──十月三日。午前十一時、快晴。
廃墟と化した敷地では、今月から本格的な解体作業が始まっていた。トラックの荷台には鉄パイプや工具箱が置かれ、無骨な男たちが続々と降りて来る。
その様子を、私たちは少し離れた建物の影から静かに見つめていた。
今夜、この場所にミレニアが来る。
そう断言したのは、天宮だった。
根拠はヤトの伝承の冒頭だ。
──
「昏明の刻」とは、夜明け前や日没直前のこと。
そして「影月紅く染まりし時」とは、月が地球の影に包まれ、赤黒く染まる時──つまり、皆既月食だ。
数年に一度の「皆既月食」が来るのが、今日──十月三日。
すべては伝承通り。
SPTとミレニアの、最後の戦いが静かに幕を開けた。
「俺、ちょっと様子を見てくるよ」
私の腕の中にいたヤトはそう告げると、バサッと空へ飛び立った。
ヤトが向かったのは、廃墟と化した中央刑務所。その敷地内は広大で、複数の建物が点在している。
収容棟に管理棟、そして囚人たちの作業場だった工場棟…。
一年前、ミレニアはすべての棟を襲い、囚人や刑務官たちを殺害もしくは
襲撃後、建物は放火され、棟の壁は影を落としたような灰色がこびりついている。割れた窓の隙間から風が吹き抜け、建物全体がまるでうめいているかのようだ。
私は、寒気を振り払うように隣に立つ焔を見る。
いつも銀髪の彼だが、この日は黒く染めていた。人狼族の特徴ともいえる銀の髪は目立つということで、昨日私がせっせと黒く染めたのだ。
凛とした横顔。ヘルメットの中から覗く黒髪…。
焔さん、黒髪もめちゃカッコイイ…。
すると、私たちの間にある人物が割って入ってきた。
SPTの策略家、天宮だ。
「ヤトの偵察次第だけど…とりあえず作戦は予定通りでいこうか」
私と焔は無言のまま、静かに頷く。
そう、決戦の作戦を立てたのは天宮だ。
まず昼間。
解体業者に扮したSPT隊員が、中央刑務所内に潜入。現場の様子を確認しつつ、夜に備えて罠を仕掛ける。
夕方からはヤトの出番だ。
仲良しカラスと共に、上空から広い敷地をくまなく確認する。不穏な動きがあれば即座に報告し、その場合は丹後と江藤の部隊が動く。
そして、本隊。
焔と私、天宮、上木をはじめとしたSPT隊員それに救護隊員は、刑務所内のある場所を爆破する。これはミレニア、そして飛石を持つ瓜生を誘い出すための
ミレニアのスパイだった瓜生は、正体がこちらにバレた以上ミレニアには戻っていないはず。瓜生が妹を探してこの場所を監視しているのは確かだ。爆発が起これば、状況を確かめに来るに違いない──それが天宮の読みだった
とはいえ、爆発騒ぎで敵が一斉に押し寄せるリスクもあるので、夜に備えて朝のうちに刑務所内に罠を仕掛ける…というわけだ。
「飛石を奪取したら、すぐにヤトに口寄せの術をしてもらう。敵が迫っていても、焔と凪さんは迷わず過去に向かってね」
天宮の声は、穏やかながらも決意に満ちていた。彼の言葉を受けて、私は僅かに顔を曇らせる。すると…。
「凪、心配いらない」
すぐ後ろで落ち着いた声が響いた。
「罠も仕掛けるし、武器も改良済み。例の『真・
そう、元々「雷閃刀」は、紅牙組の若頭、財前が開発(DIY)した刀だ。
電流を帯びるその刀をSPTが改良し、人狼の気を
同じく、SPTの銃も強化され、皆が
すると、天宮が焔に向き直り、静かに告げる。
「とはいえ、まずは瓜生が持っている飛石を奪取しなければ始まらない。彼女が先にミレニアに捕われる、なんてことがないように…頼んだよ、焔」
「ああ」
「あの…ちょっといいですか?」
不意な問いに、私たちは一斉に振り向く。そこにいたのは、私たちと同じ作業服に身を包んだ、花丸耕太だった。
「その瓜生さんって…例のスパイだった女性ですよね?…前に凪ちゃんと戦った…」
彼の腕には救急バッグが握られている。
花丸は元々研修医。その経験を買われ、今回の作戦では救護班として同行している。
花丸の言葉に、私は小さく頷いた。すると、彼はふっと息を吐き、頬を微かに赤らめる。
「……?花丸さん?どうかしました?」
「う、ううん。何でもないよ。えっと…しっかり準備しとかないとね」
花丸は慌てたように目を逸らし、救急バッグの中をゴソゴソと探り始めた。少し不自然な動作に首を傾げながら、胸の奥でゆっくりと深呼吸する。
しっかり、心の準備をしておかないと。
私がやるべきことは、瓜生から飛石を奪取すること。そして、焔とヤトと共に過去へ行き、磁場エネルギーを破壊すること。失敗は許されない。
それに私は、ミレニアにとって磁場エネルギーの場所を知る唯一の人間。絶対に捕まるわけには──。
「凪」
「は、はい!」
突然焔に呼ばれて、つい声が裏返る。彼は私をじっと見つめ、心を見透かしたかのようにこう告げた。
「不安なのか?心配するな。何度も言っているが、君は私が守──」
──ぺちん。
言い終わる前に、私は両手で焔の口を塞いだ。突然のことに驚いたのか、彼は目を見開く。一方の私はというと、彼の口を塞いだまま小さく息を吐いた。
焔が言いかけた「守る」という言葉。
ここ最近、私が少しでも不安がると、それを察知したかのように、彼はこの言葉を口にする。
優しさに感謝する一方、言われるたびに心臓がとんでもなく高鳴り、三日前にはついに鼻血が出た。決戦前の大事な時にあんな顔は見られたくない。
──焔さん、ごめんなさい。これは私なりの鼻血予防なんです…。
私はそっと手を離し、小さく笑う。一方の焔は私の行動が不可解だったのか、きょとんとしながら首を傾げる。すると、私たちの様子を見ていた天宮がくすりと笑ってこう切り出す。
「そういえば、紅牙組との連絡は焔に一任されてたよね。彼ら、夜に合流するとしか聞いてないけど、具体的にどんな形で?」
「…紅牙組、か」
焔は空を仰ぎ、片手で日差しを遮る。
ヘルメットの隙間から覗く黒髪が、光を受けて僅かに紅く染まっていた。
「色々考えてるんじゃないか。なんせ、あの派手好きが若頭だからな」
そう微笑む彼の表情は、どこか楽しげだった。