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第十一章 第10話「12月のダンジョンで……」

 スライムガラスを普段より高温に熱してドロドロよりゆるいトロトロの状態にする。ピアスの台座は14ミリサイス用で、それに乗るサイズにするためには溶けたガラスは一滴で十分なのだ。

 るつぼからたれ落ちた一滴のガラスをハサミで切って、台の上で素早く形を整える。そしてピンセットやハサミで細工するのだけど、小さなガラス液はすぐに冷えて固まってしまう。

 俺はもう3日かけて、20回以上失敗している。

 りりんへのクリスマスプレゼントで、りりんの誕生月花のダリアをモチーフにした細工を作りたくて悪戦苦闘を続けているのだ。

 それらしい形が作れるようになったら、今度はガラスに塩化金酸という薬品を加えてガラスを溶かす。塩化金酸は何か特別な薬で金を溶かして作った粉で、これを入れるとクランベリーガラスと呼ぶ赤い色になるのだ。

 親父が以前にステンドグラスを作るのに使った残りがまだ少しあった。どこに頼んだら買えるのかもうわからないので、瓶に残っているのがなくなったらおしまいだ。

「塩化酸金と……酸化第一スズ……」

 それでガラスはもっと深い赤、紅色になるらしい。『酸化第一錫』とラベルが貼ってある黒い粉が入った瓶もあった。

「ガラス素材10グラムに対して……0.15グラム?」

 工房のどこかに電子天びんがあったはずで、探しておかなくてはいけない。

「あ……もう、学校行かないと」

 普段はオンラインだけど、今日は午後1時から立川駅の傍にあるキャンパスに登校して授業だった。カップ麺と、炊飯器に残っていたご飯にふりかけをぶっかけてかきこむ。

 寒くて手が凍えるので、自転車で通うのはしんどくなってきた。キャンパスまで歩けば20分ちょっとだけど、自転車なら5分で着くのだ。モノレール立川北駅のところにある伊勢丹の無料駐輪場に自転車を押し込んで、キャンパスまで走った。

 顔見知りになった生徒たちとホームルームを受けて、あとは個別指導を受けて4時まで自習だ。机でノートと教科書に向かっていると、つい眠気が襲ってくる。眠気を追い払うためにダンジョンバトルフィールドのことを考えた。

 りりんとエリカと一緒にダンジョンバトルフィールド新宿を制覇して……ついでのようにダンジョンマッシュルームの製造拠点を潰して、それから一週間が過ぎていた。

 マトリの捜査がどうなったのか俺には知りようがないけど、中が消火剤の泡だらけになったのだからガサ入れがなくても施設もマッシュルームもお終いだろう。

 だが心配なことがあった。あれ以来、エリカに連絡がつかなくなってしまったのだ。ラインで既読はつくけど返事は来ない。まさかまた拉致されたなんてことはないと思うのだけど、今までこんなことはなかったので気にかかる。

 今日のプログラムを終わって駐輪場へ戻る途中だった、有藤さんから着信。

『空吹くん、何か変わったこととかないか?』

「あ、こんにちは。何て言うか……つけられてないか後ろ気にするようになりました」

 ダンジョンマッシュルームの連中が、俺を見張るかも知れないとエリカが言ったのだ。寒くても尾行されにくいように通信制高校へ行くのに自転車を使うのは尾行しにくいと思ったからだ。

『いい心がけだ』

 有藤さんが笑いながら言った。

「エリカと連絡がつかないんですけど、何か知ってますか?」

『ああ……彼女はいま身を隠しているところさ』

 何気なく、有藤さんにすごく不穏な言葉を使われて俺は体が一気に冷えた。

「なにか……ヤバいこと?」

『今のところ危険はない。彼女は所在を掴ませないことで連中の不安を煽ってるんだ、だから君が連中に監視されている可能性は高いな』

「え?」

 サラッと恐ろしいことを言われた。

『安心しろ。彼女に連絡をつける方法がなかったら、君を誘拐したところで意味がない。監視は彼女が現れるのを待ってるのさ。それで、ちょっと頼みがあるんだが……』

 有藤さんの頼みとは、りりんがまたダンジョンで収録をするのでエリア13のホールを見てきて欲しいと言うことだった。

「りりん、今度は何やるんですか?」

『新曲の収録。シングルCDの4曲を全部ダンジョンで録るんだ』

「えー?」

 あそこで、どうやってそんな事ができるのか。俺には理解できない。

『明後日でいい。行ってくれるか?』

 なぜ明日じゃなくて明後日なのか。そこがちょっとひっかかったけど俺は承知した。


 その日、俺は午後1時に西三丁目公園に向かった。その時間に入るように、有藤さんからの指示だった。

「おお、ずいぶん久しぶりじゃねーか」

 相変わらず、杉村のおっちゃんはダンボのテントに詰めていた。

「通信制高校に入って、あんま暇なくなりました」

 西三丁目公園のダンジョンはまたマナが枯れてきたのか、行方不明の救助要請も来なくなったのだ。

「おめーも、相変わらずいろいろ大変だなー」

 名簿に記入してドックタグを受け取ると、おっちゃんがそう言った。

「え?」

「いや、何でもねーよ。入るの、もうちっと待て」

「なんで?」

「待ってりゃわかる」

 俺はふたつある公園の入口尾を交互に見張った。警戒モードがデフォになって、周囲にいる人間をよく見るようになった。東側のトイレに隠れるようにして、立ち止まってこっちを見ている男がいる。

 少しして、公園の入口にタクシーが停まった。

「あ……」

 タクシーから降りてきたのはエリカだった。カーゴパンツに革ジャン、この寒いのにVネックセーターの胸元からは谷間が露出している。

「なんで……」

「久しぶり、元気?」

「あの……えーと……」

「話しは中でだ」

 エリカもドックタグを受け取って、俺の背中を押すようにしてダンジョンに入った。

「それじゃ杉村さん、あとよろしくお願いします」

 エリカが言った。どうやら、俺の知らない何事かが始まろうとしている。

「隠れてたんじゃないの?」

「そろそろ動く頃合いになったのよ」

 『頃合い』が、何となく不吉に感じた。

「さっき、トイレのところからこっち見てる奴がいた」

「やっぱり、あんたを監視してたのね」

「大丈夫なの?」

「まあ、望むところってヤツかしら」

 エリカの笑い声がダンジョンの中に響いた。


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