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第126話 開戦

 日中、SPTは計画通り刑務所内に罠を仕掛けることができた。その罠とは、人狼化を感知して、床や壁から拘束具のワイヤーが飛び出すというもの。


 人狼化に反応するので、焔や私、SPTや紅牙組が持つ人狼の力を込めた「真・雷閃刀」や「銃」にも反応するが、私たちはセンサーが反応しないブレスレットを身に着けている。つまり、敵には反応するが、私たちには反応しない画期的な罠だ。


 腕時計を見ると、時刻は七時半。空はすっかり暗くなり、解体業者の姿はない。今日は作業初日とあって、作業員たちは段取りの打ち合わせや足場、重機の設置準備を行っていた。つまり、建物自体は手つかずのままだ。彼らは仰天するだろう。これから始まるミレニアとの最終決戦。ここは、その戦場になるのだから。


 私はふと横にいるヤトを見る。嬉しそうに大好物のドライフルーツを頬張る姿に、思わず笑みがこぼれる。すると、突然ヤトがピンッと背伸びをして夜空を見上げた。まるで何かを感じ取ったかのように。


「ヤ──」


 名を呼ぼうとした瞬間、ヤトは羽を広げて一気に空へと舞い上がった。

 その動きに、焔と天宮が一瞬視線を交わし、すぐさま身を屈める。彼らを見て、私や上木、そして花丸も息を細めた。


 だが、特に物音はしない。聞こえるのは風が木々を揺らす音のみ。一体どうしたのだろう。すると、ヤトは上空から舞い降りて、焔の胸元にダイブする。


「どうした?」

「友達のカラスがね、収容棟で人影を見たって!」


 くちばしをパチパチ鳴らしながら答えるヤト。その言葉を聞くなり、天宮が素早く無線機を握る。


「江藤、収容棟だ。行ける?」


 すると、即座に無線から江藤の声が返ってきた。


「了解!人数は?」

「十人以上はいるって!」


 ヤトが報告すると、江藤の声が短く返って来た。


「了解」


 天宮は一拍置き、落ち着いた動作で無線機に向き直る。


「長官。収容棟で動きがありました。江藤が向かっています」

「了解。報告は最小限でよろしい。君は現場の指揮に集中しなさい」

「はい」


 無線越しの長官の声はとても落ち着いていた。そして、それに応じる天宮も。


 今回の作戦全体を指揮するのは長官だが、彼は東京の本部にいる。現場の指揮はすべて天宮に一任されていた。通信が終わると同時に、焔が鋭く言う。


「これから続々来るぞ、天宮」

「わかってる。丹後!」


 再び無線に呼びかける天宮。すると、低い声が聞こえた。丹後だ。


「了解。俺たちも収容棟に向かう。昼間に仕掛けた罠が少しでも功を奏してくれればいいんだがな」

「そうだね。ところで、今朝言った件だけど…」

「ああ、わかっている」


 丹後は短く告げ、通信が切れた。


 今の話は…?

 二人は何か重要なやり取りをしていたのだろうか。


 首を傾げる私に気付いたのか、天宮がふっと口元を緩ませる。


「ミレニアの幹部を見つけたら連絡するよう伝えてるんだ。尋問をするためにね。幹部なら、こっちが知りたい情報を持っているはずだから」

「重要な情報?」


 すると、柔らかな笑みを浮かべたまま、天宮の目が僅かに光る。


「ここに身を潜めているであろう、桂木芙蓉ふようの居場所だよ」


 ──桂木芙蓉…ミレニアの女帝。


「今夜、彼女は必ず来る。ミレニアは時紡じぼうせきの発動条件をほぼ満たしているし、磁場が強いこの場所なら過去に行くことは可能だからね。芙蓉はね、滅多に人前に姿を現さないんだ。だからこそ、今回の作戦は彼女を捕える絶好の機会でもあるんだよ」


 私は静かに頷いた。


 過去に行ける時紡石を発動させる条件は、飛石、境界石、そしてルナブラッドとソルブラッド、二つの宿主の力。そして強力な磁場がある地盤──。


 ミレニアは、その条件をソルブラッドの宿主である私を除けばすべて揃えている。条件が欠けたまま、無理矢理でも時紡石を発動させるつもりなら、ルナブレッドの宿主、御影安吾もここへ連れて来るはず。今回の任務は、桂木芙蓉の確保、それに御影安吾の救出も絶対に果たさなければならないのだ。


 私はぎゅっと拳を握り、真っ直ぐ天宮を見据えた。

 すると、やり取りを見ていた花丸が疑問を投げかける。


「あの…その桂木芙蓉さんってどんな顔してるんですか?」


 花丸の問いかけに応じたのは、天宮ではなく、彼の後ろに立つ上木だった。頭の高い位置で結い上げた黒髪が揺らしながら、冷静に告げる。


「桂木芙蓉の容姿は不明だ。整形で頻繁に顔を変えているらしい」

「整形…ですか。他に何か、身体的な特徴はあったりするんですか?」


 再び問いかける花丸。今度は天宮が一歩出て、ゆっくりと口を開いた。


「…先日SPTに寄せられた情報によると、桂木芙蓉には指紋がないらしい」

「し…指紋?」


 私と花丸は目を合わせる。


「重度の火傷、とかですか?」


 花丸が尋ねると、天宮は首を傾げ、目を伏せた。


「詳しいことはわからない。桂木芙蓉は人狼族の血を自ら入れているから、その副作用かも」


 天宮の言葉に反応したのか、焔が静かに天宮へと向き直った。


「天宮。その情報、信用できると思うか?」


 笑顔で頷く天宮。どうやら、彼はこの情報の信ぴょう性に確信を持っているようだ。


 そんな彼を横目に首を傾げる私。

 すると、私の疑問を察したかのように、天宮はふっと笑う。


「前の会議でさ、桂木芙蓉の娘、桂木咲良が捕われたって報告があったじゃない?」


 私は先日の会議を振り返る。

 咲良と人狼族の末裔・御影安吾が協力関係だったことが明るみとなり、咲良が拘束された。確かそんな内容だったはず。


「桂木咲良が捕われた日、SPTに匿名の情報が寄せられたんだ。発信元は、事件が起きたその屋敷。どうやら、ミレニア内部に裏切り者がいたみたいだね」


 裏切り者…。

 私は小さく頷きながら、天宮に問い返す。


「その情報が…さっきの『桂木芙蓉には指紋がない』?」


 天宮は一拍置き、ゆっくりと頷いた。


「そう。しかもね、その情報はなんとモールス信号で送られてきたんだ。モールス信号、聞いたことある?」


 ──モールス信号。


 確か、短い音と長い音を組み合わせて文字を伝える通信手段だったはず。


「わざわざモールス信号なんて使ってきたあたり、ちょっと深読みしちゃってね。普通、通報なら電話かメールで済むよね?そんな中で、わざわざモールス信号を選ぶ理由って何だと思う?」


 天宮の声が、少しだけ低く、鋭さを増す。


「その送り主は、恐らく日常的に通信を監視されていた。そんな中で電話やメールなんてしたら、自分が裏切り者だってバレちゃうからね。それともうひとつ。この人物は、情報を『本気で信じてほしかった』んだ。これは嘘じゃないって、伝えたかった。しかも内容が『桂木芙蓉には指紋がない」っていう、ちょっと信じ難い話ならなおさらね」


 私はただ頷くしかなかった。

 確かに、そんな面倒な手段を選ぶ理由が他にあるとは思えない。

 それだけで、妙に意味深に感じてしまう。


「それと、これは僕の完全な推測だけど」


 天宮はぽつりと呟くと、ゆっくりと焔の方へ視線を向けて不敵に笑った。


「桂木芙蓉の情報をSPTに送るよう指示したのは、御影安吾…だったりしてね」


 この発言に私たちは全員目を丸くする。


「彼は芙蓉の娘である桂木咲良と協力関係にあった。『指紋がない』なんて個人的な情報、かなり近い人間しか知らないはず。娘だったら知っていても不思議ではないし、彼女からその情報を聞いた安吾が、ミレニア内部に潜む裏切り者と手を組んで、芙蓉の情報をSPTに伝えるよう指示したのかも」


 ──御影安吾


 彼はミレニアに捕われているものの、自我を失ってはおらず、今は完全に覚醒していることが報告された。だからこそ、裏からSPTを援護しようとしている…それもあり得る話だ。


 もしそうなら、心強いことこの上ない。

 そう思って頬が緩みかける私だったが、天宮と焔の表情は険しかった。長い沈黙ののち、焔が低く口を開く。


「…そうだとすると、SPTは今、敵の術中にはまっているのかもしれない」


 焔は顎に手を当て、冷静に言葉を続けた。


「安吾は芙蓉がSPTの前に現れると確信していた。だからこそ芙蓉の正体を間違いなく見極められるよう、特徴をSPTに流した。そうだとすると…」

「…今、SPTが待ち構えていることが敵にバレている。そう考えて動いた方がいいかもね」


 一瞬で、息が止まるような感覚が襲う。

 私が焔に声をかけようとした、まさにその時…。


 ──ドォンッ!


 敷地内に爆音がとどろいた。

 驚いて叫びかけた瞬間、焔が素早く私の肩を引き寄せる。

 強く、迷いのない腕に抱き寄せられたまま、私は目を閉じ、耳を塞いだ。


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