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第三章 紅牙組編

第24話 伝承

花丸はなまる耕太こうた…さん?ですか?」

「ああ」


 焔は話を続ける。


「花丸耕太。二十五歳。君の家からひと駅離れたところにある、東園大学病院で外科の研修医をしていたらしい」


 そう言って焔は鞄からファイルを取り出し、一枚の写真を見せた。そこには、黒髪で短髪の大人しそうな青年の姿が写されていた。


「東園大学病院って…」


 行ったことはないけど、確かかなりの大病院だ。そんな人が一体どうして…?


「まさかあの時、我々の近くに人がいたとはな。驚いた」

「でも、おかしい!」


 ヤトが両翼をバタバタとさせながら、そう主張する。


「だって装置が作動した時、俺、ちゃんと周りを確認したよ。誰もいなかったもん!」

「まあ、ヤトがそう思うのも無理はない。花丸耕太は、私たちが移動する寸前、思わぬところから近づいてきた」

「どこ?」

「頭上だ」


 ず、頭上!?

 衝撃的な発言に、私は思わず仰け反り、目を丸くする。


「それって、上から落ちてきたってことですか!?」


 焔は頷く。その瞬間、私はサーッと血の気が引いた。落ちて来たということは、つまり──。


「恐らく、ダムに来たのは良からぬことを考えてのことだろう」


 衝撃的な話に、心がついていかなくなっていた。花丸という人は、思い詰めてダムに行ったのか。


「凪が元の世界に戻れるのは、早くて半年後だ。それまでに花丸を見つけて保護するのが、今回の任務だ」


 相槌を打ちながら、私はこっちの世界の来た日のことを思い出していた。周りの風景はさほど変わらないのに、家が忽然こつぜんと消えていて、みんなが私のことを知らない。あの時の驚きと孤独感を思い出すと、今でも胸が苦しくなる。、花丸という人も、きっと今ごろ戸惑っているに違いない。それに、そんなに思いつめていたならなおさら…。


「あ、焔!あの装置、SPTにちゃんと返した?」

「そういえば、すっかり忘れていた。横浜の用事が終わったら返しに行くか」


 装置?装置ってあの並行世界を行き来できるっていうあの…?


「早く返さないと、事務のおばちゃんにどやされるよ、また」

「もう慣れた」


 二人は何やら「並行世界を行き来できる装置」について話をしている。そういえば…。私はずっと疑問に思っていたことを口にしてみた。


「今更なんですけど、その装置って何なんですか?」


 しばしの間。焔は俯いたまま、軽く目を泳がせる。そんな彼の様子を、ヤトが珍しくいぶかしげな表情で見つめていた。


「……そういえば、装置の具体的な話はしてなかった、かも」

「焔あぁ~」


 ヤトがテーブルの上を跳ねながら、焔に詰め寄る。突然の行動に驚いたのか、焔は目を見開いて両手を広げた。


「いや…。あまり色々話すと、かえって混乱させるかと…」

「そういうところ、良くないよ!スパイがいたことも、決闘が決まった時も、凪のこと置いてけぼりで勝手に話進めてさあ~」

「うむ…。その通りだ。以後気をつけよう。悪かった、凪」

「え!?や、全然」


 焔さんにお説教とは…!

 プリプリ怒るヤトに尊敬の眼差しを送る私。すると、ヤトが私に向き直り、コホンと咳払いをひとつ。次の瞬間、彼は胸を張ってこう声を上げた。


「俺が説明するね!ホラ、焔!出して出して!」


 得意顔のヤトの言われるがまま、焔がテーブルにある物を出す。それは、直径三センチメートルほどの黒光りした石と木製の箱だった。


「これね、『境界石きょうかいせき』っていうんだ。並行世界を行き来するために必要な、磁場エネルギーを溜める石なんだよ」


 私は前かがみになってまじまじと石を見る。一見黒だが、濃い赤のような、紫のような深みのある色だ。


「綺麗な石だね、すごく…」

「でしょ!でもね、この石はエネルギーを溜めるだけで、これだけじゃ並行世界は行き来できない。そこで必要になるのが、この『装置』ってわけさ!ホラ、焔!」

「はいはい」


 焔がゆっくりとテーブルに置かれた木箱を開ける。そこには精巧に作られた美しい円形のコンパスが収まっていた。コンパスの外縁にはメモリと数字が細かく刻まれていて、中央には丸いくぼみがある。


「この丸いくぼみに境界石を入れると、装置が発動して並行世界を行き来することができるんだ!すごいでしょ!」

「すごーい!SF映画みたい!それで、今はこの石にエネルギーが溜まってない状態ってこと?」

「そう。俺たちが使っちゃったからね。焔!試しに石、コンパスにはめてみて」


 言われるがまま、焔が石をコンパスにはめる。すると、コンパスの針が少し上に動いて、メモリの一と二の間でピタリと止まった。


「磁場エネルギーが溜まると、針が動くんだ。メモリは今溜まっているエネルギーの数値。この針が『100』のところに止まれば、並行世界を行き来できるってワケ!」

「なるほど!これが溜まるまで半年かかるんだね」

「そういうこと」


 色々わかってきた。そして…。


「確か、これを作ったのがおばあちゃん、なんでしたっけ?」

「ああ。境界石や装置を開発したのは、幸村藍子たち研究チームだ」

「研究チーム?」

「そう!十人くらいだったかな。凪のおばあさんがリーダーで、色々凄い開発してたんだよ。この境界石だけじゃなくて、飛石ひせきもそうだし。もしかしたら、時紡石じぼうせきも!」

「飛石はあるが、時紡石は半分都市伝説みたいなものだろう」

「そうだけど!伝承もあるし、本当にあるかもしれないじゃんか」

「伝承?」

「そう!この境界石と、飛石、そして時紡石っていう三つの石にまつわる伝承だよ。父さまから聞いたんだけどね…」


 ヤトはコホンと咳払いをすると、ゆっくりと目を閉じ、静かに語り出した。



── 血と血の魂が出逢う時

昏明こんめいの刻 影月えいげつ紅く染まりし時

飛石ひせき 境界石きょうかいせきは力を纏い始めん

放たれしその力にて

八咫烏やたがらすは選ばれし魂を聖所へと導く

二つの石を手にせし時

対なる者は力を放ち

時を超えし紡石ぼうせきへの道を開かん ──



「…ヤト?」


 いつもの軽快な言い回しとは異なる雰囲気に、私は思わず息を呑んだ。神秘的な内容と、それを話すヤトの表情につい見入ってしまったのだ。


「これ、俺の家…八咫烏の一族に伝わる言い伝えなんだ」


そうだ。確かヤトは「八咫烏」の一族だと前に焔が言っていたっけ。


「この話に出てくる境界石はコレでしょ」


 ヤトが目の前の境界石を羽でピッと指し示す。


「で、飛石っていうのは磁場エネルギーを溜めて瞬間移動ができる石。これも実在するんだよ!」

「本当に?」


 ヤトが楽しそうに頷く。すると、すかさず焔がこう補足した。


「だが、飛石も境界石もせいぜい三つくらいだ。この境界石はSPTで管理しているもので、君を護衛するために特別に借りたものだ」

「へえ…。それじゃあ『時紡石』っていうのは?」

「時紡石は、時空を越えて過去や未来に行けるって言われている伝説の石だよ。まだ誰も見たことないけど、伝承でも名前が出てるし、きっとあるって、俺信じてるんだ!」


 夢物語みたいな話に私は胸がときめいた。確かに、並行世界の行き来や瞬間移動ができる石があるなら、時空を越える時紡石もありそうな気もする。だが、焔は懐疑的な様子だった。


「まあ、時紡石に関しては都市伝説みたいなものだ。本当に実在していたら、石を巡って今ごろ大騒ぎになっている」

「でもさ、そんなのわかんないじゃんか」


 心なしか、少しだけしょんぼり気味のヤト。私はそっと彼に顔を近づけて、こう尋ねる。


「ねえ、ヤトは時紡石があったらどこに行きたいの?過去?未来?」


 私の質問が不意だったのだろうか。ヤトは目をパチパチさせたかと思うと、うーんとしばらうなると、突然楽しげに両翼りょうよくをバサッと広げた。


「未来だよ!」

「なんで?」

「凪が俺のお嫁さんかどうか、確かめなきゃ!」

「え?ええぇぇ!?」


 唐突過ぎる発言に、思わず声が出る私。横を見ると、焔が目を細めて笑っていた。


「凪、どうする?」

「どうするって…?」

「ちゃんと返事をしてやらないと」


 ヤトを見ると、目をキラキラと輝かせている。これは、紛れもなく期待を込めた眼差し。いや、ここは年上のお姉さん(多分)として、しっかり説明しなければ…。


「あのさ、ヤトは、その…。カラスじゃん?」

「そうだけど?」

「カラスと人間って、まあ、普通は結婚できないんじゃないかなあー」


 私はなるべくナチュラルなトーンで伝えてみる。素直なヤトならこれで言いくるめられるはず…。そう思ってチラリとヤトを見ると、意外や意外。彼は挑戦的な眼差しで微笑んでいた。


「ふっふっふ」


 思わぬ反応に、私は首を傾げる。なんだ?この余裕の笑みは…?


「そんなことは些細な問題さ!だって…」

「だって?」


 ヤトは胸を張って、こう言い放った。


「俺にはね、まだ凪が知らない、格好いい秘密があるんだ!」

「格好いい『秘密』?」

「うん!八咫烏としての秘密がね!でも今は内緒。凪、きっとビックリするよ!」


 楽しそうにぴょんぴょん跳ねながら話すヤトを見て、私はポカンとしていた。ヤトの秘密…?焔を見ると、意味深な笑みを浮かべている。この感じ、さては…。


「焔さん、知ってるんですね!ヤトの秘密!」

「さあ、どうだかな」

「言うなよ、焔!絶対!」

「はいはい」


 冗談と笑いが飛び交う、賑やかな食卓。だけど、その明るさの裏で、なぜか私の心にはヤトが語った八咫烏の伝承がいつまでも残っていた。


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