長官の掛け声が上がった瞬間、
上木の動きには無駄がなく、力強い。さらに、体勢が微妙に崩れると、すかさず狙ってくる。狐の面で視界が狭いはずなのに、こちらの動きは完全に読まれている。このままでは、いずれ上木の攻撃を受けてしまう。
そう判断した私は、素早く上木の攻撃を弾き、一気に間合いを外した。逃すまいと上木はすかさず追撃してくる。だが、それと同時に私は後ろ足を使って間合いを調整する。ちょっと逃げ腰だが、相手の行動パターンを見極めなければ勝機はない。ここは堪え時。どこかで隙を見つけないと…。上木の攻撃をしのぎ、反撃のチャンスを探すが、彼女には隙がない。
強い。この人。
でも、負けるわけにはいかない。
私は意を決して、一歩前に踏み出す。上木の狐面に竹刀を打ち込むと見せかけて、すぐさま胴へと狙いを変えた。だが、気が付くと上木の竹刀は、すでに胴を防御していた。こちらの太刀筋は完全に読まれている。それでも私は、力まかせに胴へ竹刀を打ち込む。しかし、上木は私の竹刀を下からすくい上げた。その瞬間、私の竹刀が宙を舞う。
しまった…!
竹刀を失った私に、上木の竹刀が容赦なく打ち込まれる。私は
あ、危ない。一秒でも遅れていたら、完全にやられていた。安心したのも束の間、上木の攻撃は止まらない。上木は巧みに竹刀を右手から左手へ持ち替える。そして、素早く踏み込みながら、構えを変える。
上木の動きは、剣道とはまるで別物。動きが俊敏な忍者と戦っているようだ。そう思った途端、上木が勢いよく左足で踏み込んでくる。
今度は──突きだ!
私は、反射的に大きくのけぞる。
間髪入れずに、上木の鋭い突きが容赦なく私の喉元を狙う。うわっと声が漏れた。何とか避けるが、上木は足を一歩踏み出し、竹刀を持っていない右手で、まさかの正拳を繰り出してきた。不意の正拳は完全に裏をかかれたが、顔に当たる寸前でなんとかかわす。もはや何でもありだ。
──実戦に競技ルールなんてものはない。相手は実践のつもりで容赦なく来るだろう。
昨日の焔の言葉が
私が竹刀に向かって右手を大きく伸ばしたその時、鋭い衝撃とともに、右腕に激痛が走る。上木の一撃が、私の肘を直撃する。苦痛に顔を歪ませながらも、一歩踏み込み、左手で竹刀を拾い上げる。だが、左手を大きく伸ばした拍子に、思いきりバランスを崩してしまう。視線を走らせると、長官が右手を挙げかけていた。
「まだ戦えます!」
私はつい声を張り上げた。長官が右手をゆっくりと下ろす。だが、この瞬間を逃すまいと、上木は思いきり竹刀を顔面めがけて振り下ろす。私は寝転がったまま、素早く身を
ガンッと、竹刀と竹刀が激しくぶつかり合う。
だが、先ほど上木に攻撃された右手がビリビリと
だが、上木は蹴りをかわして、軽やかに後ろへ跳び、間合いを取る。羨ましいほど身のこなしが速い。今の蹴りは反則だけどお互い様だ。この勝負に勝つためにはそうも言っていられない。
私は立ち上がり、呼吸を整えて再び竹刀を構える。その瞬間、右肘にビキッと鋭い痛みが走る。どうやら、さっきの攻撃は予想以上のダメージとなっているようだ。これでは、まともに上木の攻撃を防げない。どうすれば…。ふと前方に視線を向けると、こちらを睨む丹後がいた。相変わらず、その眼差しは憎悪に満ちている。
そうだ。ここで負けたら、私はきっとどこかへ匿われる。そうなれば、おばあちゃんのことを調べることも、真実もわからないままだ。だけど、この劣勢を挽回して、上木に勝てるのか──。そんな思いが
「凪!!」
ハッとして前を見ると、上木が素早くこちらに駆け寄り、竹刀を振り上げていた。私はしゃがみ込みながら頭上に竹刀を構える。上木は勢いよく竹刀を振り下ろす。さっきと同じ状況。だが、今回の一撃はさらに重い。ビキッと右肘に鋭い痛みが走る。じわじわと拮抗が続き、額に汗がにじむ。ここは力勝負だ。
絶対に、絶対に、押し負けない!
私は
上木は目を見開き、数歩後退して距離を取る。あ、危なかった。でも、もう力勝負はできそうにない。右腕は、軽く
再び、上木に目を向ける。勝負中なのに、丹後のこととか、余計なことばかり考えてしまう。私は頭を強く振った。
思い返せば、いつもそうだ。負ける時は大抵気持ちから負けている。気が散って集中力がなくなったり、相手の強さに圧倒されて逃げたくなったり。そうやって、自分から勝負を降りてしまっているのだ。だから、勝つには心を整え、気迫を叩きつけるしかない。
──どうしても気迫が出せない時はどうするの?
昔、そう父に聞いたことがある。
すると、父はこう答えた。
──まずは深呼吸だ。次に声。大声を出して、自分の気を奮い立たせるんだ。
そうだ。私は絶対に、この人に勝つ!
背筋を伸ばし、右足を前に出す。大声を出しながら重心を前足にかけて、思いきり踏み込んだ。狙うは上木の狐面。私の声に驚いた上木の動きが、一瞬鈍る。
だが、上木は寸前で顔の前に竹刀を構え、攻撃を防いだ。私が再び竹刀を振り下ろした瞬間、右肘に激痛が走る。上木はその隙をついて、私の竹刀を下から思いきり
──今だ!!
私は一気に踏み込み、素早く上木の懐へ入る。次の瞬間、私は上木の胸ぐらを掴み、背負い投げで床に叩きつけていた。