい日常を桜花するのだった。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?