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第54話 そういう雰囲気


 凪と一緒に、バスに揺られていると、本格的に気分が悪くなってきた。


(キモチワル……)

 飲み過ぎた。食事もそこそこに切り上げて、ひたすらに飲み続けていたのも悪い。


 バスは、人がまばらだった。凪と達也の他には、初老のサラリーマンと、大学生らしき女性しかいない。


「達也さん、本当に大丈夫?」


 凪が心配そうに顔を覗き込んでくるが、達也には返事をする余裕はない。今、ヘタに声を出すと吐きそうだった。確認すると、あとバス停を二つやり過ごせば到着する。せいぜい、十分くらいだろう。なんとか我慢しなければ、と思っていた所で、凪が、ミント系のタブレットを達也に渡す。


「気休めに」

 ミントの清涼感で、一瞬でも吐き気を忘れることが出来るのならば、それはラッキーだ。


(助かる)

 口に出すことは出来なかったが、ミントのタブレットを口に含んだ。


 爽やかなミントの香気が口いっぱいに広がって、いくらか気分が良くなる。


「今度から、俺も、達也さんの飲む量、気を付けますね……はあ、興水さんも、ちゃんと言っておいてくれれば良かったのに、あの人、もしかしたら、達也さんのことを自宅に連れ込むつもりだったのかも知れないですよね」


 どうやったらそんな思考になるのだろうと思いつつ、今の達也は、ただ、黙って聞いているほかなかった。


 バスは、順調に達也のマンションの最寄りまで到着し、凪と一緒に、バスを降りた。


 管理人は、この時間は不在だった。


「……興水さんって、本当にここに来たことないんですか?」

 凪がしつこい。


「ないよ」

「ならよかった。会社の中だと、俺だけ?」


 凪が聞いてくる。階段を上がって、部屋までたどり着く。ドアを開けると、一日、締めたままだった部屋の空気が淀んでいる。凪の部屋ならば、良い香りがしそうだなと、達也は思う。ここには、ディフューザーの一つもない。


「結構、広いんですね」

「築年が結構あるんだ。それで、中は自由にいじって良いって言われてて、駅からも結構あるし」


「うん。でも、落ち着いてて良いお部屋ですね……さ、それより、スーツ脱いでください。ちゃんと掛けておかないと、皺になるし、寄せ鍋の匂いが染みついてますから」

 凪が手際よく、達也のスーツを奪っていく。


 達也も、うまく思考出来ないらしく、おとなしく脱いでいった。

 スーツとシャツ、下着まで脱いでしまっているが、意識が怪しい。


「ちょっと達也さん、どうします、シャワーとかは?」

「浴びる。気持ち悪い」


 シャワーを浴びるのは、当然だ。達也は、生まれた姿のままで、浴室へ向かう。シャツなどの洗濯物を、小さな洗濯機に放り込んで、浴室に入った。なんとなく、足許がふわふわしている。


「ちょっと待って!」

 凪が慌てて浴室に駆け込んでくる。


 スーツだけ脱いだ姿で、やってきた凪に、達也が抱き留められる。


「なんだよ凪~」

「そんな状態で、シャワー浴びたら危ないですよっ! ちょっと、おとなしくしてて下さい。俺、洗いますから!」


「洗うって、なんのプレイだよ」

 達也が手を振り払おうとして、バランスを崩す。凪の胸に顔を埋める形になった。凪は、手早くシャワーのお湯を出して、そのまま達也の髪を洗い、身体も洗った。


「ん……っ」

 小さな声が達也の口から漏れる。素手にボディソープを付けて洗っていたから、達也の素肌を探っているような形になるのだった。


 あちこち、触れられて反応しているのを、達也はぼんやりと感じていた。


「凪……っ」

「……洗ってるだけですよ」


 と言いながら、胸の突起を執拗に弄られ、奥まったところまで丹念にあらわれて、達也は、反応を隠せなくなってしまっている。


「……っ……凪っ……」

 止めろ、と言いたかったが、声にならなかった。口は、キスで塞がれたからだった。


「ん……っ」

 酔っている頭では、うまく抵抗も出来ない。ただ、凪のキスを受け入れてしまって、唇が離れた途端、なんとなく、物足りなさを感じてしまう。


「……します?」

 凪が、ストレートに聞いてきた。


 たしかに、面倒なやりとりを重ねるより、達也としては、この方がありがたい。


 凪も、達也も、からだは昂っている。


「シャワーでやるのはイヤだ」

 しかし、髪を乾かして身支度をして居るうちに、そういう気分が失せそうだとは思う。


「せっかく、達也さんの家に来たので……、ここでもしたい」

 達也が答えられずにいると、凪が、明るい声をして言う。


「興水さん、会社で残念だったな」

「まあな、結局、トラブルどうしたんだろ」


「興水さんなら、すんなり解決すると思いますよ」

 確かに、それはそうだが、言うほど『すんなり』でないことも、達也は知っている。興水は興水で、彼なりのベストを尽くしているのだ。


「……興水さんと言えば、タク代、貰ってたのにバスで帰っちゃいましたね。俺たち」


 凪に言われて気が付いて、思わず顔を見合わせて笑ってしまった。


「確かに……でも、俺、あの時、タクに乗ってたら、死んでたな。絶対にタクシーの中で吐いてた」


「それは勘弁願いたいですね」

 達也と凪の間に流れていた、『そういう雰囲気』は消えていた。そのことに、すこしだけ、達也はホッとしていた。




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