──御影安吾。
焔が「
だが、彼は
「十日ほど前、栃木県内にあるミレニアの拠点と思われる屋敷で、ある女性が、『裏切り者』として捕われたそうだ」
私は一瞬きょとんとした。御影安吾の話が始まると思い、身構えていたからだ。「女性の裏切り者が捕えられた」とは、どういうことなのだろう?
見渡せば、他の幹部たちも一様に困惑した表情を浮かべている。沈黙の中、長官は静かに続きを語り始めた。
「その女性の名は、桂木
会議室にざわめきが広がる。
実の娘が、母である芙蓉──ミレニアに捕われた?
「一体なぜ、実の娘が…?」
「詳しい事情は不明だ。ただ、その桂木咲良が捕われた際、ある男が突如ミレニアの者たちに斬りかかり、数名の負傷者が出たという」
焔の眉が動いた。思わず、全員が息を呑む。
まさか…その男の人は…。
「江藤、続けてくれ」
長官の指示を受けて、江藤が全員を見渡した。どうやら、この情報を得たのは彼の部隊らしい。
「その男は両手足に
江藤は言葉を区切ると、目の前の書類を手に持ち、こう言葉を続けた。
「身長百八十センチ前後、細身で眼光鋭く、肩まで伸びた銀髪──人狼族だ」
その瞬間、焔の目が驚きに見開かれる。
江藤の報告は、冷静さを保ちつつも確かな熱を帯びていた。
「事件の日、ミレニアの者は取り乱しながらこう叫んだらしい」
──聞いてない。こいつが起きているなんて。
場の空気が、ぴたりと凍りつく。
「起きている──」ということは…。
私が声を失っていると、丹後がぽつりと低く呟いた。
「…まさか、御影安吾はずっと眠らされていたのか?眠ったまま、血を奪われていたと…?」
「あるいは、眠ったフリ、自我を失ったフリをしていたのかもしれんな」
長官の静かなひと言が、その場に重く響く。
「両手足には枷。頑丈に閉ざされた場所に幽閉されていたとすれば、逃げるのは難しい。それでも安吾は、ずっと逃げる機会を
この長官の発言に、丹後は微かに眉をひそめる。彼の視線は、落ち着きなく揺れていた。
「ミレニアの拠点は、軍の基地並みのセキュリティが施されているはずです。頑丈に閉ざされた空間、電流の柵に侵入防止のトラップ…。逃げるなど…」
「協力者がいたのだよ。──桂木咲良。彼女はきっと、安吾の協力者だった」
長官は静かにそう告げると、椅子の前掛けに手を置き、言葉を続けた。
「ただ、不可解な点もある。なぜ桂木芙蓉が、娘の咲良を安吾と接触させたのか。どういった経緯で、安吾と咲良が協力関係を築いたのか…そこまではわからないがね。とはいえ、確かなこともある。安吾は確実に生きている。そして、自我も失ってはいない」
すると、丹後の重いため息が聞こえた。安吾の行動がどうしても
「桂木咲良の手を借りるなど…理解できん。あの桂木芙蓉の娘だぞ。それに身を呈して彼女を助けようとするなど…これまで築き上げてきた全てを自ら壊すようなものではないか」
言いながら丹後は首を振る。彼はどうしても、安吾の行動に釈然としない様子だった。私は少し迷った後で、ゆっくりと口を開く。
「あの…もしかして、咲良さんは安吾さんにとって、特別な存在だったんじゃないでしょうか。例えば…恋人とか」
その言葉に、空気がぴたりと止まった。焔をはじめ、全員の視線が私に向けられる。そんな中、私はそっと目を伏せる。心に浮かんだのは、安吾と咲良のことだった。
咲良は安吾の孤独の隙間に、温かさを届けた人なのではないだろうか。私にはなんとなく、そんな気がしてならなかった。
「…焔」
長官が静かに名を呼ぶ。その声色は、厳格さはまるで感じられないほど穏やかだった。
「お前が自らの血を呪っていることには、ずっと気付いていた。だが…」
長官の目が微かに潤む。焔がこれまで、どれほどの覚悟で剣を握り続けてきたか。歩みの重さを改めて嚙みしめるような、そんな表情だった。
「お前にはお前の人生がある。もちろん安吾にも。それを
その言葉は、息子に語りかける父親のようで、とても温かくて真っ直ぐだった。焔は僅かに顔を伏せた後、静かに息を吸い、前を見据える。
「長官…龍之介さん。それに凪、天宮。みんな…。心配をかけてすまなかった」
焔は静かに、深く頭を下げた。彼の姿から感じるのは、長く積み重ねてきた決意の重み。そして、再び生まれた、新たな覚悟だった。
「もう迷いはない。この名に懸けて、御影安吾を救い出す」