「マンジュ卿?」
「レオ?」
アリシアとリデルが不思議そうに尋ね、レオはぶんぶんと首を振って頭を切り替えてから「いや、すみません。いけませんね」と微笑んだ。
「思いが通じただけで十分なはずなのにあなたが頼りにする男が自分の他にいると思うとつい嫉妬が出てしまう。未熟なことです」
告白は小さな声で、アリシアだけに囁かれる。
(はっ、反則……っ! こういうギャップをお出しされるのやばすぎるのですが!)
ときめきの過剰摂取に思わず口元を手のひらで覆って耐える令嬢だが、ここでただ頬を染めるだけのアリシアではない。拳に力を込め、美しく背筋を伸ばしてレオを見据える。
「未熟なのはわたくしも同じことですわ。
わたくしが、殿方としての優しさに報いたいと思うのは、マンジュ卿、あなたお一人です。どうぞ、覚悟なさってくださいませね」
アレチ座の舞台で、アリシア演じるアリスは『あなたの優しさに、私はまだ報いてない! あなたを失うなんて耐えられないわ!』と悔いていた。アリシアの今の言葉が芝居のセリフを引用したものだと気付いたレオは、自分達の生きる未来はきっと悲劇になどならない、と希望と愛しさが湧いてくるのを実感する。「はい」と力強く答えてアリシアの手を取り、その甲に口元を寄せた。
今度こそ抑えきれなかったニナの「きゃ~っ♡」という叫びが庭木の間に
半透明の女の子。ちょうどリデルと同じくらいの年頃の女の子が浮いているのだ。
明るい栗色の髪で、レースでふわふわした純白のワンピースが可愛い。それより何よりリデルの目を引いたのは、その子の背中に翼があることだった。妖精の持つ、蝶に似たような
「わーっ!」
「あら、バレちゃった」
驚くリデルに女の子はにっこり笑いかけた。その場にいた面々も、リデルの声で異変に気付く。
「ルーシィちゃん⁉」
アリシアは驚き、レオはテコナ出発する前夜を思い出し、天の
「アリシア! 今回の私のチュートリアル役は、もう完璧に終わったみたいね」
ルーシィは笑顔だが、だがどこかさみしそうだ。
何だかその言葉が、課せられた役目を果たし終えたのだという実感を呼んで、アリシアの瞳にうっすらと涙が浮かぶ。前よりもどことなくルーシィの存在が薄いのは、チュートリアルの必要がなくなったせいだろうか。
「なーに泣いちゃってるの! あなたはここで生きるの。多くの者に支えられて存在する自分を知り、世界との調和を知り、生きる意味を見つけたはずよ」
そう言われて、かつての社畜生活より目まぐるしいし基本的にはアナログで不便なはずなのに、どうしてこんなに豊かな気持ちなのかアリシアは分かった気がする。
「そう思えたのは、わたくしの能力でも何でもないわ! ただ、ライザ様やルーシィちゃんや、皆が……何もかもがわたくしを導いてくれたから……」
優子としての元の世界での生き方も、アリシアとして生まれてからのライゼリアでの人生も、二人が重なってからの時間も、多くの失敗と後悔が積み上がっている。それでも乗り越えていけるのは、自分が努めたことと、誰かが差し伸べてくれた手のおかげだ。
「本当に立派に変わったわね、アリシア。でもまだまだこれからでしょう? あなたなら。
それに、後進を導くことも大人の大事な務めよ」
ルーシィの慈しみの視線がリデルやタチェに注がれる。さすがは天の
「ありがとう、ルーシィちゃん! その言葉、ずっとわたくしの支えにするわ!」
アリシアの声は感慨のためにわずかに震えていて、隣にいたレオがそっと令嬢の体に手を添える。
「ふふ、忘れないでね、いつだってこの世界は奇跡の連続だということを!」
そう言い終えるや、ルーシィの姿はさらに透き通り、冬空に溶けるように消えていく。
巡り来る季節と、これから身を投じるであろう毎日──荘園の経営改善と結晶に関する研究を予感して、アリシアはワクワクする。世界がそこに在る限り、尽くすべき義も、為すべき愛も、いくらでもあるのだから。