シマノは思い出した。間もなく川横に聳える崖が音を立てて崩れ、大きな岩が次々降ってくるということを。
そして、凡人のシマノにはそれを防ぐ手立てなどないのであった。
「ユイ、射出機出して! 今すぐ!」
「りょ、了解……?」
いつも冷静沈着なユイも、さすがに突然すぎるシマノの焦りぶりに戸惑っているようだ。
とはいえ、戸惑いながらもきちんと射出機を飛ばして準備してくれるのはありがたい。
「もうすぐ横の崖が崩れる! 岩が降ってくるから、ユイの射出機で壊してくれ!」
「……了解!」
シマノの突拍子もない言葉も、ユイは素直に受け入れてくれた。改めて感謝しつつ、シマノは筏の操縦に集中する。
ユイが崖に視線を向け、射出機をスタンバイさせたタイミングで、崖の上部が揺らいだ。
「……来る」
崩れ始めの微かな音も、ユイの聴覚デバイスは逃さない。すぐさま射出機を展開し、ユイは落石に備えた。
やがて崖の上部が大きく崩れ、危険な大きさの岩が次々と降り注ぐ。こんなものにぶつかってはただでは済まない。
ユイの四基の小型射出機が動いた。的確に照準を定め、危険な岩を片っ端から破壊していく。細かく砕かれた岩の破片たちは川面に着水し、大小さまざまな波を立てる。その変則的な揺れに押し流されぬよう、シマノは必死で櫂を突き立てた。
「ヤバいヤバいヤバいヤバい!」
小さな筏は前後左右に大きく揺さぶられ、シマノたちの足元にざぶざぶと水がかかる。足も櫂も踏ん張って何とかバランスを取ろうとするが、このままでは転覆も時間の問題だ。
「シマノ、前!」
ユイの声にシマノはハッと顔を上げる。揺れを抑え込むのに必死で前方への注意が疎かになっていたようだ。
川幅の半分を占めようかという大きさの岩が川面から突き出ている。それは既にあと数十メートルのところまで迫っていた。うまくやれば脇をすり抜けられなくもないが、この波で、この距離で完遂できるとはとても考えられない。
「うっそだろ……」
全身の力が抜け、シマノは危うく櫂を落としかけた。あんなものにぶつかって、命の保証などあるわけがない。よりによって、こんなミニゲームでゲームオーバーだなんて。
「……いや、まだだ」
生命の危機に瀕し、シマノの脳は急激に冷静さを取り戻した。こんなところで諦めるわけにはいかない。自分だけならまだしも、隣にいるユイまで巻き込んでしまうのは申し訳なさすぎる。
それに何といっても、シマノには可愛い妹が待っているのだ。この世界での死が現実世界にどんな影響を与えるかはわからないが、ミニゲームで命を落として妹に会えなくなったなんて後悔してもしきれない。
「ユイ、射出機の出力を一点に集中させよう! あの岩を壊すんだ!」
シマノの提案に、ユイは悲しげに俯き首を横に振った。
「ごめんなさい、シマノ。降ってくる岩の対処でエネルギーを使いすぎた。残りを全部使っても、あの岩は壊せない」
絶望的な状況だ。だが、それでもシマノは諦めない。即座にウインドウを開き、ユイのステータスを確認する。
「……なるほど、これならもしかしたら」
シマノは一縷の望みをかけてウインドウを切り替えつつ、ユイに声をかけた。
「ユイ、時間がない。射出機の準備を!」
「……了解。貴方を信じる」
ユイだって、このままシマノを岩に激突させるわけにはいかない。射出機を集め、残り数メートルまで近づいた岩に狙いを定める。
「行けっ!!」
ユイに合図するその直前、シマノの指がウインドウに触れる。ユイのMPとシマノのHPがほのかに光り、値が入れ替わる――スワップだ。
「発射!」
ユイの射出機からフル出力の光線が放たれ、すぐ目の前まで迫った岩に風穴を穿った。シマノとユイを乗せた筏はその穴を潜り、見事衝突の危機を回避したのだ。潜り抜けた直後、岩は自重に耐え切れず瓦解し川の底へ沈んでいった。
「やったぁ! さすがユイ……だな……」
「シマノ!」
スワップの効果でHPが極端に減少したシマノはフラフラと倒れ込み、そのまま意識を手放した。
***
「……ここは……?」
目を覚ますと、シマノはベッドに寝かされていた。どこかの宿屋だろうか? シマノは起き上がり、部屋の中を見渡す。
「シマノ、気がついた? 大丈夫?」
ちょうどユイが部屋に入ってきた。心配そうに駆け寄り、ベッドサイドの椅子に腰掛けシマノの顔色を窺っている。
「ユイ! 心配かけてごめん。もう大丈夫」
ユイが安堵の表情を浮かべる。やっぱりだいぶ表情豊かになったな、とシマノは一人感心した。
スワップの効果も切れ、しっかり休んだシマノのHPは完全に回復していた。あの時スワップが使えて本当に良かった。戦闘中ではなかったが、ミニゲーム中も使えるということなのだろうか。
元気になったシマノは、早速気になっていたことをユイに尋ねる。
「川下りの結果は?」
「それなんだけど……」
ユイが気まずそうに視線を逸らす。どうしたのだろうと思っていると、部屋の外から騒々しい足音が近づいてきた。
「おーっ、起きたかシマノ! 次はぜってー負けねーからな!」
キャンが真っ直ぐこちらを指差し高らかに宣言している。どうやら川下り競争には無事勝利できたようだ。
では、何故ユイが気まずそうな顔をしたのか。
「いいかシマノ! 勝ったのはユイが超すごかったからで、シマノはおんぶされてただけだからな!」
「……ん?」
おんぶ、の単語にシマノの思考がフリーズする。そのままじっとユイに視線を向けると、ユイはもじもじと言い訳を始めた。
「筏が狭くて……そうするのが最も効率的だったから……」
「……」
なおもユイに非難の視線を送り続けると、やがて小さな声でごめんなさい、と返ってきた。
「なんだよシマノー、ユイのおかげでオレらに勝てたんだからいいだろー?」
キャンの言うことも一理ある。気を失って戦力外になったシマノの代わりに筏を漕いでくれたのはユイだ。あまり責めるのも申し訳ない気がしてきた。
「もういいよ、ユイ。俺の代わりに頑張ってくれてありがとう」
「シマノ……」
ユイがほっとしたような様子で微笑んだ。
シマノたちが辿り着いたのは、王都アルボスの西方に位置する小さな村「マルゴ」だった。
マルゴにたった一つの小さな宿屋を借り切って、シマノたちは改めて今後の方針について話し合うことにする。
「まずは王都に行って無実の証明、だな」
シマノの言葉に仲間たちが頷く。シマノはさらに言葉を続ける。
「んで、姫様と……怖いけどウティリスにも、パーティに加入してもらおう」
「その前に、我ら地底の民にかつて何があったのか、真実を突き止めたい」
確かにムルの言う通りだ。そもそも今シマノたちは「すべてのおわり」を阻止すべく王家が掲げた目標「魔王討伐」を目指しているが、果たしてそれが本当に正しいのか。地底民に対する仕打ちやティロのこと……行動だけを見れば、とてもではないが王家を掛け値なしに信用することなどできない。
「このまま王家の言うことを鵜呑みにしておくのも危険だ。姫様たちに会って、王家の真意を確かめよう」
シマノたちは王都アルボスで真実を明らかにすることを固く決意し、各々床に就いた。
次の日。マルゴを発ってすぐ、見覚えのある堅固な城壁が見えてきた。少し歩くと、王都の門のそばまであっという間に着いてしまった。マルゴとアルボスはかなり距離が近かったらしい。
「こっ、これが『おうと』……でっけー……」
王都に来るのが初めてのキャンは目を丸くし、口をぽかんと開けて城門を見上げている。その隣でユイも密かに城門と、その奥に聳える世界樹の大きさに感心していた。
「ちょっと、シマノ。まさか真正面から行くつもり?」
「そのつもりだけど?」
捕縛上等、むしろ姫様のところまで連行してもらえるならありがたい。そう考えていたシマノは堂々と門から王都に侵入する算段でいた。
真顔でそう告げるシマノに、ニニィは呆れかえって溜息を吐いた。
「うーん、キミのそういう行き当たりばったりなとこ、嫌いじゃないけど……さすがにこっちから行きましょ、ね?」
ニニィが指し示した先は、いかにも秘密の抜け道然とした地下水路だった。
「これって、俺たちが姫様に案内されたあの水路?」
「たぶんね。お姫様から盗んだ情報だから、そうだと思う」
いつの間にそんな情報を盗んでいたのだろうか。ともかくニニィの先見の明に今回は助けられることとなった。シマノたちは王都の地下水路に足を踏み入れる。鼻の利くキャンが今にも死にそうな顔をしているが、無視だ。
複雑に入り組んだ水路をしばらくの間彷徨うと、見覚えのある地下牢の前に出ることができた。
「うわー懐かしいなー。ここで姫様が助けに来てくれたんだよなー」
「シマノ声を落とせ」
「えっ、シマノ捕まってたのかよ。犯罪者じゃん」
「だからその冤罪をだな……キャン話聞いてたか……?」
「……シマノ、キャン、声を落とせ。さもなくば天井を落とすぞ」
野蛮極まりないムルの注意に震えあがっていると、奥の方から誰かの声が響いてきた。
「しまった、見張りか?」
「だから声を落とせと言っただろう」
「静かに。私が様子を見てくる」
今更になって焦りだすシマノを牽制しつつ、ユイが前に出ていった。シマノたちが見守る先で、ユイは並んだ牢を一つ一つ順番に確認しながら奥へ向かって歩いていく。その足が、止まった。
「! シマノ、来て!」
ユイが焦ったようにシマノを呼ぶ。シマノたちは急いでユイの元に駆け寄る。
「……よォ、久しいなァ、人間のガキ」
奥の牢に囚われていたのは、ラケルタの森で戦ったリザードマンの長――バルバルだった。