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第123話 聖所

「幸村藍子の家?」


 焔に疑念を含んだ視線を送る丹後。だが、そんな丹後に彼はゆるやかに頷き、こう応えた。


「ああ。彼女は結婚後、北海道で暮らしていた。凪は家族と何度もその場所を訪ねている」

「待って、焔。気になることがある」


 そう言うと、天宮は視線を逸らし、顎に手を添えたまま黙り込む。やがて思考がまとまったのか、静かに疑問を焔へと投げかけた。


「家は何年も同じ場所にあったはず。だとすると、重要なのは場所より『日時』じゃないかな?それを突き止めないと…」


 天宮の疑念はもっともだ。焔の話によると「聖所」は、日時と場所がかなり限定されている。一方、おばあちゃんの家は二十年以上同じ場所にあった。つまり鍵は「場所」以上に「日時」なのだろう。


「凪、思い当たることはないか?特定の期間、その場所にあった物とか」

「何か…何か……」


 私は目をぎゅっと閉じて必死に頭を巡らせる。

 でも、焦れば焦るほど、記憶の糸は遠のいていく。何かひっかかっている気はするのに、出てこない。


 どうして思い出せないのだろう。

 あと一歩なのに──。


「凪さん」


 柔らかな声に私は顔を上げた。天宮だ。彼はさざ波のような穏やかな表情を浮かべながら言葉を続ける。


「焦らなくても大丈夫。君は昔、おばあさんと色々な遊びをしていたんだよね?思い出せることから、ゆっくり話してみて。僕たちが一緒に答えを探すから」


 隣を見ると、焔もどこか安心させるように微笑んでいた。二人の表情を見て私は胸を撫で下ろす。そして慎重に、記憶の引き出しを探るように言葉を紡いだ。


「おばあちゃんと一緒にしたことは…おとぎ話を聞いたり、お絵かきしたり、かくれんぼしたり…」

「へえ。楽しかった?」


 天宮の問いは、会議中とは思えないほど優しくて自然だった。私は思わず、ふっと笑みをこぼす。


「はい!おばあちゃん、私が描いた絵、全部大事に取ってくれてたんです」

「そうなんだ」

「おばあちゃんも絵が上手で、おじいちゃんの似顔絵とか、お花の絵とか、たくさん描いてくれて」

「絵?」


 焔の声が、不意に静寂をうように届く。彼は思索しさくを巡らせるように目を伏せた後、小さく呟いた。


「…君は、その絵を取っておいたのか?」

「はい!ある時おばあちゃんが木箱を持って来てくれて、その中に全部……」


 その瞬間、胸の奥で何かが弾けた。

 言葉が、思考が、心が──急にひとつの点に集まっていく。


 もしかして、もしかして…!?


「凪?」


 気が付くと、私は思わず焔の腕を掴み、声を張り上げていた。


「お…思い出しました!!あの時の木箱です!」

「木箱?」

「おじいちゃんのお葬式の後、家族で海に遺灰をいたんです。その時、おばあちゃんが木箱も持って来ていて、それを海に落として…手が滑ったって言ってたけど、あの箱にはおじいちゃんの思い出の品がたくさん詰まってて」


 こみ上げてくる思いが止まらず、つい声が震える。私は言葉を重ねるごとに、どんどん早口になっていった。


「あとで、私にだけこっそり教えてくれたんです。『あの箱は手が滑ったんじゃなくて、海にいるおじいちゃんに渡したの』って」

「…つまり、彼女は意図的に木箱を海へ?」

「はい!」


 次の瞬間、場が水を打ったように静まり返る。やがて、江藤が疑わしげに眉を上げ、沈黙を破った。


「その中に磁場エネルギーが?でも、単に思い出の品を手向たむけただけかもしれない。それだけじゃ…」


 確信に突き動かされるように、私は首を振る。そして、焔の腕をさらに強く掴んだ。


「間違いありません!おばあちゃん、その時こう言ってたんです!」


 ──あの箱は私の宝物なの。でもあれは、未来の凪が受け取ることになる。この日のこと、きっと凪なら忘れない。だってこの日は──


「……十二年前の六月一日。あの木箱を海に流した日は、私の五歳の誕生日だったんです!」


 ざわつく胸に、あの日の記憶が波のように押し寄せる。


「正確には、その日の夕方、家族で海に行きました。夕方まで、木箱はおばあちゃんの部屋にありました。その日以外、木箱がどこにあったのかはわかりません。だけど、十二年前の六月一日なら、木箱は確実におばあちゃんの部屋にあります!」


 言い終えた瞬間、全員が顔を見合わせ、空気がふっと緩む。そして、焔がそっと、私の頭に手を置いた。


「…よく思い出した、凪!」


 焔の声が耳に触れた瞬間、頬に微笑みが浮かんだ。その温もりが残る中、長官が穏やかに口を開いた。


「つまり、『聖所』は…」

「十二年前の六月一日の日中、場所は幸村藍子の部屋。そこを指し示していたのです」


 焔の言葉に、長官はふうっと深く息を吐き、椅子の背にもたれた。その姿は、長年の重圧が抜けていくようだった。だが、その静けさを破るように、丹後が低く呟いた。


「…どうしてもせない。ここまで巧妙に隠された磁場エネルギーの在処を、ミレニアが知るはずがない。なのに、なぜ奴らは執拗しつよう時紡石じぼうせきを発動させようとする?怪しい場所を手あたり次第探すつもりなのか?」

「いや──」


 焔が割って入る。その声はいつも通り落ち着いてはいるが、冷え切っていた。


「磁場エネルギーの在処がわからないなら、奴らに残された手はひとつしかない。隠した張本人である幸村藍子。ミレニアは時紡石を使い、彼女を過去から引きずり出して吐かせるつもりなのだ」


 その言葉に私の顔が一気に強張る。幹部たち、長官も焔の言葉に驚きを隠せない様子だ。


「凪を狙った理由のひとつも、それだ。凪が磁場エネルギーの場所を思い出さなくても、いるだけで交渉材料になるからな。それに、ミレニアの女帝である桂木芙蓉ふようは、幸村藍子に異常なほど執着している。過去にさかのぼり、幸村藍子を地獄に引きずり込もうと考えていても、なんら不思議ではない」

「ほ、焔…。その…もうちょっと…言葉を選んだ方が…」


 江藤は恐る恐る声を上げつつ、私をちらりと見た。私を気遣ってくれたのだろう。だが、焔は毅然きぜんと言葉を続ける。


「心配ご無用。これしきの話にひるむほど、うちの凪はやわではない。それに…」


 その言葉とともに、焔の視線が真っ直ぐ私に向けられる。

 炎が宿ったかのような強い眼差しに一瞬ドキリとしたその時──。


「ミレニアに凪は渡さない。何があっても私が守る」


 静まり返る会議室。しばしの間の後──。


 ──ゴンッ!🔥


「な、凪さん!?」

「どうした?」

「大丈夫?」


 幹部たちの驚いた声が飛び交う。

 それもそのはず。焔の言葉に反応した私が、思いきり机に突っ伏したのだ。


「な、なんでもありませんっ…ちょっとクラっと来ちゃって」


 顔を真っ赤にしながら、私は慌てて両手をパタパタと振った。すぐ隣では、焔が首を傾げて私を見ている。


 この人…自覚、ないのかな?


 二日前、屋根の上で話をしてからというもの、彼の言葉のひとつひとつにドキドキして仕方がない。


 真面目な話をしていても、突然冷静なトーンで「守る」とか「離れない」とか、破壊力のある言葉を放ってくるものだから、まともに息もできない。正直、心臓に悪すぎる。


 私は鼻血が出そうになるのをグッと堪え、誤魔化すように咳払いをする。その時、長官が真剣な表情でゆっくりと皆を見渡した。


「…よろしい。まずは十月。中央刑務所での決戦に備える。瓜生を捕らえ、飛石ひせきを奪取。飛石と境界石きょうかいせき、そして焔と凪さんの『血の力』を使って時紡石を安全に発動させる。その後…君たちにはヤトと共に、過去へ向かってもらう」


 長官の言葉に私は背筋を伸ばし、深く頷いた。

 その時、長官の表情が僅かに変わる。彼は口元を引き結び、焔に向き直った。


「最終決戦を迎える前に、大事な話がある。焔、君の…御影一族に関わる話だ。この場で話しても?」


 その瞬間、焔の瞳が僅かに揺れた。しばしの沈黙の後、彼は覚悟を決めたように静かに頷いた。 


「よろしい。心して聞きなさい。これから話すのは、ミレニアに捕らわれている、御影安吾のことだ」


 その言葉が響いた瞬間、私の心臓が小さく跳ねた。長官の瞳に宿っていたのは長官としての威厳ではなく、そっと心に寄り添うような、父のような温かさだった。


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