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第140話【ギゼルSide】

 兄上が騎士団に入団できると忖度など欠片もなく言われたときの年齢が10歳のころ。


 兄上が貴族の書類上の不備に気づき、不正な金銭の遣り取りを見破って摘発したのが俺と同じ13歳の時。


 ――はっきり言って、俺はもの凄く焦っていた


 今まで兄上が過ごしてきた日々に、何としてでも追いつかなきゃいけない。


 兄上が残してきた功績の跡を一つずつ、指折り数えて眺めてみては、次の自分の行動指針としての目標を決める。


【泣き言なんか言ってる暇はない。

 皇族である俺たちに、なんて言葉は存在しちゃいけないんだ】


 兄上に出来たことならば、当然その弟である俺にも出来なきゃいけないだろう。


 そこまでのことを、最低ラインでこなせていなければ、俺の価値は無いにも等しい。


 父上に認められるためにも、兄上に認められるためにも。


 ……母上に、認められるためにも。


 何としてでも、俺が13歳である内に、目に見えた手柄を上げなければいけなかった。


【兄上のように、偶然犯罪を見つけるのが難しいのだとしたら。

 犯罪の温床である場所にいけば、何か見つかるかもしれない】


 そう考えた、俺は、自分の騎士を二人引き連れて、連日スラムで調査を行っていた。


 ……だけど、スラムの奴らは本当に口が硬い。


 色々と金銭の遣り取りも惜しみなくして、手柄を上げるために躍起になっていたけれど。


 そもそも、帝国の紋章を付けている俺たちのことを必要以上に警戒しているのか。


 厄介者でもやってきたとばかりに、嫌そうに眉を顰めながら、ぽろぽろと、スラムの奴らから話される内容には、おもに日常の些細ないざこざなんかの情報が大半で、俺が追い求めるような大きな犯罪の情報は、全く入っても来なくて。


 これといった成果もなく、ただ毎日が悪戯に過ぎていく事に、悔しい思いをしながらも、諦めずに粘って聞き続ければ、やがて、スラムで人身売買がされているという情報を耳にした。


【人身売買と言えば、我が国では十数年も前に禁止されているものだ】


 そもそも、先進国であり大国でもあるシュタインベルクでは、のお手本や見本となるような事をいち早く取り入れて、それを国全体で示していかねばならない、というのが、日頃から父上が口を酸っぱくして語っている、政治としての在り方だった。


 その崇高なる精神や、在り方は、他国からも度々、賞賛の声があがることもあるほどで。


 そういうことが起こる度に、幼心に父上は凄いんだと俺も尊敬出来た。


【シュタインベルクで人身売買が起きているのなら、何としてでも止めなきゃいけないだろう】


 それに、これは俺にとってもチャンスでしかない。


 目に見えて分かるような手柄がやっと舞い込んできてくれたと思った。


 これで、兄上にも父上にも、母上にも。


 誰もに認めて貰えるような、手柄を上げることが出来る。


 その事に内心で安堵しながら、自分に許された皇族の経費を惜しみなく使って。


 より詳しく情報を聞いて、やっと、スラムに詳しい情報屋と会えるところまではこぎ着けることが出来た。


 だけど。


 ――やってきた情報屋は、まだ俺と歳が変わらないような少年だった。


 いや、正確に言うなら、少年と、もう一人。


 少年の兄を名乗る男との、二人だったけど……。


 兄弟で情報屋を営んでいると自己紹介をしてきたその2人は……。


 【必要以上に自分たちの素性を知られないように、仮面で顔を隠している】


 のだと俺に言ってきたから、その顔までは分からなかったけれど。


 兄である方も恐らく兄上と同じくらいか。


 それより1、2歳上か、くらいの年齢ではないかと俺は推測した。


 成人はしているのだろうけど、まだ二十歳はたちにまではなっていなさそうだし。


 どちらにせよ、二人とも若いだろうという事に変わりはなく。


 特に、アズ、と名乗ったその少年は、声変わりもまだなのだろう。


 声もまるで女みたいに高く、背も小さいし、俺よりも確実に年下であることだけは把握出来た。


 兄弟と一口にいっても俺と兄上が一緒ではいられないように、2人の性格なんかもまるで違っていて。


 テオドールの喋り方が、俺が今まで接してきたスラムに暮らしている奴らと似たような喋り方でこのスラムに馴染んで違和感がないのに対して。


 アズの物腰はどこまでも柔らかく。


 俺たちに対しても普通に敬語を喋ってくるし、スラムで今まで俺が見てきた人間とは本当に誰にも当てはまらないくらい、礼儀正しくて。


 最初、同行を申し出られた時は、何か他に裏があるんじゃないかって、疑ってかかったのが悪かったなって今は思うくらい。


 アズは、本心からスラムの子供たちのことを心配して助けたいって思っているのが理解出来たし。


 話をする度に、綺麗な心の持ち主なんだってことが分かって、どこまでも好感が持てた。


 ついでに、話の流れで、普段は絶対に出すことがない、俺の本音混じりの弱音や葛藤も。


 今日出会ったばっかりのアズにぽろっと話せてしまったのは、自分でも何でか分からなかったけれど……。


【どんなに頑張って誰かになろうとしても、僕達はその人じゃないから、丸々その人の人生を生きることは出来ない。

 憧れて、その人に寄せてみても、それはありのままの自分ではないし。

 僕が僕であることしか出来ないように、ギゼル様もきっとギゼル様でしかいられないんです】


 俺の話をほんの少しだけ聞いたあとで。


 アズの口から出る言葉はまるで、俺のことをいつも近くで見てきてくれていたかのように的確で……。


 俺の感情を全部洗い流してくれるようなそんな感覚がして、不思議だった。


【誰かを目指す必要も、何かになる必要もないと思う。

 ありのままの自分を好きだって言ってくれる人がいるから】


 “兄上の後を追わなくてもいい”と、“自分にしか出来ないことをすればいい”と、そんなことを誰かから言って貰える日が来るなんて思ってもなかった。


 いつも、俺と兄上は必ず天秤にけられて、比較対象にされてきていたから。


 今まで、兄上に出来て当然なことは、勿論その弟である俺にも出来なければいけないことで……。


【ウィリアム様が、また手柄を上げたみたいですね?】


【流石、神童と呼ばれているだけのことはある!】


 にこやかに笑みを溢しながら、賞賛だけを口にして此方に笑いかけてくる奴らの。


 


 俺にそうやって声をかけてきた人間の、はいつも決まっていた。


【次は、勿論、ギゼル様の番ですよね?】


 発破はっぱをかけられているのだろう。


 期待されているのだろう。


 重圧が重くのしかかり……。


 ――兄上と同じにはなれない、と俺が気付いたのはいつだったろう。


 どんなに、一生懸命、頑張ってみても。


 決して届かない高みを兄上が歩いていると気付いた時。


 俺の足下はぐらぐらと揺れていて。


 その場に立っているだけでも、吐いてしまいそうだった。


【いっそ、兄上が、酷い人間だったなら……。

 若しくは、圧倒的なただの“天才”であってくれたなら、どれほど良かったろう】


 兄上は、天賦てんぷの才を持っているに関わらず、常に努力も怠らない人だった。


 そんな兄上のことを、誰よりもその近くで見てきた俺は、兄上のその、人には見せないでいる影の努力を知ってしまっている。


 ……格好いい。


 俺も、そうでありたい。


 ――だけど決して、


 尊敬し、憧れて、目指した高みに決して辿り着くことは出来ないと知ったその時の。


 理解してしまったその時の。


 を……。


 俺は決して忘れることは出来ないだろう。


【俺は、兄上のようにはなれないんだ】


【こんなにも尊敬しているのに……】


 ――、という疑問ばかりが頭の中を過った


 尊敬して憧れている分、こんな風に兄上に対してどろっとした、醜い感情を持ってしまうことも辛かった。


 どれほど、努力でコーティングして。


 取り繕っても、取り繕っても。


 まとった、めっきは簡単に剥げていってしまうようで……。


 必死になって、今まで自分を良く見えるように飾ってた。


 そんな俺の事を、アズはまるで、見抜いてくれているかのように。


 優しく、解きほぐすような、言葉をかけてくれた。


【……人の痛みに敏感な奴だから、そういう風に思えるんだろうか】


 その口から出る言葉の節々には、アズが今まで生きてきた、過ごしてきたその日々で。


 とんでもない程の苦労をしてきたのだろうということが、垣間見えるのに。


 アズはどこまでいっても、清くて綺麗なままだ。


 スラムで暮らしているにも関わらず、すさんで心が汚れている訳でもなく。


 本当に俺よりも年下なのかと思うくらい。


 どこか、達観としていて、悟りを開いているようなそんな落ち着きすら感じさせる。


 アズの口から零れ落ちる柔らかなその言葉からは、ただ、周囲の人間への思いやりと優しさしか感じられなくて。


 俺に声をかけてきていながらも、俺では無く、その後ろにある兄上の幻影を見て話をしてくる奴らとは違う。


 アズは、自分が今、話をしている奴のことだけを、ちゃんと真っ直ぐに見てくれている。


 ――向き合ってくれている。


【……初めてだった】


 こんな感覚になったのは。


 だから、少ししか話していなかったけど、アズのことは信用出来たし。


 ほんの僅かな時間だけで、子供たちがアズに心を開いて懐くのも分かるような気がした。


 テオドールが、アズのことを特別なんだって、守ってるのも、アズの存在、そのものが貴重なんだって言ってるのも、弟に対する過剰な過保護っていうのを抜きにして考えても、俺にも伝わるものがあった。


 ――だって、まるで、アズの存在そのものが光みたいだ


 強烈に眩しい輝きを放つ光なんかじゃない。


 ふわっと、周囲に寄り添って足下をそっと明るく照らしてくれるような、そんな光。


 それと同時に、自分の手柄を上げることだけに真剣になっていて。


 捕まえられている子供の行く末なんて、まるで考えてもいなかった自分が恥ずかしいとさえ思えた。


 赤髪を持って生まれてきたアズが今までどんな風に暮らしてきたのか。


 スラムにいる子供たちが、立場の弱い人間が、どういう風に生きてきたのか。


 その一端を垣間見て……。


 父上がいつも、口を酸っぱくして語っている国の在り方も。


 崇高なものだと……。


 尊敬出来ると……。


 俺も、頭の中では確かに思っていたくせに。


 世間の一般的な価値観でしか物事を見ることが出来ずに、視野も狭く。


 俺自身、ちゃんとその本質までは理解していなかったのだと痛感する。


【俺は、兄上とは違う】


 違ってても、いいんだと、アズが気付かせてくれた。


 それと同時に、俺に出来ることを、これから探していくことが大事なんだよな。


 とりあえず、このあと、子供たちに温かいご飯を出してやるついでに、もしも可能そうならアズとテオドールにも、一緒に食べて貰って。


 父上の褒美は断られたから、何か俺から2人に贈れる感謝の気持ちみたいなものを、授与出来ればそれがいいだろう。


【流石に2人も、俺からの感謝の気持ちだといえば、断りはしないだろう】


 俺は、このあとの予定を心の中でそう決めて、テキパキと俺からの指示をこなして忙しそうに動いている、騎士の合間を縫って、二人の姿を探す。


「悪い、お前達っ、待たせたな!

 ……アズっ? ……テオドール、?」


 けれど、どんなに呼びかけても、二人からの返事はなく。


「なぁっ!? お前達、アズとテオドールを知らないかっ!? 仮面をつけた2人組だっ!!」


「……えっ? そのっ、申し訳ありません、ギゼル様。

私達も、忙しく動き回っていたので、そのような2人組は……」


「ええっと、もしかしたら、目にしたかもしれませんがっ。……それほど重要な方達だったのでしょうか?」


「……そういえば、見てませんね。

 ずっとギゼル様と一緒に動いているものだと思っていたのですが、何処にもいませんか?」


 そこらで動いている騎士全員に聞きまわって……。


 屋敷の中も、外も、走りまわってくまなく探したが、その姿はどこにも見つからない。


 ――見つからなかった。


 まるで、二人の存在だけが最初からこの場所に存在しなかったかのように。


 俺は、その事実が、信じられなくて……。


 もう一度、改めて、忽然と姿を消した2人のことを。


 ……きょろきょろと必死で血眼になりながら探し回る。


 だけど、何度も、何度も。


 色んな場所を往復して確認してみるが、結果はやっぱり変わることはなく。


 うちの国ではしていないって言っていたけど、法に関してもグレーなことはやってきた自覚があるって、テオドールも言ってたし。


 もしかして、帝国の騎士に事情を聞かれるのに、拘束されてしまうのを嫌ったのだろうか。


【……それにしたって、こんな別れはあんまりだろうっ!】


 口頭で伝えただけで、ちゃんとしたお礼さえ、まだ出来ていないんだぞっ!


 せめてっ……、せめて、何か一言でも声をかけてくれればっ!


 内心でそう思いながらも、本心では気付いていた。


 俺が、アイツ等2人とちょっとだけ過ごしたその時間を。


 ただ、手放してしまうのが惜しいと思っているだけなのだと……。




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