「幸村藍子の家?」
焔に疑念を含んだ視線を送る丹後。だが、そんな丹後に彼はゆるやかに頷き、こう応えた。
「ああ。彼女は結婚後、北海道で暮らしていた。凪は家族と何度もその場所を訪ねている」
「待って、焔。気になることがある」
そう言うと、天宮は視線を逸らし、顎に手を添えたまま黙り込む。やがて思考がまとまったのか、静かに疑問を焔へと投げかけた。
「家は何年も同じ場所にあったはず。だとすると、重要なのは場所より『日時』じゃないかな?それを突き止めないと…」
天宮の疑念はもっともだ。焔の話によると「聖所」は、日時と場所がかなり限定されている。一方、おばあちゃんの家は二十年以上同じ場所にあった。つまり鍵は「場所」以上に「日時」なのだろう。
「凪、思い当たることはないか?特定の期間、その場所にあった物とか」
「何か…何か……」
私は目をぎゅっと閉じて必死に頭を巡らせる。
でも、焦れば焦るほど、記憶の糸は遠のいていく。何かひっかかっている気はするのに、出てこない。
どうして思い出せないのだろう。
あと一歩なのに──。
「凪さん」
柔らかな声に私は顔を上げた。天宮だ。彼はさざ波のような穏やかな表情を浮かべながら言葉を続ける。
「焦らなくても大丈夫。君は昔、おばあさんと色々な遊びをしていたんだよね?思い出せることから、ゆっくり話してみて。僕たちが一緒に答えを探すから」
隣を見ると、焔もどこか安心させるように微笑んでいた。二人の表情を見て私は胸を撫で下ろす。そして慎重に、記憶の引き出しを探るように言葉を紡いだ。
「おばあちゃんと一緒にしたことは…おとぎ話を聞いたり、お絵かきしたり、かくれんぼしたり…」
「へえ。楽しかった?」
天宮の問いは、会議中とは思えないほど優しくて自然だった。私は思わず、ふっと笑みをこぼす。
「はい!おばあちゃん、私が描いた絵、全部大事に取ってくれてたんです」
「そうなんだ」
「おばあちゃんも絵が上手で、おじいちゃんの似顔絵とか、お花の絵とか、たくさん描いてくれて」
「絵?」
焔の声が、不意に静寂を
「…君は、その絵を取っておいたのか?」
「はい!ある時おばあちゃんが木箱を持って来てくれて、その中に全部……」
その瞬間、胸の奥で何かが弾けた。
言葉が、思考が、心が──急にひとつの点に集まっていく。
もしかして、もしかして…!?
「凪?」
気が付くと、私は思わず焔の腕を掴み、声を張り上げていた。
「お…思い出しました!!あの時の木箱です!」
「木箱?」
「おじいちゃんのお葬式の後、家族で海に遺灰を
こみ上げてくる思いが止まらず、つい声が震える。私は言葉を重ねるごとに、どんどん早口になっていった。
「あとで、私にだけこっそり教えてくれたんです。『あの箱は手が滑ったんじゃなくて、海にいるおじいちゃんに渡したの』って」
「…つまり、彼女は意図的に木箱を海へ?」
「はい!」
次の瞬間、場が水を打ったように静まり返る。やがて、江藤が疑わしげに眉を上げ、沈黙を破った。
「その中に磁場エネルギーが?でも、単に思い出の品を
確信に突き動かされるように、私は首を振る。そして、焔の腕をさらに強く掴んだ。
「間違いありません!おばあちゃん、その時こう言ってたんです!」
──あの箱は私の宝物なの。でもあれは、未来の凪が受け取ることになる。この日のこと、きっと凪なら忘れない。だってこの日は──
「……十二年前の六月一日。あの木箱を海に流した日は、私の五歳の誕生日だったんです!」
ざわつく胸に、あの日の記憶が波のように押し寄せる。
「正確には、その日の夕方、家族で海に行きました。夕方まで、木箱はおばあちゃんの部屋にありました。その日以外、木箱がどこにあったのかはわかりません。だけど、十二年前の六月一日なら、木箱は確実におばあちゃんの部屋にあります!」
言い終えた瞬間、全員が顔を見合わせ、空気がふっと緩む。そして、焔がそっと、私の頭に手を置いた。
「…よく思い出した、凪!」
焔の声が耳に触れた瞬間、頬に微笑みが浮かんだ。その温もりが残る中、長官が穏やかに口を開いた。
「つまり、『聖所』は…」
「十二年前の六月一日の日中、場所は幸村藍子の部屋。そこを指し示していたのです」
焔の言葉に、長官はふうっと深く息を吐き、椅子の背にもたれた。その姿は、長年の重圧が抜けていくようだった。だが、その静けさを破るように、丹後が低く呟いた。
「…どうしても
「いや──」
焔が割って入る。その声はいつも通り落ち着いてはいるが、冷え切っていた。
「磁場エネルギーの在処がわからないなら、奴らに残された手はひとつしかない。隠した張本人である幸村藍子。ミレニアは時紡石を使い、彼女を過去から引きずり出して吐かせるつもりなのだ」
その言葉に私の顔が一気に強張る。幹部たち、長官も焔の言葉に驚きを隠せない様子だ。
「凪を狙った理由のひとつも、それだ。凪が磁場エネルギーの場所を思い出さなくても、いるだけで交渉材料になるからな。それに、ミレニアの女帝である桂木
「ほ、焔…。その…もうちょっと…言葉を選んだ方が…」
江藤は恐る恐る声を上げつつ、私をちらりと見た。私を気遣ってくれたのだろう。だが、焔は
「心配ご無用。これしきの話に
その言葉とともに、焔の視線が真っ直ぐ私に向けられる。
炎が宿ったかのような強い眼差しに一瞬ドキリとしたその時──。
「ミレニアに凪は渡さない。何があっても私が守る」
静まり返る会議室。しばしの間の後──。
──ゴンッ!🔥
「な、凪さん!?」
「どうした?」
「大丈夫?」
幹部たちの驚いた声が飛び交う。
それもそのはず。焔の言葉に反応した私が、思いきり机に突っ伏したのだ。
「な、なんでもありませんっ…ちょっとクラっと来ちゃって」
顔を真っ赤にしながら、私は慌てて両手をパタパタと振った。すぐ隣では、焔が首を傾げて私を見ている。
この人…自覚、ないのかな?
二日前、屋根の上で話をしてからというもの、彼の言葉のひとつひとつにドキドキして仕方がない。
真面目な話をしていても、突然冷静なトーンで「守る」とか「離れない」とか、破壊力のある言葉を放ってくるものだから、まともに息もできない。正直、心臓に悪すぎる。
私は鼻血が出そうになるのをグッと堪え、誤魔化すように咳払いをする。その時、長官が真剣な表情でゆっくりと皆を見渡した。
「…よろしい。まずは十月。中央刑務所での決戦に備える。瓜生を捕らえ、
長官の言葉に私は背筋を伸ばし、深く頷いた。
その時、長官の表情が僅かに変わる。彼は口元を引き結び、焔に向き直った。
「最終決戦を迎える前に、大事な話がある。焔、君の…御影一族に関わる話だ。この場で話しても?」
その瞬間、焔の瞳が僅かに揺れた。しばしの沈黙の後、彼は覚悟を決めたように静かに頷いた。
「よろしい。心して聞きなさい。これから話すのは、ミレニアに捕らわれている、御影安吾のことだ」
その言葉が響いた瞬間、私の心臓が小さく跳ねた。長官の瞳に宿っていたのは長官としての威厳ではなく、そっと心に寄り添うような、父のような温かさだった。