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第六章 第2話「たそがれダンジョン」

 ロケバスが動き出し、小さくしか開かない窓からりりんが手を出して振ってくれた。また通れるようになったエリア13へのショートカットを利用したので、撮影は3時間かからないで終わった。

 巨大ダンゴムシでリポーターさんが大絶叫するところもしっかり撮れたので必要な映像はだいたい撮れたらしく、ディレクターさんがもの凄く喜んでいた。タレントを呼んだので、何があってもボツは許されないそうだ。

 いつものように『お支払いはダンボさん』を通してだ。俺の取り分がいくらになるのか、貰ってみないとわからない。

 そんなことはまあいいとして。りりんは気にしていない様子だったけど、俺はあることに気が付いていた。

 これまでは入るたびにダンジョンの中で必ず見かけた配信のパーティー、それがひと組もいなかったのだ、配信じゃない探索パーティーも、出会ったのはひと組だけで、今日の西3丁目公園ダンジョンは何だか閑散としていた。

「今日、何組入りました?」

 ロケバスを見送って、俺は杉村のおっちゃんにきいてみた。

「今日はね……テレビ入れて3組だな」

「少なくね? なんか」

「ああ……いま人気なのは大泉学園と豪徳寺だよ。ここで狩りやるなら、うんと深くまで行かないとならんからね。配信やる連中はもう来ないよ」

「ゴートクジって……どこ?」

「世田谷の、小田急の駅だ」

 ダンジョンも、マンションなんかと一緒で行き帰りが楽な『駅近物件』が好まれる。西三丁目公園ダンジョンも西国立の駅からそれほど離れてはいないけど、ダンジョンの周辺にも駅の周辺にも何もない。

 立川通りにファミレスがあるくらいで、ほかにあるのは葬儀場だ。ロストで死んだら手間が省けるけど、それで喜ぶやつはたぶんいない。

「ここ……ぜんぜん人が来なくなったら、どーすんの?」

 聞くと、杉村のおっちゃんはちょっと首を傾げた。

「理事会が、もー見張りいらねーって判断したら。それで打ちきりだな」

 ダンボに理事会なんてものがあるなんて知らなかった。

「スポンサーがついたから金のことはまあ心配ないけど。人がいねーからなあ」

「スポンサー?」

「協賛企業ってやつよ」

 それくらい俺でもわかるけど、ダンジョンを見張るNPOに協賛する企業ってどこだろう。テレビみたいに宣伝になるわけでもないのに。

「ダンボに協賛して、その会社になんかいいことあるの?」

「さあ? そのうちオレもDQの上っ張り着せられるかもな」

「DQ?」

「だからスポンサーよ。ディーキューコミュニケーション」

「DQがダンボのスポンサーなの?」

「そう言っただろ?」

「言ってない! いま初めて聞いたよ」

 DQコミュニケーションがダンボの活動を資金援助して、それでDQにどんな良いことがあるのだろう。

 考えながら自転車で家に帰ると珪子が学校から帰ってきていて、お客さんが来ていると言った。

 俺はちょっと憂鬱になった。親父がダンジョンに消えてからこっち、『お客さん』は何か面倒ごとを持ち込んでくる人ばかりだ。

「ああ圭太くん。留守のところすまないね」

「あ……森元さん……」

 工房にいたのは親父の友人で、亀戸で吹きガラスの工房をやっている人だった。親父が行方不明になったときにも心配して来てくれた。

「やっと、失踪が認められたんだって?」

「はい……まあ、もう生きていないだろうと……」

「そうか……」

「葬式も……仏壇も、ありません。なにしろ、戻ってきたのがこれだけなものですから」

 俺は工房の壁にかけてある親父のハンマーを持ってきて森元さんに見せた。形見のようにしまっておくのではなく、使ってやった方がいいだろうと母も言った。

「そうか……」

 森元さんはもう一度、ため息をつくようにそう言った。

「それで、結局圭太君がここを継ぐの?」

「まあ……そうなってます。なりゆきですけど」

 俺は森元さんと一緒にいる女の子が何となく気になっていた。娘さんなのだろうけど。お父さんと並ぶほど背が高かった。それより気になったのは、彼女の気配がものすごく希薄だったからだ。

 そこにいるのに、いるのかいないのかわからないほど存在感が薄い。視線もどこを視ているのかわからない。何だかこっちが不安になる女の子だった。

「あれ、なんですか?」

 突然、女の子が窓を指さして言った。

「え?」

 それは宣伝になるかも知れないと思って、工房の窓にはめこんだスライムガラスだった。

「あれは……ダンジョンから採ってきたスライムの粉で作ったガラスなんだ。生きているみたいだろ?」

 そう教えてやると女の子はそろそろと立ち上がって窓の傍に立ち、景色がゆるゆる歪んでうごめくスライムガラスに見入っていた。

「彩乃は、いま中2なんだが登校拒否状態でね……すまない、家に一人で置いておけないから連れてきたんだ」

 森元さんがちょっと声を小さくしてそう言った。俺は、何と言っていいのかわからなかった。

 中2だから珪子と同じ年なのだが、今でも背は170センチありそうで高校生でも通る。その彩乃ちゃんが食い入るようにスライムガラスに見入っていた。

「これ……どうやって作るんですか?」

 その彩乃ちゃんが体ごと俺に向き直って聞いた。

「1時間ぐらいかかるけど、作って見せてあげるよ」

「見たいです!」

「彩乃、ご迷惑だから……」

「いいです。ほんの一部の人しか知らないものなんで、誰かに見てもらいたいんです」

 俺はスライム粉と珪砂を混合した材料をるつぼに入れて電気炉にかけた。かかる時間はほとんど電気炉の加熱時間だ。その間に、ダンジョンの中でどうやってスライムの粉を採ってくるか説明した。

「その……スキルと言うのは、誰でも手に入れられるのかい?」

「たぶん、としか言えません。どんなスキルが身につくかぜんぜんわかりませんし、身についたとしても気がつかないことがあります」

「どうしてですか?」

 彩乃ちゃんが不思議そうに聞く。

「うーんと……何か、合図みたいなものがあるわけじゃないいし。いきなり力がみなぎるなんてこともないし……ゲームみたいに派手なことが起こらないから」

「偶然使うことになるまで、本人も気がつかないってことか……」

「そうです。俺も、ハンマーでスライムを押しのけたらガラスになったんで、それで気がつきました」

 電気炉から灼熱したるつぼを取り出して型に流す、冷えて固まるにつれて縮んで行くのをトントン叩いて平たく伸ばしていく。彩乃ちゃんは、その作業を食い入るように見ていた。

「これ……私にも、できますか?」

「え?」

「彩乃はね、吹きガラスをやりたがっていたんだが、肺活量が足りなくて無理だったんだ。でもこれだったらできるかも知れない」

「やって……みたい? 彩乃ちゃん」

 恐る恐るきいて見ると、彩乃ちゃんは俺がたじろぐほど真剣な目で見上げて頷いた。

「お父さん、あたし……やってみたい。いい?」

 俺と松元さんは、困ったような顔で見つめ合ってしまった。


 そのころ、エリカはまた九段の第3合同庁舎にいた。つい何日か前に来たような気がしたが、もう半月ほど経っていた。あまりにもいろいろなことが続けて起こるからだろうか、やけに時間が経つのが早い。

「水谷はいま本庁に行っている」

 会議室に来たのは水谷主任ではなく市村という係長だった。今日は水谷をからかうつもりで、短めのスカートで来たのだが肩透かしだった。

「この件はダンジョンだらけだな」

 係長は挨拶もなしでそう切り出した。

「初台から何か出ましたか?」

 『初台』は、昨日家宅捜索が入った牧原雅道のことだ。

「3人組の方だ。ダンジョン茸のエキスを詰めたカプセルを持っていた、そいつを新宿で買ったと自供したんだが。どうやら新宿にダンジョンがあるらしい。

「は?」

 エリカもそんな話は初めて聞いた。だが、新宿ならどこかにダンジョンのひとつやふたつあっても不思議ではない気がした。

「特定できそうですか?」

「本庁に身柄を移して、いま取り調べを行っている。たぶん吐くだろう……知っていれば」

「知っていてほしいですね……で、私はそれを探るのですか?」

「そうだ」

 当然と言うような口調で市村係長が言った。エリカは表情を変えずに腹の中でため息をついた。また役所の縄張り争いを避けるために便利に使われるらしい。

 本来存在しない『関東甲信厚生局特別捜査官』という曖昧な立場のエリカは、何か都合の悪いことがあればいつでも責任を負わせて切り捨てることができるのだ。

 会議室のドアが慌ただしくノックされた。入ってきた所員が係長に黙ってメモを手渡して出て行く。

「どうやら、吐いたな……」

 メモを見ながら係長が言った。エリカは黙って続きを待った。

「新宿区歌舞伎町一丁目、バーの空き店舗? これは……ゴールデン街じゃないのか?」


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