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第124話 一志

 ──御影安吾。


 焔が「ひょう」と呼ぶ、御影一族・本家の末裔。

 だが、彼はさらわれ、以降の消息は途絶えたまま。生存していることは確かだが、それ以上のことはわからなかった。


「十日ほど前、栃木県内にあるミレニアの拠点と思われる屋敷で、ある女性が、『裏切り者』として捕われたそうだ」


 私は一瞬きょとんとした。御影安吾の話が始まると思い、身構えていたからだ。「女性の裏切り者が捕えられた」とは、どういうことなのだろう?


 見渡せば、他の幹部たちも一様に困惑した表情を浮かべている。沈黙の中、長官は静かに続きを語り始めた。


「その女性の名は、桂木咲良さくら。ミレニアの女帝、桂木芙蓉ふようの一人娘だよ」


 会議室にざわめきが広がる。

 実の娘が、母である芙蓉──ミレニアに捕われた?


「一体なぜ、実の娘が…?」

「詳しい事情は不明だ。ただ、その桂木咲良が捕われた際、ある男が突如ミレニアの者たちに斬りかかり、数名の負傷者が出たという」


 焔の眉が動いた。思わず、全員が息を呑む。

 まさか…その男の人は…。


「江藤、続けてくれ」


 長官の指示を受けて、江藤が全員を見渡した。どうやら、この情報を得たのは彼の部隊らしい。


「その男は両手足にかせをつけられていた。枷で腕が裂け、出血してもひるむことなく敵に飛びかかり、数名を負傷させた。情報は断片的で証言も揃っていない。ただ、身体的な特徴の報告が上がっている」


 江藤は言葉を区切ると、目の前の書類を手に持ち、こう言葉を続けた。


「身長百八十センチ前後、細身で眼光鋭く、肩まで伸びた銀髪──人狼族だ」


 その瞬間、焔の目が驚きに見開かれる。

 江藤の報告は、冷静さを保ちつつも確かな熱を帯びていた。


「事件の日、ミレニアの者は取り乱しながらこう叫んだらしい」


 ──聞いてない。こいつが起きているなんて。


 場の空気が、ぴたりと凍りつく。

 「起きている──」ということは…。

 私が声を失っていると、丹後がぽつりと低く呟いた。


「…まさか、御影安吾はずっと眠らされていたのか?眠ったまま、血を奪われていたと…?」

「あるいは、眠ったフリ、自我を失ったフリをしていたのかもしれんな」


 長官の静かなひと言が、その場に重く響く。


「両手足には枷。頑丈に閉ざされた場所に幽閉されていたとすれば、逃げるのは難しい。それでも安吾は、ずっと逃げる機会をうかがっていたのではないだろうか」


 この長官の発言に、丹後は微かに眉をひそめる。彼の視線は、落ち着きなく揺れていた。


「ミレニアの拠点は、軍の基地並みのセキュリティが施されているはずです。頑丈に閉ざされた空間、電流の柵に侵入防止のトラップ…。逃げるなど…」

「協力者がいたのだよ。──桂木咲良。彼女はきっと、安吾の協力者だった」


 長官は静かにそう告げると、椅子の前掛けに手を置き、言葉を続けた。


「ただ、不可解な点もある。なぜ桂木芙蓉が、娘の咲良を安吾と接触させたのか。どういった経緯で、安吾と咲良が協力関係を築いたのか…そこまではわからないがね。とはいえ、確かなこともある。安吾は確実に生きている。そして、自我も失ってはいない」


 すると、丹後の重いため息が聞こえた。安吾の行動がどうしてもに落ちないのだろう。


「桂木咲良の手を借りるなど…理解できん。あの桂木芙蓉の娘だぞ。それに身を呈して彼女を助けようとするなど…これまで築き上げてきた全てを自ら壊すようなものではないか」


 言いながら丹後は首を振る。彼はどうしても、安吾の行動に釈然としない様子だった。私は少し迷った後で、ゆっくりと口を開く。


「あの…もしかして、咲良さんは安吾さんにとって、特別な存在だったんじゃないでしょうか。例えば…恋人とか」


 その言葉に、空気がぴたりと止まった。焔をはじめ、全員の視線が私に向けられる。そんな中、私はそっと目を伏せる。心に浮かんだのは、安吾と咲良のことだった。


 咲良は安吾の孤独の隙間に、温かさを届けた人なのではないだろうか。私にはなんとなく、そんな気がしてならなかった。


「…焔」


 長官が静かに名を呼ぶ。その声色は、厳格さはまるで感じられないほど穏やかだった。


「お前が自らの血を呪っていることには、ずっと気付いていた。だが…」


 長官の目が微かに潤む。焔がこれまで、どれほどの覚悟で剣を握り続けてきたか。歩みの重さを改めて嚙みしめるような、そんな表情だった。


「お前にはお前の人生がある。もちろん安吾にも。それをないがしろにする資格は、誰にもないのだよ。私はSPT長官として、お前の成長を見守ってきたひとりの人間として、ここまで生きていたお前を、誇らしく思う。私はお前に、自分の価値を今一度しっかりと、胸に留めて欲しいのだ」


 その言葉は、息子に語りかける父親のようで、とても温かくて真っ直ぐだった。焔は僅かに顔を伏せた後、静かに息を吸い、前を見据える。


「長官…龍之介さん。それに凪、天宮。みんな…。心配をかけてすまなかった」


 焔は静かに、深く頭を下げた。彼の姿から感じるのは、長く積み重ねてきた決意の重み。そして、再び生まれた、新たな覚悟だった。


「もう迷いはない。この名に懸けて、御影安吾を救い出す」

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