地下室へと辿り着いたアドルフは、炎の揺らめく松明を掲げ、檻の中を見る。影の奥で眠る魔獣は身体を上下させ、眠っている様子を伺わせる。全身を長い毛で覆われているが、そこから伸びている四肢は人間と獣の中間のようなものだった。
アドルフは持っていた剣の柄で檻を叩き、魔獣を起こす。のそのそと身体を起こした魔獣は唸り声を上げるが、同じような存在であるアドルフには、どこか怯えているようにも見えた。
「ごめんよ……戦いの時間が、間もなく来る」
檻を開き、アドルフは魔獣の行き先を松明で掲げて示した。外へと続く道があり、そこを辿っていくと城の入り口付近まで出られる。次々と檻から出される魔獣は、ゆっくりとアドルフに従って外へと出て行った。
「待って……行かないでくれ……母さん……」
不意に、男の声が聞こえた。アドルフが振り向いて松明をかざすと、唯一檻にしがみつき、魔獣の行く末を見ているみすぼらしい男の姿が浮かび上がった。
「……あの中に、君の母上が?」
アドルフが問いかけると、檻から手を離しかけていた男は、再びその鉄柵を掴んだ。
「ええ……ええ、そうです……五番目に出て行った、ネズミの頭の、尻尾が三つに割れた魔獣……あれは、おれの母です……」
檻を掴む男の手は、震えている。
「おれが先になるはずだったのに……王様は、母さんを優先した……可哀想にって、言いながら魔法を、かけて……おれの、目の前で……あんなに、苦しんで……」
涙を堪え、声も震えている。だが男は檻を掴みながら崩れ落ち、ついに啜り泣き始めた。
「戦いに出るのなら……母さんは、死ぬのでしょう……ここにいる、みんなも……メファールの村に、帰れることなく……」
「……」
何も答えられず、アドルフは後ろへ下がった。松明の灯りが離れ、男は闇の中へと溶けていく。
そこへ、アドルフの背中に凄まじい寒気が訪れた。ひたり、ひたり、と人間が靴を履かずに歩いているような音に振り向くと、そこには目の光だけが異様に輝いて見える、立ち上がった影のような存在がいた。
「……ア、アキヒト、様……?」
思わず上擦った声で問いかける。影はゆっくりと目を弧にして微笑むと、檻の中へと目を向けた。
「ここの子たちは、解き放ったんだね」
紛れもなくアキヒトである声に、アドルフはぐっと息を飲み、頷いた。
「先日作った、新しい魔獣は全て……」
「ふうん、そっか。でも、足りないだろうね」
アキヒトの言葉に、アドルフは首を傾げた。身体が小さいものから大きいものまで、合わせて二十体ほどは外へと出した。魔獣だけでなく、アキヒトへ忠誠を誓うエルヴァントの兵士も大勢いる。ましてや、アドルフ自身も戦場へ出るのだ。戦力としては十分だろうと、考えていた。
「足りないのならば……君も出るのか?」
「出ない。はじめのうちは見てるよ」
「見ている……? 彼を、どうするつもりなんだ?」
「本当は仲間にしたかったけど、もう無理だろうね。だから、彼の力だけ貰おうかなって。魔獣と戦わせて、もっと彼の力を引き出させたいんだ」
二人が示す彼とは、拓真のことだ。アドルフは、はっきりと拓真の戦いぶりを見ていたわけではないが、アキヒトの左腕を落としたことからも、相当な実力者だと悟っている。
拓真の力がアキヒトに渡ればどうなるか。想像しただけで、アドルフの腹の底は重く落ちていくような心地だった。
「……そのために、どうする?」
まだ答えが聞けていないと、アドルフは追加で質問をする。その問いに答える前に、アキヒトは前へと歩み出した。その先には、人間がいる檻が一つ。
「ここ、何人いるんだっけ」
「……十五人ほど。他のところにもいるが……」
「ううん、とりあえずそのくらいでいいや」
アキヒトは、スッ、と真っ黒な腕を伸ばした。失ったはずの左腕は、しっかりと指先まで再生している。違いといえば、帯のようなものが各所から垂れ下がっているのと、影のような黒さになったことだ。
先ほどまでアドルフと話していた男は、嗚咽を上げながらアキヒトへと目を向けた。その目は、絶望に包まれている。
「……待て、まさか……!」
アキヒトが何をしようとしているか、アドルフが気付いた時にはもう遅かった。
その手から放たれた黒い魔法の粒子は、凄まじい勢いで檻の中へと向けて放たれた。檻は吹き飛び、怯えて奥に居た人々に黒い魔法の粒子が襲い掛かる。
悲鳴を上げる間も無く、目の隙間、耳の穴、口から粒子は入り込む。やがて血管が黒く浮かび上がり、ボコボコと沸騰した水のように気泡を作り始めた。
「ぉご、お……おぉォオオオ!」
人々の形は変わっていく。膨れ上がり、破れ、新たな姿でその場に倒れ伏せる。
「……!」
かつて自分も同じことをされたアドルフだったが、その光景に目を疑った。
これまで、魔獣は人間と他の生き物を用意し、それらをアキヒトの魔法によって融合させて作りあげていた。なぜなら、アキヒトの強大な魔力を並大抵の人間は受け止めきれずに死んでしまうからだ。だが、アキヒトは今、自身の持つ強大な魔力を直接人々へ注ぎ込んでいる。それはガルトール・ガリオンや、アドルフにもしたことと同じことだった。
紛れもなく人間一人から魔獣を作り出すという、元々できなかったはずのことをやり遂げ、アキヒトは不敵に笑った。
「あは! あははははは! すごい、すごいなあ! 女神様の力があると、もっと自由に魔力を扱える!」
新しい玩具を得た子どものように笑い、アキヒトは魔獣たちへと微笑みかけた。
「さあ、働いてもらうよ。その苦しみを紛れさせるための相手は、もうすぐ来るはずなんだから」
魔獣たちは嘆きのような声をあげながら、ずるずると動き出し、外へと向かう道を辿り始めた。
その中で、先ほどアドルフと話していた男であった魔獣が通りかかる。甲虫のような胴体に人間体が仰向けになって貼り付けられ、眼孔には青い炎が揺らいでいる。魔獣はアドルフを見ることなく、道を辿っていった。
「彼、そろそろ来るよ。どうやら精霊の力を借りて、海を渡ってきているみたい」
アキヒトはアドルフへと振り返り、いやらしく目を細めた。
「頑張ってね、パパ。もし裏切るようなことをしたら……娘もろとも、ドルミナの町は消してあげるから」
アキヒトの姿は霧のように歪み、そして消えていった。
「……僕は……いったい、なにを……!」
握りしめる拳は震えても、それを振りかざすことは叶わない。
腰に携えた剣の柄を掴み、アドルフは深いため息をつく。それから視線を上げ、自身の向かうべきところへと向かうのだった。
―人々が閉じ込められている別の檻の中で、なにかが輝いていることにも気付かずに。