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110話 さよなら

「健斗、ちょっと用事があるから先に部屋に戻ってて」


式が終わるなり、湯井沢がそう言って人混みにするりと紛れて行った。用事?初めて来た場所で?


せっかく一緒に部屋で寛ごうと思っていたのに……。


用事の相手は笹野さん思ったが、湯井沢が向かっているのは先ほど散歩した中庭だ。バレたら怒られると思ったが心配になった俺はそっと後をつけることにした。




湯井沢side


美馬から連絡をもらったのは笹野さんの結婚式の二日前。渡したいものがあると言われ、承諾の返事をした。

それが何かは教えてくれなかったが、聞きたいこともあったし丁度いいと思っていた。

健斗には内緒にして欲しいと言われたので黙って来たが、あいつのことだ。きっと後をつけて来る。

でもそれは僕のせいじゃない。約束はちゃんと守ったんだから。


指定された場所まで辿り着くと、そこに美馬が立っていた。


「湯井沢さん」


「久しぶりだな。元気だった?」


「ええ。湯井沢さんも」


「まあ毒盛られたけどねえ」


ははっと笑うと美馬の顔が強張った。懐かしい表情だ。


「……最初から芝居でした」


僕が何も言わないうちから美馬は一人で話し出した。


「脅されたんじゃありません。ただ依頼されたんです。役者として美馬という人間を演じて欲しいと」


「うん」


「美馬になり切って共に過ごすのはとても楽しかったです。自分は今、美馬という人間を演じ切っている。観客である湯井沢さんや健斗くんは僕の演技を嘘だと微塵も思ってない、と」


「本当に役者馬鹿だね」


「はい。天職です。でも……犯罪は別です。そんな事をして逮捕でもされたら一生舞台に立てなくなる。だから契約を解消して姿を消しました。僕は今、湯井沢美恵子とその愛人に追われてます」


「美馬は何をしたの?」


「僕はあなた達を騙したこと、そしてマンションの玄関扉の暗証番号をあいつらに教えました」


「ああ、美馬には伝えたもんね」


「はい」


「まあでもその程度なら罪には問われないだろうね」


「……でもまさか自分の息子を殺そうとするなんて思いもせず。怖くなったんです」


美馬はポケットから小さな黒いものを取り出して僕に向かって差し出した。


「え?なに?お小遣い?」


揶揄うように言うと、少しだけ唇の端で笑う。


「音声データです。湯井沢美恵子が僕に依頼をした時のもの、そして部下に湯井沢さんを殺す計画を話しているもの」


「……助かるよ。本当に」


僕はそれを受け取った。これは汚職や談合とあわせて最後のとどめになる。ようやくあいつらを追い落として湯井沢の家をぶっ潰せるんだ。


「ありがとう美馬……じゃないか。偽名だもんな。本当の名前はなんて言うんだ?」


美馬は困った顔をして白状する。


「実は偶然なんですけど本名も美馬なんです。美馬拓也と言います」


「なにそれ面白いね」


「……正直最初は困りました」


「確かにね。じゃあこれで美馬の分もしっかりとやり返しとく。美馬が安心して暮らせるように。これからどうすんの?」


「ほとぼりが覚めるまで日本を出ます。どこかで演技を磨いてまたいつか日本に帰って来たいです。湯井沢さんその時は……」


「もう会わないよ。その時にはきっと立派な役者になってるでしょ。うっかり過去のことがバレたらどうすんの。もしどこかで会っても声はかけない」


「……はい、分かりました」


美馬は項垂れたまま踵を返し、中庭を去っていく。僕はその後ろ姿を目に焼き付けた。



「健斗、いるんでしょ」


ガサガサッと観葉植物の方から大袈裟な音がした。隠れるならもっと上手に隠れればいいのに。


「……いつから気づいてたんだよ」


「最初から?」


「まじか……」


まあそんなポンコツなとこも大好きなんだけどね。


「でも美馬を見た途端に殴り掛からなくて偉かったよ」


「うん……だって反省してたし。それにほら……あいつ全部演技だって言ってたけどお前のこと好きな気持ちは……」


「はいはい!もう終わり!その人の真実なんて分かんないだろ?それにあいつは役者だ」


「……そうだな。部屋に戻ろうか」


「うん」


短い間だったけど楽しかった。ぼくだってその時間全てが芝居だとは思ってない。でもどこまでなのかどこからなのか、それは本人にもきっと分からないだろう。


「いいもん貰ったしね。戻ったら早速聞いてみよう」


「そうだな。ようやく動き出せるな」


「うん。……そういえばさっきの結婚式の話さ」


「うん?」


「このホテルの系列、近くにあるって言ってただろ?話だけでも聞きに行ってみる?」


「え?ほんとに?」


「うん、節目としてそれもいいかもなーって思った。親しい人だけ呼んでさ、笹野さん達も来てくれるかな」


「来てくれるよ!うちの家族も全員参加だよ!」


「あはは、それは楽しいな!」


継母とのいざこざにようやく区切りをつけられる。そしたら新しい自分になれる気がするんだ。




「よし!帰ったら早速式場に……」


「いや、音声データの方が先だろ」


「あっ……確かに」


これからもこんな風に賑やかに楽しく一緒に歩いて行きたいから。


健斗、どうぞよろしくね


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