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第92話 元暗殺者は過去と決別する

 この男がシャドウ。

 イザベラの兄で、カトリーナを暗殺者に育て上げた男。

 背まで伸びるブロンドを一つに結わえた、赤い瞳の背の高い知的な美男子。

 右足を支えるように杖をついている。

 だが、イザベラの兄なのかと疑うほど、彼女と似ている個所はない。

 カトリーナはシャドウを見て、恐怖に震えている。


「おお、お前も一緒か」


 カトリーナを見つけたシャドウはご機嫌だった。


「作戦が失敗したあと、軍部に捕らえられたと聞いて心配したんだぞ」


 シャドウはカトリーナに歩み寄る。


(カトリーナは身体を透明にできる。シャドウにとって必要な存在)


 フェリックスは以前してくれたアルフォンスの話を思い出す。

 シャドウはいずれ、特殊な能力を持ったカトリーナを取り戻しにくる。

 その機会が今訪れようとは。


「カトリーナ、もう人を傷つけないってアルフォンスと約束したの」


 カトリーナはフェリックスの脚にしがみつき、震える声でシャドウに反発した。


「お前は人を傷つけることしか才能がない。姿を透明する力があるのも人に近づいて殺すためだ」


 シャドウはカトリーナの発言を全否定した。


「そうなの?」


 カトリーナはその場から立ち上がり、シャドウに近づこうとする。


「カトリーナ、シャドウの声に耳を傾けるな。あれは大嘘だ」


 フェリックスはカトリーナの制服を引っ張り、歩みを止めさせる。


「君は正しい道を進んでいる。アルフォンスの教えを思い出すんだ」

「う、うん!」

「ちっ」


 シャドウの言葉を鵜呑みにし、彼のもとへ向かおうとしたカトリーナだったが、フェリックスの言葉で我に返る。

 カトリーナはフェリックスをぎゅっと抱きしめ、傍から離れなかった。

 思う通りに行かず、シャドウは舌打ちする。


「貴方がここにいるということは……、人さらいは貴方と革命軍の仕業のようですね」


 フェリックスは杖をシャドウに向ける。


「いいのか? 俺はここにいる女共の魔石をいつでも発動できるんだぞ」


 シャドウは傍にいる女に手を伸ばす。


「そうだな……、カトリーナをこちらに寄越すのなら女共を解放してやってもいい」


 シャドウは捕らわれている女性たちを解放する条件にカトリーナを差し出せと取引に出た。


(そんなのどっちも受け入れられない)


 駆け引きなどやったことのないフェリックスは、自身の選択に迷っていた。


「ほう、迷っているな」


 シャドウは苦渋の表情を浮かべているフェリックスを見て口元を緩めた。


「この場はカトリーナを切り捨てるのが合理的だろう? 何故、簡単なことをすぐに決められない」

「ふざけるなっ」


 フェリックスはシャドウの挑発にのり、声を荒げる。


「ファイアショット」


 フェリックスは火の攻撃魔法をシャドウに向けて放つ。

 シャドウは顔をわずかに動かし、フェリックスの魔法を避けた。


(あっ、まずい)


 対象を外した魔法は、拘束された女性の真横の壁にぶつかった。

 女性に当たらずに済んだとフェリックスは肝を冷やす。


「今の貴様は牙が抜けた獣のようだな。昔の闘志はどうした」


(こいつ、転生前のフェリックス・マクシミリアンを知っている!?)


 フェリックスはシャドウの発言に動揺する。


(いいや、あれは挑発だ。二度も騙されるな)


 すぐに考えを捨て、フェリックスはシャドウを睨む。


「貴様は我に魔法を放った。であるなら、取引は決裂。この場にいる女共を花に変えるしかないな」

「そんなの、絶対に――」


 フェリックスは再び攻撃魔法を放とうと詠唱をする。

 しかし、フェリックスの杖の先に泥がついていた。これでは魔法を使えない。

 この戦法はイザベラと同じだ。


「だめ!」


 シャドウが魔石の効果を発動させる前にカトリーナがフェリックスの前に出る。


「これ以上酷いことしないで!」


 カトリーナはシャドウに叫ぶ。


「この人たちは悪いことしてない……、そんな人たちになんで酷いことをするの?」


 カトリーナの声は震えている。

 シャドウはカトリーナの純粋な問いに、笑っていた。


「面白いことを言う。この間まで貴様もそうだったというのに」

「カトリーナはもう――」

「過去をそれで清算できるとでも?」

「……」


 シャドウが言っていることは事実だ。

 カトリーナは人殺しを重ねてきた。

 その罪は永遠に消えない。


「お前は我としか生きられない。だから、戻っておいで、カトリーナ」


 カトリーナはフェリックスから離れ、シャドウの元へ一歩ずつ近づく。


「……カトリーナは罪を背負って生きる! アルフォンスと一緒に!!」


 カトリーナはシャドウの手が届く場所で立ち止まり、自身の決意を叫んだ。


「我に逆らうというのか、生意気な!!」


 カトリーナの発言に激昂するシャドウは、彼女に手をあげようと杖を振り上げた。


「フェリックス! いまっ」

「ウィンドカッター」


 カトリーナの合図と共に、フェリックスはシャドウに攻撃魔法を放った。

 それは、右足を切断する。


(えっ、義足!?)


 切断された右足は吹き飛び、床に転がる。

 しかし、右足を切断したにも関わらず、出血していない。

 シャドウの右足は義足だったのだ。


「貴様、何故魔法を――」

「フェリックスが使ったのはカトリーナの杖」


 義足を失い、支えがなくなったシャドウはその場に跪き、驚きの表情を浮かべていた。 

 カトリーナはフェリックスの元へ戻った後、シャドウにタネ明かしをする。

 フェリックスの前に出た際、カトリーナは背後に自身の杖を隠しており、シャドウの注意を引いている間にそれをフェリックスに渡したのだ。

 魔法を放つ箇所も、右足だとフェリックスにだけ合図を送っていた。


「カトリーナはこれから魔法をいっぱい覚える!! 人を傷つけることはもうしない!!」


 カトリーナははっきりとシャドウとの決別を宣言した。

 シャドウはクククと笑っていた。

 その笑いは大きくなり、高笑いへ変わる。


「なら、この場にいる女共を殺すしかないな!」


 シャドウは自身の魔力を放出し、首輪にはめられた魔石を用いて、この場にいる女性たちの寄生花を開花させようと動いた。


「やめろっ」


 フェリックスが叫んでもシャドウは止められない。

 魔石が次々と割れ、開花の魔法が発動する。

 女性たちが苦しみ、次々と寄生花が開花する悲惨な光景が広がる――。


「……あれ?」


 はずだが、何も起こらない。

 もう終わりだと絶望していた女性たちも、一体なにが起こったのかと言わんばかりの表情を浮かべている。


「あっ、間に合ったー」

「ミカエラ!?」


 皆が混乱している間に、ナタリーに変装したミカエラがフェリックスたちの前に現れる。


「ミカエラちゃんが、操作盤で魔石の条件魔法をぜーんぶ書き換えちゃいました」

「は? 我が構築するのに一週間かけた条件魔法を全て書き換えるだと……!?」

「ミカエラちゃんは天才ですからー、こんなのチョチョイのちょい」


 魔石が発動しなかったのは、別行動をとっていたミカエラが魔石の発動条件を全て書き換えていたからのようだ。

 シャドウの言い分から、かなりの難易度のようだが、ミカエラはものの数十分で書換えた。

 天才だから、という理由でしか表現出来ない。


「くそっ」


 シャドウも天才ミカエラの前では悪態をつくしかない。


「こいつが親玉かな? フェリックス君、さっさと捕まえちゃ――」


 ミカエラがシャドウの拘束を指示した時だった。

 シャドウは屈強な泥人形を作り出し、彼はその手に座っていた。


「今回は特別に見逃してやる。だが――、次会う時はカトリーナを手に入れる」


 泥人形は壁に突進し、突き破る。


「まてっ」


 フェリックスが追いかけようとしたが、泥人形の足は速く、シャドウは逃走してしまった。


「うわー、何もできなくなった悪役ってお決まりのセリフ吐いて逃げるんだね」

「ミカエラ、呑気なことを」

「まあ、あとは――」


 泥人形が突き破った壁越しから、ライサンダー、リドリー、そして軍部の人々が娼館に突入する姿が見えた。


「リドリー先輩がなんとかするし、あたしたちの出番はこれでおしまい」


 ミカエラの言う通り、軍部が突入すればこの事件は一件落着だろう。


「カトリーナは鎖を外して、皆を自由にしてあげたい」


 カトリーナは拘束されている女性の鎖を解いてゆく。


「……そうだね」


 フェリックスもカトリーナの作業を手伝った。

 こうして、フェリックスたちの潜入作戦は幕を閉じたのだった。



 娼館での事件が落着して一週間が経過した。

 フェリックスは新しい制服を着たフローラと共に、チェルンスター魔法学園の応接室にいた。

 対峙する相手はフローラの父、モンテッソ侯爵である。


(この人がレオナールとフローラの父親)


 モンテッソ侯爵は文官で、マクシミリアン公爵と同様、普段は王都で働いている。

 細身の男性で、近接戦闘には長けていなさそうだ。

 容姿は整っており、息子のレオナールが少し老けた印象をもつ。昔は相当モテていただろう。

 モンテッソ侯爵は険しい顔でフェリックスを睨んでいる。


「おたくの学園は警備が甘いようで」


 モンテッソ侯爵が学園にやってきたのは、フローラが人さらいの被害に遭ったからだ。

 奇声花を吐き出させるために、フローラは重傷を負った。その傷はまだ治療中だ。


「申し訳ございません」

「謝罪で済むと思ってるのか! 娘は攫われたあとに――」


 感情的になっていたモンテッソ侯爵は我に返り、言葉を濁す。

 フローラがどのような目に遭ったのかは、男性四名に乱暴されたとアルフォンスから訊いた。


「私は貴方たちを信用して娘を学園に預けていたんですよ! それなのにどうしてっ」


 モンテッソ侯爵は激怒している。

 この状態では何を言ってもフェリックスを責め立てるだろう。


「不徳のいたすところです。申し訳ございませんでした」


 フェリックスはソファから立ち上がり、モンテッソ侯爵に深く頭を下げた。


(僕は誘拐事件が起こることを知っていた。それなのに、フローラの事件を防げなかった)


 フェリックスはゲームの知識で、学園内に革命軍の人間が潜んでおり、後に誘拐事件を起こすと知っていた。

 誘拐されるのはクリスティーナだと思っていたが、ミカエラに「他の女の子が誘拐されるかもしれない」と助言を受けていたのに、それらを生かしきれなかった。


「フローラにチェルンスター魔法学園はふさわしくない! 娘をすぐにピューレス女学院へ編入――」

「お父さま」


 憤慨しているモンテッソ侯爵は以前から計画していたピューレス女学院の話題を切り出した。


(モンテッソ侯爵派フローラをピューレス女学院に編入させる口実を今か今かと待っていた)


 今がその時なのだ。

 今までは校長がモンテッソ侯爵を説得していたが、誘拐事件は学園の警備不足によるもの。ピューレス女学院編入の話をフェリックスたちで引き留めておくことは出来ない。

 在学を続けたいのなら、フローラが自分の意思をモンテッソ侯爵に伝えること。

 フローラはどうモンテッソ侯爵を説得するのだろうか。


「わたしはピューレス女学院へは行きません」

「おまえはこの学園で酷い目に遭ったんだぞ!? それなのに――」

「わたしはこの学園で魔法を学び、自立したいのです」


 フローラはモンテッソ侯爵に自分の意思を伝える。


「自立だと? そんなことは平民の女がすること。お前には婚約者もいるのだ。苦労をする必要は――」

「それとわたし、あの殿方と結婚したくありません。婚約を破棄させてください」

「なんだと!?」

(えっ、婚約破棄!?)


 この場にいるモンテッソ侯爵をフェリックスはフローラの発言に驚愕する。


「わたし、この学園で運命の殿方と出会い、“真実の愛”を見つけましたの!」

「真実の愛!?」

「わたし……、その人の熱い口づけが忘れられないの」


 フローラは運命の殿方を浮かべ、うっとりとした表情を浮かべている傍ら、モンテッソ侯爵は『口づけ』という単語に明らかに動揺している。


「だから、わたしの愛の邪魔をするお父様は……、だいっきらい!」

「だいきらい……、フローラが私のことをだいきらい」


 モンテッソ侯爵はフローラに『大嫌い』と言われ、心に深い傷を負う。


「フローラはおとぎ話のお姫様のように可愛くて、パパが大好きだったはずなのに」

「わたしはお父さまのお人形ではありませんわ」


 ぷいっとフローラが突き放すと、モンテッソ侯爵がおろおろと狼狽え、遂には泣き出してしまった。


「パパはフローラが心配なんだよお! チェルンスター魔法学園は首都から遠くて、なかなか様子を観にこれないんだもんっ」


 まるで子供のようにフローラに駄々をこねる。

先ほどのフェリックスに激怒していた威厳あるモンテッソ侯爵はどこへ行ってしまったんだろうか。


「お父さま、近況を手紙で送っているでしょう?」

「それじゃあ足りないよお! パパはフローラの元気な姿と声が聞きたい!」


 以前はフェリックスが毎日返事を送っていたが、今はフローラが渋々手紙を書いている。レオナール曰く、一週間に一度くらいの頻度でモンテッソ侯爵は手紙が届くと大喜びだとか。


「そうですか……」


 フローラは背に隠していたものをモンテッソ侯爵に見せる。


「わたし、フェリックス先生が顧問を務めている同好会で“通信魔法”を会得いたしましたので、お父さまとこれでお話ができることを楽しみにしていたのですが……」

「っ!?」


 フローラが見せたのは、送受話器を使用するための識別番号。

 機械の増幅効果によって魔力をより遠くまで飛ばし、離れた人と通話をするための魔法道具だ。番号はチェルンスター魔法学園の通信室のようだ。

 とても便利なものだが、豪邸を購入できるほど高価であるのと通信魔法を体得しないと扱えない。そのため、一般家庭に広まっておらず、軍部や役所などの公的施設の連絡手段としてしか使われていない。

 学園にも一台あるが、それは校長と教頭のみ使用可と制限されている。


「校長にお願いして、特別に使用許可をもらいましたの」

「これがあれば、フローラと――」

「パパ」


 フローラはにっこりと微笑み、甘い声でモンテッソ侯爵を呼ぶ。


「チェルンスター魔法学園の通学と婚約破棄。この二つを受け入れてくださったら、フローラはパパと毎日お話できますわ」

「フローラの言うことなんでも聞くから、パパと毎日お話しよう!」


 フローラは笑みを絶やさず、モンテッソ侯爵を手の平で転がしている。

 モンテッソ侯爵は溺愛する娘の声を毎日聞けるのだと歓喜している。すぐにフローラの望み通りになるだろう。


(僕も娘が出来たらモンテッソ侯爵みたいになりそうだな)


 二人のやり取りを傍観していたフェリックスはモンテッソ侯爵を将来の自分と重ね、複雑な感情を抱いた。


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