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第110話 二人きりでの夕食

 それから、ローラが焼いてくれたシフォンケーキを堪能したあとで。


 ルーカスさんとお兄様と別れた私が自室に帰り、ほんの少しだけまったりとした時間を過ごしていたら。


「突然の来訪、申し訳ありません、お嬢さま」

 滅多に、此方へとやって来ることがないハーロックがわざわざ私を訪ねてきた。

 いつもならこの時間はまだ、お父様に付き従いながら、執事としての与えられた仕事をこなしている筈だろう。

 ……それをわざわざ止めてまで、誰かに言伝する訳でもなく。

 ハーロック自身が此方へとやってきたその理由が分からなくて。


「……いえ。それで、ご用件は一体何でしょうか?」


【何か、お父様がらみで。

 慌てて此方に伝えて来なければいけない急務な用件でもあったのだろうか?】


 ……と。


 あまりにも珍しい人間の来訪に驚きながらも、思わず訝しげな問いかけになった私に対して。


「ええ……。それが、そのっ、お嬢さま、本日陛下に人払いをした上で会いたいと。

 侍女を通して、伝えて来られていたでしょう?」


 苦笑しながら、ハーロックが私に向かって、そう、声を出してくる。


 そこで私は、今朝のことを思い出した。


 ……確かに起きてから、古の森のことや、お祖父さまのこと、あと、ルーカスさんの件とかも含めて、お父様には、色々と伝えなきゃいけないことがあるから。


 面会希望さえ出しておけば、いつかどこかでお父様の時間が空いた日を提示してくれるだろうと思って。


 朝ご飯を食べる前に、それとなくローラに。


【いつでもいいから、お父様の時間が空いた日に。

 人払いをした上で会いたいという希望を書いた手紙を上にあげて貰ってもいいかな?】


 と、簡潔に手紙をさらっと書いた上で渡した覚えがある。


 その後直ぐに、マナーのことを教えにルーカスさんが来てくれたから、今の今まですっかりと忘れていたけれど。


「はい。……確かに伝えましたけど。

 あのっ、お忙しいお父様をわざわざ、煩わせることのないように。

 時間が空いた時で構わないと手紙には書いていた筈なのですが、何か問題でもあったでしょう、か?」

 ハーロックがわざわざ此方に来るということは、余程、大事なことでも起こったのだろうか?

 簡潔に書いたといっても、お父様に送る文章だ。

 一応、手紙もきちんと形式にのっとったもので、粗相をしたつもりは無かったのだけど。

 何かお父様のことを怒らせることでもしてしまったのかと、おずおずとハーロックに問いかける私に。


「……あぁ、心配には及びませんよ。

 推測でしか話せませんが、お嬢さまはきちんとした文章を送って来られていたと思います。

 私には、その文章を読むことは許されていないので。

 陛下がお嬢さまの手紙をどういう風に感じられたのか些細なことまでは分かりませんが、少なくとも陛下はそのような事で怒りを露わにされていた訳ではありませんので」


 ハーロックがそう言ってくれたことで、良かった、と内心で安堵したあとで。


 それなら、尚更、どうしてここに、この執事が来たのだろうという疑問が湧いてくる。


 他に理由が思いつかなくて首を傾げた私を見て……。


「そのっ、そうではなくて。

 実は、陛下も直々にお嬢さまと話したいことがあったそうなので。

 お嬢さまさえ構わないのでしたら、“本日の夕食は、二人きりで取る”と仰っていて。

 あまりにも急なことでしたので、私がここに直接伝えに来るのが一番早かったのですが。

 如何いかが、致しましょう?」


 ハーロックからそう問いかけられて。


 私はあまりにも珍しいお父様からのその提案が一瞬理解出来なくて固まってしまった。


「……お嬢さま?」


 私が、暫くそうして何も言わず固まってしまったから、ハーロックが私のことを、どうしたのか、という視線を向けたあとで呼んでくる。


 その呼びかけに、ハッとした私は……。


「え、っと、あのっ、お父様はいつも“家族”でお食事を取られていると、思うのですが。

 その団欒だんらんを蹴ってまで、私と今日食事をしてくれる、と言っているのでしょう、か?」


 しどろもどろになりながら、何とかそう、声をあげて、目の前の執事に確認する。


 直ぐにハーロックの言っていることが理解出来ずに驚いてしまったのは、だって、仕方がないと思う。


 ……お父様が、私と食事を。


 それも二人きりで取るなんてこと、今までに一度も無かったことだから。


 私にとっては、その提案自体が、信じがたいことでしかない。


「……えぇ。それに、お嬢さまも陛下にとっては立派な家族ではありませんか」


 はっきりと、そう言って。


 どこか当たり前のように、微笑みながら、此方を見てくるハーロックに。


 更に困惑しつつも……。


「あの。……私がお父様と二人きりで食事をするとテレーゼ様もギゼルお兄様も、あまりいい顔はされないんじゃ?」


【ウィリアムお兄様は、多分、許してくれそう、だけど……】


 表情にあまり出なくて分かりにくいけど、お兄様が私に対して優しくしてくれているのは、今ではもう分かっているから。


 ウィリアムお兄様は、私がお父様と二人きりで食事を取っても何も言わないだろうな。


 というのは、自分でも想像出来ることだったけど。


 ギゼルお兄様はそうはいかないだろうし。


 それに、テレーゼ様がどう思われるのかは、私にとっては全く想像も出来なくて。


 ぽつり、と不安に思ったことを率直に問いかける。


 ハーロックはそれを聞きながらも。


「例え、他の方がどのように思われようと、陛下の意思は何よりも尊重されるべきものです。

 何よりテレーゼ様はその辺り、第二妃であった頃から、ご自身の立場を弁えている方ですから、きっと問題はありませんよ。

 それにお嬢さまの方がいつも、他の方達が揃って取られる食事の場に遠慮して来られていないでしょう?

 陛下も、そのことは何も言わずとも心配していたご様子でしたので。

 こういう時くらい、お嬢さまが、優先されていい筈です」


 と、此方に向かってそう言ってくる。


 確かに、テレーゼ様とギゼルお兄様に遠慮しているというのはハーロックのいう通りではあるのだけれど。


 巻き戻し前の軸の私ならともかく、今の軸では自室でみんなとわいわい一緒に食事を取ることに慣れすぎて、寧ろその方が、気が楽だと思っているし。


 それ自体が最早、私の毎日の楽しみに変わっているから、私以外の皇族と一緒に食事が取れないことを、特別悲観したり、嫌だと思っているということはないのだけど。


【お嬢さまが、優先されていいはずです】


 と、どこか。


 私のことを、不憫に思って、心配してくれているようなそんな視線に、なんていうか、此方の方が申し訳なくなってくる。


 できるだけ無駄を嫌うお父様だからこそ。


 わざわざ食事の間、お互いに拘束される場所を用意して二人きりになろうとする意図がいまいちよく分からなかったけど。


 お父様が、私が皇族の人間と一緒にご飯を食べていないことを気にしてくれていたとは、欠片も思わなかった。


 合理的なお父様にとっては、私が、食事に1人だけ参加しないということ自体、取るに足らないようなことの筈で。


 そのことをわざわざ気にかけているとは到底思えなかったし、今もハーロックのその話には半信半疑ではあるものの。


 他でもない誰よりもお父様の近くにいるこの執事がそう言うのだから。


 そこに、嘘などは入っていないのだろう。


【今は、みんなと一緒にご飯が食べられて、毎日凄く幸せです】


 とは、とても言えない空気だった。


 そうでなくとも、従者とご飯を一緒に食べていることが知られたら、多分叱られるまではいかなくても、皇族としての行動を窘められるであろうことは間違いなく。


 もしかしたら、あの優しい時間を取り上げられてしまうかもしれないと思うと。


 下手なことも言えず……。


「御配慮、ありがとうございます。

 でしたら、お父様に今日の夕食はご一緒させて貰うと伝えて下さい」


 と、伝えた私に、ハーロックが微笑みながら。


「畏まりました。そのようにお伝えします。

 陛下はまだ仕事をされていますので、本日19時頃に夕食を取られる予定です。

 いつも皇族の方が食事を取られている場所よりも、少し小さめの部屋をご用意するので。

 その頃にまた、お嬢さまを迎えにあがりますね」


 と、声をかけてくれる。


 私はこくり、とその言葉に頷いてお礼を言ったあとで、ハーロックがこの場から、立ち去ったのを見届けてから。


 一気に緊張の糸が切れて、ふぅ、っと小さく安堵のため息を溢した。


【別にそんなに急がなくても此方は問題のない話なんだけど。

 お父様が、私に伝えたい用件って何だろう?】


 ――もしかしたら、お父様側は、急を要するようなことだったのかな?


「……ローラに今日のごはん、一緒に食べられなくなっちゃったって、伝えないと」


 お父様と二人きりで食事をすることが嫌な訳ではないのだけれど。


 みんながいない中、堅苦しい場で食事を取らなければいけなくなったことを考えるとほんの少し気が重いし。


 何より、みんなと一食分、一緒にご飯が食べられなくなってしまって。


 しょぼん、と落ち込む私に。


「姫さん、……んな、あからさまに落ち込まなくても。

 また明日には侍女さんに言って、みんなで時間あわせて、一緒に食おうな?」


 ずっと、私の傍で控えてくれていたセオドアが、そう声をかけてくれる。


「……うん。セオドア、ありがとう。

 今日は、お父様と一緒に二人きりでご飯、食べてくるね」


「あぁ、……それより、いつも皇族が使ってる食堂ってのも、位置の把握が出来てねぇんだが。

 姫さんが今日行く部屋ってのは、大体どの辺にあるものなんだ?」


「あっ、そっか、セオドアは知らないよね?

 ハーロックがいつも使っている食堂よりも少し小さな部屋って言ってたから。

 ……多分お父様が来客用に使っている部屋のことだと思う。

 お父様の執務室の近くにある部屋のことだよ」


「成る程な。大体、位置は把握した。

 つぅか、あの辺に、食事も出来るような部屋があることに驚くんだが」


「うん、皇族主催のパーティーみたいに大っぴらな場所で話せないようなことを。

 個人的に食事を取りながらお父様と話し合いをする貴族もいるから、一応執務室の近くにもそういう場所を作ってるみたい。

 お父様自体は、食事を取りながら無駄に話を長引かせられるのが嫌いだから、よっぽどの時以外は、あまり使われてはないと思うんだけど」


 私の言葉に、セオドアが納得したように、『あぁ、』と小さく頷くのが見えた。


「如何にも合理的な、皇帝がやりそうなことだな」


「うん。あ、でも……。

 あの場所が使用されるときは、いつも、扉の前にお父様の専用の騎士が常駐している筈だから。

 セオドアは今日はゆっくりお部屋で、寛いでくれてて、大丈夫だからね?」


 いつも大体、王宮内といえども、部屋から出るときは、何も言わなくても私に着いてきてくれるから、少しでも休んで欲しくてそう言えば。


「……っ、部屋から、あっちに行くまでの道中に、何があるか分からねぇから。

 着いていくつもりだったんが……」


 と、言われて。


 あぁ、やっぱりいつものように着いてきてくれるつもりだったんだな。


 ということが分かって、セオドアのその心遣いが嬉しくてほんの少し頬を緩ませたあと。


「心配してくれて、ありがとう。

 でも、ハーロックも迎えに来てくれるって言ってくれてたし、大丈夫だよ」


 と、私は声をあげた。



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