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第一章 旅のはじまり

第1話


「ふわぁあ」


くありと大きな欠伸をして、銀髪の青年――サイモンは空を見上げる。


青い空。白い雲。賑やかな町の朝市は、まさに平和の象徴と言えるだろう。

(今日も平和で何よりだ)

目を細め、サイモンは後頭部を掻く。

乱雑な仕草は、背中から漂う凛とした雰囲気とは少し違う印象を齎した。


癖の強い銀色の髪を靡かせて歩くサイモンは、田舎者にしては上品な雰囲気を纏っている。

歩く足から音はせず、鮮やかな青いマントは人の目を惹く。姿勢のいい背中は一見、この国最高位に位置する騎士団の一員のような安心感を伝えることだろう。


しかし、マント以外の服は一般的な旅人のもので、裾や袖など所々が汚れている。腰に差した剣がサイモンが歩くたびに一緒に揺れている。


サイモンは寝ぼけ眼のまま、周囲を見渡した。

彼の深い緑色の瞳には、朝日に照らされる新鮮な野菜や果物、肉や魚が映っている。それを一つ一つ物色しながら、サイモンは今朝の食事を選んでいた。


「おーい、そこの兄ちゃん!」

「ん?」

「活きのいい魚が獲れたんだが、一匹食べてみねぇか?」


品物を横目にもう一度欠伸をしたところで、魚屋であろう男が声をかけて来る。満面の笑みで太い腕で自分の釣ったであろう魚を掲げていた。

(おお)

確かに大物だ。男の太い腕の二倍はあろう魚の体が日光に照らされていて、旨そうだ。サイモンは店前に足を運んだ。


「おお、どれも美味そうだな」

「だろぉ? 今朝獲って来たばかりなんだ。随分と活きがよくて、捕まえるのに苦労したよ! だが、その分身が引き締まってんだ。味は保証するぜ!」

「ほほう」


今朝。獲って来たばかり。活きがいい。

男の自信満々な言葉の数々に、サイモンの食欲がそそられる。

(朝飯にちょうどいいかもな)

ぐぅと響く腹の虫に、財布を出そうとしていたサイモンが動きを止める。人前でいい年下大人が、恥ずかしい。


「ははは、随分でかい腹の音だな! よっしゃ! 一匹サービスしてやるぜ!」

「本当か!?」


サイモンは財布を取り出すと、魚を七匹購入した。「毎度ありぃ!」と男の声が響く。

魚屋の男は器用に魚の尾びれを紐で縛ると、予め用意していた枝に括りつける。この町ではこうして魚や肉を持って帰るようにしているそうだ。初めて見た時はまるで魚の木の実ができたようだと思った。

もし本当にあったら、世界中の学者たちが喜びそうだとも。

(あいつも喜びそうだな)

旧友の顔を思い出しながら、男から魚のついた枝を受け取る。


サイモンは魚屋の店主に礼を言って、店を後にした。

その後、通りかかった野菜や果物も買っていく。それらを紙袋に詰め、朝市を抜けたサイモンは、町はずれへと足を向けた。





「サイモン兄ちゃん!」

「兄ちゃん!」

「よう。今日も元気そうだな」


小高い丘の麓。

古びた大きな一軒家の前で、サイモンは走り寄ってくる子供たちに足を止めた。わらわらと寄ってくる子供たちは、今日も元気そうだ。


「サイモン兄! おはよう!」

「兄ちゃんはよーっす!」

「おはよう、ラット。アラシ。お前ら相変わらず元気だな」

「兄ちゃんは相変わらず眠そうだな!」

「ほっとけ」


走って来た男児二人の頭を撫でる。それを見て「おれも」「ぼくも」「あたしも」と寄ってくる子供達に、「仕方ないな」と順番に撫でていく。



――この孤児院を見つけたのは、この街に滞在し始めてから一週間経った頃のことだった。


人があまり来ない辺鄙なところに建っているらしく、訪問者が来るのは珍しい。その中でも、旅人となればより珍しいのだろう。

好奇心旺盛な子供達の引力により、サイモンはあれよあれよとこの孤児院に通ってしまっている。


子供達と話しながら家へと近づけば、目の前で扉が勢いよく開けられた。鼻先を扉が掠める。


「わっ! サ、サイモンさん!?」

「アリアか。びっくりしたな」


鼻先が焦げるかと思った。「すみません!」と声を上げるアリアに、「どうした、何かあったか?」と問いかける。


「あ、いえ。その、アラシとラットを見ませんでしたか? あの子達、洗濯物置いてどっかに行っちゃったみたいで」

「ああ、その二人なら今……って、あれ?」


振り返って、忽然と姿を消した二人に首を傾げる。さっきまで背中に引っ付いていたのに、どこに行ったんだ?


キョロキョロと周囲を見回せば、集まっていた子供達がサイモンの服を引っ張った。「二人ならあっち走って行ったよ!」と告げる彼らに、サイモンよりも早くアリアが反応した。物に隠れていた二人がびくりと肩を震わせる。


「こらっ、アラシ! ラット! 待ちなさーい!」

「げっ! 逃げるぞ、ラット!」

「う、うん!」


脱兎の如く逃げ出す二人を、アリアがお玉を持ったまま追いかける。この光景も、毎日見ていれば見慣れたものだ。

(賑やかだな)

サイモンは三人の子供達の背中を微笑ましそうに見つめた。


お玉を持って追いかけるアリアは、この孤児院の年長者だ。以前はもう一人上がいたものの、今は就職してここにはないらしい。


――明るい赤毛にそばかすの付いた顔。

着古されたワンピースの袖は捲られており、エプロンにはソースがついていた。

(まるでしっかり者の母親と、言うことを聞かない息子みたいだな)


アリアはおそらく同年代の子達よりも運動神経がいい。そんな彼女から逃げるのは一苦労だろう。年齢も身長も彼女よりも小さい二人は必死に逃げ回ったものの、意外とあっさり捕まってしまった。


「もう! 次、係りの仕事サボったら朝ごはん抜きだからね!」

「ええー!」

「ひっでーよ、姉ちゃん!」

「嫌だったらさっさと動く!」


叱咤するアリアに二人はブーブーと文句を言いつつ、渋々洗濯物をしに戻った。その姿を見て、自分達も怒られる前にと子供達が散っていく。

アリアは戻ってくると、サイモンを家の中に案内してくれた。


「サイモンさん、毎朝ごめんなさい」

「いやいや、みんな元気そうで何よりだ。子供は元気が一番だからなぁ」

「元気すぎて困っちゃいますけど」


あははと笑うアリア。微笑ましくも子供たちを見る彼女は、齢十三だとは到底思えない。

「お姉ちゃんは大変だな」と彼女の頭を軽く撫で、サイモンは彼女に朝市で買ってきたものを渡した。


紙袋に入っている物の多さにアリアが驚く。サイモンは飛んでくるであろう遠慮の言葉を跳ね退けるように「みんなで食べてくれ」といち早く押し付けた。彼らのために買ってきたのだ。もらってくれないと困る。

アリアはしばらくして、申し訳なさそうにしながらも受け取ってくれた。


「そういえば、サイモンさんは朝ごはん食べました?」

「いや、まだ」

「それじゃあ、その……よければ食べていきませんか?」

「? いいのか?」

「もちろんです。これのお礼もしたいですし、それにサイモンさんがいるとみんな嬉しそうなので、食べていってくれると嬉しいです」


そう言われたら断れない。

「それじゃあ、ご馳走になろうかな」と答えれば、嬉しそうに顔を綻ばせるアリア。頬が赤く紅潮している。


「あー! アリアお姉ちゃんうれしそー!」

「うれしそー!」

「ちょっ、違うから! 変なこと言わないで!」

「きゃー! アリアお姉ちゃんがおこったぁー!」

「おこったぁー!」

「もうっ」


真っ赤な顔で怒るアリアに、子供達がきゃらきゃらと笑う。楽しそうな子供達を見るのは微笑ましい。何か手伝おうかと問いかけようとして、近くの扉が開く。振り返ればこの家の主――シスターが立っていた。


「あら、サイモンくん。おはよう。今日も来てくれたの?」

「おはようございます、シスター」

「いやね、もうシスターじゃないわよ」


穏やかに微笑む彼女は、この家の持ち主兼孤児院の責任者だ。

子供達からすれば母親のような存在である。


黒い長い髪を肩口で一つに縛り、その下を三つ編みにしている彼女は、流石元聖職者と言わんばかりの澄んだ雰囲気を持っている。

優しい声音に優しい雰囲気。少しくすんだ白いワンピースがより柔らかさを引き立てていた。


町の人たちから聞いた話によれば、ここは元々世界を統一したスクルード王への感謝の念として建てられた教会らしい。


――しかし、平和が当たり前になって数百年。

世界中に建てられた教会の数も、寄せられる寄付金も年々減ってきているのが現状だ。経済的にも維持するのが難しくなった教会は売り払われるか、取り壊されるのが常であり、この施設もその煽りを受けて取り壊される話になっていたそうだ。そこにストップをかけたのが、他でもないシスターなのだ。


「あら、今日もたくさん持ってきてくれたのね。ありがとう、サイモンくん」

「いえ、これくらいしかできませんから」

「そんなことないわ。私たちはすごく助かってるもの」


「さすが英雄様ね」と言われ、サイモンは曖昧に笑う。何年経ってもその呼ばれ方は擽ったい。


サイモンが子供たちと朝食の準備を進めていれば、洗濯物を干していたアラシたちが帰ってきた。サイモンが台所にいることに、彼らは目を輝かせる。


「もしかして、兄ちゃんも一緒に食う!?」

「ああ」

「よっしゃぁ! 俺がサイモン兄ちゃんの分よそってやるよ!」

「ずるい! 俺もやりたい!」

「私もやるー!」

「はいはい。みんな、手を洗って来てからね」


はしゃぐ子供たちにシスターの声が通る。

「はーい!」と元気よく返事をする子供達を横目に、サイモンはその様子をただ微笑ましそうに見つめていた。

(元気なのはいいことだ)

うんうん、と頷く。シスターたちには申し訳ないが、サイモンとしてはもう親の気分だ。


――その後、帰って来た子供たちに並々スープを注がれ、更にパンとおかずのお裾分け攻撃によって朝食が一人分以上に増えるとは、予想もしていなかったけど。







「うっぷ」


(流石に食べ過ぎた)

数十分前の事を思い出しながら、サイモンは心の中で呟く。


はしゃぐ子供たちによって満たされた腹は、今にも破裂してしまいそうだ。しかし、向けられる子供たちのキラキラした目を前に、断るなんてできない。詰め込めるだけ詰め込んだ腹は、最早限界を超えていた。


「こりゃあ、しばらく動けないな」


くすくすと笑う。天井を見上げ、浅く息を吐く。天井には、スクルード王の絵が描かれていた。


――スクルード王。

世界に祝福を与え、今もなお人々の平和と安寧を守ってくれている、人の王で、神だ。

彼の与えた影響は、人々の生活の中でかなり大きい。生死の概念さえ覆したとさえ言われている彼は、自分達と同じ人間でありながら『神』と呼ばれ、親しまれている。


「……神、なぁ」


まさかあいつが……と思う反面、そう呼ばれるのもわからなくないと思う。

――何を隠そう、サイモンはスクルードとは幼馴染であり、同じ冒険をした仲間だったのだから。


ゆっくりと息を吐けば、少しだけ身体が軽くなる。

元々教会だっただけあって、この部屋には〝神の祝福〟が残っている。おかげでさっきよりも身体が軽い。


スクルードの祝福、通称〝神の祝福〟は人々の不調を癒し、活力を与える。どんな傷でも癒す祝福は、人々に大きな安寧を齎した。五百年以上続く安寧の大きな理由が、それだ。


戦争だらけだった世界がこんなにも平和に満ちているなんて、あの頃は考えられなかった。


「凄いよな、本当……」


彼の祝福は、こんな末端の町にまで届いている。幼馴染として、かなり鼻が高い。

(懐かしいことを思い出したな)

サイモンは数回深呼吸を繰り返す。少しだけ余裕が出来た腹を擦り、ゆっくりと立ち上がる。そろそろ動いても平気だろう。


サイモンは講堂を出て、孤児院の裏手にある森へと向かった。その後ろをこっそりとついてくる小さな影に、気付かないふりをしながら。


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