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第31話 結納品の準備



 日々が流れていく。緩慢なように思えて、一日一日が忙しい。

 美弥は、この日は翻訳の仕事――では、なく、結納の準備をしていた。結納まで、あと一ヶ月を切っている。結納品の確認に訪れた父は、先ほど帰っていき、改めて美弥が、運び込まれている品の確認をしている状況だ。


 十二支の末裔達の結納の場合は、お互いに送りあい、交わすかたちとなる。

 今回の仲人は、竜宮家に頼んであるため、最近では当主代理をしている司との打ち合わせも増えている。品の中に鰹節があるのだが、猫の末裔は、慣例として鰹節を相手から多くもらうという風習があるので、その手順の説明を受けたりもしている。


 先日は、同日のための和服も仕立てた。だんだん、本当に晴斗と結婚するのだなと言う実感がわきつつ、緊張もし始まっている。


 この日も、そんな確認をしていたのだが、午後には珍しく、美弥には予定が入っていた。


「そろそろ行くぞ」


 整え終えた時、司が言った。


「う、うん!」


 今日は結納品の確認作業を終えた後、司と――音澄家の亮と、三人、同級生で少しお茶を飲もうと、美弥は誘われていた。過去には、幾度が学院帰りに三人でお茶をした子とがあるが、正式に招かれたのは初めてで、美弥は緊張している。


 司と二人で馬車へと乗り込み、鼠神の末裔である音澄家へと向かう。


「久しぶりだねっ!」


 すると出迎えた亮が、明るく声を上げた。

 伝承の上では、猫は鼠に騙されたとする話があり、歴代の音澄家の当主は頭脳明晰だとたたえられ、特に猫神を嘲笑する風潮にあったのだが、同級生である亮は、かねてから美弥にそういう態度を取ったことはない。亮の父や弟、親族は美弥に冷たかったが、明るい亮は、どちらかといえば美弥の前にいる時は、風よけになってくれることさえあった――と、美弥は感じている。だから、美弥は亮が嫌いでは無かったが、お茶に誘われるとは思っていなくて、正直驚いていた。


「庭にテーブルとお茶の準備をしてあるから。あ、チョコもあるからね! ささ、行こう!」


 亮に促されて、美弥は腕を引かれるがままに庭へと向かう。

 その後ろを、ゆっくりと司が歩いてくる。司は呆れたような顔だ。


 白いテーブルクロスが敷かれた丸いテーブルの前に、和服姿で三人。囲むように座ると、使用人が陶磁器のティーカップに、紅茶を注いだ。ティースタンドには、サンドイッチとおまんじゅうが載っている。


「同窓会だね。ささ、飲もう!」


 亮の声に、おっかなびっくりという面持ちながら、頷いて美弥がカップを手に取る。甘い匂いがした。一口の見込めば、甘酸っぱい味がして、緊張が少し解れる。


「で? 美弥くんは、どうなの? 最近は」


 亮の声に美弥が視線を向けると、司が吹き出した。


「最近もなにも、もうこのほぼ半年、ずっと幸せそうだろ、美弥も、晴斗様も」

「あーね。なんか晴斗様、雰囲気変わったよね、ちょっと優しく。この前の次期当主予定者の会合の時なんか、美弥くんの話出したら笑ってたもの。いつも全然笑わないのに。氷のようなお人なのにさぁ!」


 亮の声に、美弥は驚いた。


「? 晴斗はいつも大体笑顔だよ?」

「それは、美弥くんの前でだけ!」

「全くその通りだ。亮の言うとおりだ」


 二人の声に、美弥は目を丸くする。晴斗の笑顔が脳裏に焼き付いているから、逆に笑顔ではないところが想像しにくい。


「まぁまぁ、とりあえずそこのカゴのチョコもお一つ。食べて食べて」

「あ、ありがとう……」


 亮の声に、美弥はチョコレートを手に取る。大好きな品なので、口に含むと蕩けるようで、頬が緩んだ。


「美味しい」

「……美弥くんも、そうやって笑ってる方がいいよね」

「おう。いつも辛気くせぇ顔してたからな。チョコを前にしないと、特に」


 二人の同級生の声に、慌ててチョコを飲み込みながら、美弥は見られていたのかと照れくさくなった。どことなくだが、今まで自分がよく見ていなかっただけで、なんだかんだで二人は自分を見てくれていた気がした。亮とも司とも、距離が縮まったように感じる。いいや、元々距離を感じていたのは、自分だけなのかもしれない。



「晴斗様って、でも忙しいでしょう? 寂しくは無いのー?」

「うん……晴斗は忙しいみたいだけど、可能な限り、僕に時間を割いてくれているよ」

「おい、亮。惚気を引き出すな。美弥も惚気るな。俺は人の惚気を聞く趣味はない」


 ぴしゃりと司に言われて美弥が萎縮し居住まいを正すと、亮がくすくすと笑った。場が和む。


「まぁ、司くんは、寂しい独り身だもんね」

「うるさいな! 亮だってそうだろうが!」

「えー? 僕はねぇ」

「へ……? い、いるのか? 誰かが……」

「秘密」


 そんなやりとりをしながら、お茶会の時間が流れていった。

 そうして帰宅すると、この日は先に晴斗が帰宅していた。


「おかえり」


 いつもとは逆に出迎えてくれた晴斗が差し出した腕の中に、美弥が飛び込む。

 そしてギュッと腕を晴斗の体に回した。

 抱きとめた晴斗が、優しい声で問いかける。


「楽しかったか?」

「うん。楽しかった……大切な、その……友達二人と、紅茶を飲んだんだよ」

「そうか。それはなによりだが、少し妬けるな」


 そんなやりとりをしながら、美弥は思う。やはり――日常が、少しずつ変わってきた。それは晴斗のおかげだけれど、自分がただ泣くのを止めたからでもある気がした。きちんと前を向きたいと改めて思いながら、その後は晴斗と共に、夕食の席へと向かう。


 怖いくらいに、幸せだった。




 その内に、梅雨が訪れた。駿雨の日もあれば、激しい雨が降り続くこともあり、雨の形態自体は様々だが、とても肌寒い。美弥は晴斗の帰宅を待ちながら、二人の寝室の火鉢を見ていた。そばでは三匹の猫が丸くなっている。仔猫達は、だいぶ大きくなった。だが、己が猫になった時のことを思い出すと、もっともっと助けて上げたくなってしまう。


 そこへ雪野が、晴斗の帰宅の報せを持ってきたので、美弥は階下に降りた。すると晴斗が、和紙に包まれた傘を一本、美弥に差し出した。


「土産だ」

「傘?」

「ああ。輸入品らしい。俺とそろいでどうだろうと思って、欲しくなったんだ」

「わぁ!」


 受け取った美弥は、頬を桃色に染める。晴斗も隣で傘を開いた。晴斗の傘は紺色、美弥の傘は碧色で、お互いの瞳の色に似ていた。


 最近では大きな事件もなく、少し日常が戻ってきた――というのもおかしいが、穏やかだと美弥は感じている。結納までも、もう少しだ。ほのぼのとした、まったりとした日常と、二人が正式に婚約するまでの日数のカウントダウンで、美弥は幸せな毎日に浸っている。その後傘をしまってから、二人で二人の寝室へと戻った。


 そして雪野が出してくれたお茶を飲んでいると、隣に晴斗が座り、美弥の頬に触れた。


「愛している」


 晴斗は言葉を惜しまない。だから、美弥もそれに、少しでも返したくなる。


「愛している、美弥」

「僕も」

「俺は幸せものだ」

「僕の方こそ」」


 二人の間にただよう空気は、ひたすらに甘い。三匹の猫だけが、それを見守っている。

 二人はその後、触れるだけの口づけをした。

 夕餉だと雪野が呼びに来るまで、あと少し。






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