拓真たちは、ドルミナの町から王都へ続く石畳の上に立っていた。
あちこちから火の手が上がり、黒煙が王都を包み込んでいる。異世界だということを象徴する背の高い城を構成する幾つかの塔は崩れ落ち、城下町の屋根は魔獣が獲物を探すためにゆっくりと闊歩していた。
そのうちに、拓真は前方から走ってくる男と肩をぶつけた。男は拓真に気を止めることなく、どこかへ向かって走り去っていく。男の行く末を、見届けている暇はなかった。
「なんで、こんなことに……」
拳を握り、爪が手のひらへと食い込む。王都へ向けて駆けだそうとした拓真の肩を止めたのは、ランディだった。
「タクマ殿、こういう時こそ冷静に。考えも無しに突っ込むだけでは、相手の思うつぼだ」
「……そうだな。すまん」
素直に自らの愚行を認め、拓真は深く息を吐く。ミルフェムトに胸を叩かれた感触を思い出し、瞳を閉じた。
再び瞳を開き、拓真は仲間たちと向き合う。
「ミルフェムトの言っていたことに従おう。俺たちはとにかく、民を都の外に出す。きっと魔獣が
皆が頷いてその意見に同意するが、ロザリンだけはどこか沈んだ表情を見せていた。
「……ロザリン? 何か不安か?」
「私も本当なら、戦えるはずなのに。いつの間にか、剣を持つのが怖くなってしまった。剣のレベルが低い私がいたら、邪魔じゃないかって……」
そこまで言って、ロザリンは自らを否定するように首を横に振る。
「ごめんなさい、そんなことを言っている場合じゃないわよね。タクマと一緒に戦えないことを、拗ねているのかも」
無理矢理に笑顔を作ったロザリンに、拓真は何も言えない。久しくステータスを見てはいないが、拓真はロザリンとの剣のレベルの差が大きく離れていることを、肌で実感していた。
「武器を持って隣に立つことだけが、共に戦うってことじゃない。俺たちは仲間だ。だからこうして、一つの目的の元に動いている。そうだろう?」
共に戦うと約束したあの夜を思い出しながら、拓真は語り掛ける。その口調は優しいもので、ロザリンにも同じ時間を思い出させた。
「……そうよね、ありがとうタクマ。今は王都を救うことに、集中しましょう」
自らの頬をはたき、ロザリンは憂いを払う。その様子に感化されるように、アクロとポムも、拓真たちに気合いを入れる様子を見せた。
「いざとなれば、ぼくが剣を振るいます。タクマさんも、ランディ兄様もお気を付けて」
剣の柄に指を添えながら、オーマは言う。
そして皆は、逃げ惑う人の波に逆らいながら王都へと入っていった。
* * *
商店が立ち並ぶ道は、誰も歩いていない。あるのは犠牲となった民の死体と、肉を貪る魔獣のみだ。
「はあっ!」
ランディが前に出て、魔獣へ先制攻撃を仕掛ける。熊のような姿をしながらも、闘牛のような角を持つ魔獣は、首を大きく振りかぶった。その角で、ランディの身体を貫こうとしたのだ。
「面っ!」
その角を気持ちよく斬り落とすのは拓真だ。ランディと連携して魔獣を屠り、その身体を光の粒子として空へ返していった。
「……あれは魔獣。そう、魔獣だ」
メファールの村で聞いた、魔獣は人間と獣を魔法で掛け合わせた存在だという話が、脳裏によぎる。あれはもう人間ではないと言われたものの、拓真はどうしても気にしてしまっていた。
「タクマ殿、心を揺らしてはならないよ。この戦いは、すでに大きな犠牲が出てしまっている。僕たちは、今を生きる人たちを救うために行動しなくては」
そう言って、ランディは拓真の背後に迫る小型の魔獣を串刺しにして倒していく。
「ああ……わかってる」
そして、拓真もランディの上空から迫っていた翼をもつ魔獣を、払い落とした。
「それにしたって、数が多いな……」
「数だけだよ。君と僕がそれぞれ一体ずつ相手にしても、全く問題ない強さだ」
ランディの言葉に、拓真は頷いて同意した。実際、こうして戦っていても、どこか余裕をもっている自分を感じていた。かといって、肩の力を抜くつもりはない。全力で戦い、人々を助けるのみだ。
「タクマ殿、提案なんだけど二手に分かれないかい? 僕は家屋の中に逃げ遅れた人がいないか見てくる。タクマ殿は、この辺りの魔獣の相手をお願いしたいんだ」
「ああ、異論はない。それでいこう」
ランディの提案を飲み、タクマは一人で商店の並ぶ道の真ん中に立つ。初めて王都アダルテに来た際に、馬車で通った道だ。
ランディが近くの建物に入り、人々を探していく。何人か出ていくのを見届け、路地からひょっこりと現れた小型の魔獣を倒すだけの時間が、少しだけ続いた。
やがて、魔獣が出てくる頻度も減ってきた頃。
「ミルフェムトたちは大丈夫なんだろうか……俺たちもここが静かになったら、もう少し奥へ……」
拓真の背中に、悪寒が走った。すぐに剣道の型を取り、道の先を見る。
「……なんだ⁉」
あまりにも大きな力を、感じる。だが、因縁の相手とは違うものだ。
全身の毛が逆立つ。思わず生唾を飲みこんでしまう。震える手を、無理矢理力で押さえつけてしまう。
そうしながらも、異質な気配が姿を現すのを待った。下り坂から上がってきているようで、少しずつその姿が明らかになっていく。それは、一人の男―否、魔獣―だった。
「……黒髪の男。やはりガルトール公では、抑えきれなかったらしいな」
金髪を一つに束ね、豊かな顎鬚を蓄えた中年の男。深い青色の眼差しは、どこか優しさを感じさせるものだった。だが、その下半身は馬のようになっており、上半身は人間の形をしている。男はおおよそ戦う者の姿をしておらず、村人のような服を着ているが、その腰に携えた太い刃の剣が、武人であることを物語っていた。
(……強い!)
ステータスをみなくても、この世界に馴染んできた拓真には、わかってしまう。目の前にいる半獣の男は、間違いなく自分より強者であると。
それでも退くわけにはいかない。拓真が刀を構えるのを見ると、男は制止するように手を伸ばした。
「待ってくれ。闇雲に人々を逃がし続ける君たちに、少しだけ助言しにきたんだ」
「……誰がその言葉を、信じると思ってんだ?」
「まあ……そうなるよなあ」
半獣の男は、困ったように頬を指先でかいた。力無く微笑むところを見ると、敵意はないように思えるが、拓真は気を緩めない。
「それでも伝えさせてもらうよ。人々はあちこちへ逃がすより、ドルミナの町に誘導した方がいい。あそこには手を及ばせないと、約束をしてもらったんだ」
嘘か真か。王都がこれだけ襲撃されていて、周辺の町や村へ被害が出ないなんて、わかるはずもない。半獣の男は姿を見るに、アキヒトの仲間であることは想像がつく。しかし、そんな男がなぜ拓真に助言を残すのか。考えている暇もなく、男は踵を返してしまった。
「ま、まて!」
「ごめんね、待てないんだ。一応僕は君にとっては敵だからね、早く戻らないと。それじゃあ、頼んだよ」
そして、突然現れた半獣の男は、あっという間に去っていってしまった。
「……なんだったんだ?」
「タクマ殿!」
男のことを考える前に、ランディから声をかけられる。
「もうこの辺に、逃げ遅れた人はいないようだよ。……どうしたんだい? そんなに怖い顔をして」
「あ、いや……それがさ……」
拓真は、ランディに半獣の男の話をする。ランディは信じられないといった表情を見せながらも、拓真の話を真剣に聞いてくれた。
「こちらに有利な情報を寄越す魔獣……あまりにも怪しいけれど、信じてもいいのではないかと思う」
「それは……どうして?」
「ドルミナの町には手を及ばせないと、言っていたのだろう? それは裏を返せば、いずれはこの大陸全土を襲うと言っているようなものだ。どこへ逃げても同じだと」
ランディの考察に、拓真は身震いした。この大陸が闇に包まれることを考えると、吐き気すら催す。
「それに、方々へ逃がすより、ある程度は同じ場所へ逃げてもらったほうがいいかもしれない。人がいるところには、火が生まれる。火が生まれれば、人は生きる希望を見い出す。時間がないにしても、エルヴァントの勢力を押し返す準備は整えられるかもしれない」
「……これから先、何が起こるかわからない。それだったら、僅かな希望へ賭けてみるのもアリか」
「そうさ。それにもし何かが起きたとしても、僕たちが戦えばいい」
ランディの言葉に、拓真はやっと笑みを戻すことができた。
「それもそうだな。よし、それじゃあ一回ロザリンたちのところへ戻って……」
その時、拓真の身体に、一度感じたことのある圧がかかった。
「……これ、は」
バッと振り向き、拓真は王都の中央に位置する城を見た。見ているそばから、城の外壁が崩れていっている。
「ミルフェムトが……あいつと戦ってんのか⁉」