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第23話 迷者

「──ぎ!なぎ!」


 私はハッと目を開けた。すると、ヤトが私の目のすぐ先、十センチくらいのところまで顔を覗き込んでいた。

 私は驚いてつい瞬きをする。考え込んでいる間にうたた寝してしまったらしい。視線を落とすと、体の上にはブランケットがかけられていた。


「大丈夫?うなされてたけど」

「大丈夫、大丈夫」


 私はソファの上で体を伸ばし、あくびをしながらふと居間の時計に目を向ける。時刻は夜七時。それを見た途端、私は青ざめてガバッと起き上がる。


「わ!何?どうかした?」

「晩ご飯!今日は私が作りますって、さっき帰りの車の中で大見栄切っちゃったから!」


 私は慌てて、椅子に掛かっていた焔のエプロンを身に着け、台所へ急ぐ。


「え!?今日は凪が作ってくれるの!?うわあ、楽しみ」


 そう言い、嬉しそうにぴょんぴょん跳ねるヤト。だが、冷蔵庫を開けると、食材はまったくなくガランとしている。目を丸くして静止する私。バサッと隣に降り立ったヤトも首を傾げる。


「あれ?何もないじゃん。そっか!だから焔、さっき出かけていったんだ」

「え?出かけた?」

「すぐ戻るってついさっきね。きっと晩ご飯の材料買いに行ったんじゃないかなあ」


 しばし呆然とする私。その時、居間の扉が開き、焔が帰って来た。


「ただい──」


 私を見るなり、焔はピタッと動きを止めた。彼の鋭い眼差しが、エプロン姿の私に注がれる。「何をしているんだ、コイツは」と思ったのだろうか。私は伏し目がちに、ポリポリと頭をかいて言葉を続けた。


「…晩ご飯作ろうと思ったんですけど、さっきまで寝ちゃってて。すみません!今日も何もしてなくて」


 そう言って頭を下げると、焔はコホンと咳払いをしてサッと大げさに目を逸らす。


「そうだったのか。気にするな、凪。食材が無いのを私もすっかり忘れていた」

「あの、晩ご飯作り手伝います!」


 思わずわちゃわちゃする私。すると、焔は穏やかにこう告げた。


「じゃあ今度。実は、今日はすぐに食べられるものを買ってきた」


 焔は手に持っていたビニール袋を顔の前に掲げる。ビニール袋から透けて見えるのは、四角い箱。あの形状は…。


「ピザだ!!」


 ヤトがぴょんぴょんと跳ねながら喜ぶ。


「凪、棚からグラスと皿を出してくれないか?熱いうちに食べよう」

「は、はい!」


 私はテーブルにコップやお皿を並べる。ヤトはずっとぴょんぴょん跳ねたままだ。余程、ピザが好きらしい。焔が箱の蓋を開けると、そこにはこんがり焼けたベーコンやチーズ、コーンが乗ったピザが。焔はピザを小さくカットして皿に乗せて、ヤトの前へ。さらに、焔は袋の中からワインのような瓶を取り出した。慣れた手つきで開け、グラスに注いで私に差し出す。


「あの、私は未成年なので、お酒は…」

「お酒じゃない。ノンアルコールの炭酸ジュースだ。大丈夫」


 私は微笑み、会釈をして焔からグラスを受け取った。シュワシュワと底から浮き上がった気泡が美しい。ゆっくり鼻を近づけると、ほのかに林檎の香り漂ってきた。


「凪、おめでとう。今日は本当によく頑張ったな」

「おめでとう!凪!これから一緒に頑張ろうね。凪が元の世界に帰るまでだけど」


 焔とヤトにそう声をかけられて、私はつい照れ笑いをしてしまう。


「ありがとうございます!これからよろしくお願いします」


 私と焔がカランとグラスを鳴らすのと同時に、ヤトが「ぴょん」っと一回だけ跳ねた。みんなで乾杯しているような気持ちになりながら、私はジュースを口に含む。喉に落ちる、爽やかな林檎味。グラスを置いて横を見ると、すでにヤトが美味しそうにピザを頬張っていた。焔はワインを一口飲むなり、ヤトのお皿にピザをもう一枚乗せる。ヤトを見つめる彼の表情は、さっきまでとは打って変わり、とても穏やかだ。


「今更ですけど、焔さんとヤトはずっと一緒に暮らしてるんですか?」

「ああ。去年まではな。今年からヤトが君の護衛をするようになって離れていたが。まあ家族みたいなものだ」


 焔の言葉に、ヤトはピザを頬張りながら嬉しそうに頷く。


「そうなんですね」

「そういう君の家族、御父上が確か警察官だったな」

「はい。お父さんは警官で。剣道と柔道をやっていたので、昔からよく一緒に稽古してたんです」

「柔道?」

「なるほどな。それで、あの背負い投げか」


 焔が納得した様子で言った。私は今日の上木との対戦を思い出していた。あの時、上木の懐ががら空きになったのを見て、そうするしかないと思った。竹刀は私の手から離れていたし。半分賭けみたいなものだったけど、どうにか決まって良かった。


「焔ぁ、明日もSPTに行くなら、帰りにスーパーに寄って来て!クルミがないんだ。おやつ分が」


 すると、焔が意味深に微笑む。その様子を見て、私とヤトは首を傾げた。


「残念だが、明日はSPTには行かない」

「え!なんで?」

「明日は朝から移動だ。横浜にな」

「横浜!?」


 私は思わず声を上げて、ヤトと目を見合わせる。


「ああ。我々に与えられた長官直々の極秘任務だ。横浜で人探しをする」

「なんだよそれ?横浜で誰を探せっていうんだよう」

「凪がこっちの世界に来た時、私とヤトは近場のダムからこっちの世界に戻って来た。ヤト、覚えているか?」

「うん!あの辺だったらあのダムが、一番磁場が強かったから安全に装置を作動させて帰って来れたんだよね」


 ダム…。確かに、私が住んでいた市内にはダムがあったっけ。


「私もヤトも、あの日はさすがに慌てていてな。周囲を十分に確認しないまま、こっちの世界へ戻ってきてしまった。その結果、その…」


 急に口ごもる焔。ヤトがすかさず問い詰める。


「何だよ?あの時何があったんだよ」

「いや…。実はその時にある人物が、あの時間帯に偶然ダムにいて、誤ってこっちの世界の、それもなぜか横浜に飛ばされたようなんだ」


 私は思わず目を見開いた。もう一人、この世界──「対の世界」に来た人がいる?


「その人物を探しに行く。どういうわけかこっちの世界に迷い込んでしまった、花丸はなまる耕太こうたという男をな」


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