「ヤト!凪を守れ!」
焔は芙蓉に一閃を浴びせた直後、二撃目の構えを取りつつ、鋭く叫んだ。その声に呼応するようにヤトはバリアで私を守る。すると、財前が慌てて声を上げた。
「おいおいおい!女をいきなり斬りつける奴が…」
だが、焔は前を睨みつけたまま冷ややかに言い放った。
「花丸の言葉に奴は動揺した。それにさっき、奴は『凪』の名を言いかけた。こいつが来てから『凪』と呼んだ者は一人もいない。証拠はそれで十分だ。そうだな、桂木芙蓉!」
その瞬間、土埃を巻き上げ、不気味な高笑いが響く。背筋が凍るような声。それこそが、彼女が桂木芙蓉本人である証だった。彼女はSPT本隊である私たちの顔と名前を、あらかじめ知っていたのだ。咲良のフリをして私たちに近づき、一人ずつ仕留めるつもりだったのだろうか。
すると、突如として場に不穏な気配が満ちる。
これは人狼の陰の気──芙蓉だ。
だが、その気は焔とも、瓜生とも違っていた。歪み切った狂気が、肌を刺すように迫って来る。
焔はそれに対抗するかのように、自らの陰の気を解き放った。早々に勝負をつける気だ。ぶつかり合う焔と芙蓉の陰の気。轟音が響き、衝撃波が襲う。二人の気に耐え切れず、天井はきしみ、壁も崩れ落ちた。
だが、ふと気配が途絶えた。目を凝らすと芙蓉の姿がない。どうやら、気配を消して逃げたようだ。
「逃がすか!」
焔が即座に駆け出す。風を切る音とともに、彼の背中が土煙に紛れていく。
「焔さん!」
私が思わず叫んだ時、土埃の中から天宮の顔がぼんやりと見えた。
「追いかけよう!」
「はい!」
一斉に駆け出す私たち。数秒後、抜けた先は広々とした空間だった。五十人は収まりそうなスペースに作業机が整然と並んでいる。ここは工場棟。かつて、囚人たちはここで作業をしていたのだろう。だが、今は壁や床のあちこちが先ほどの衝撃波で崩れている。
芙蓉は瓦礫の上に佇んでいた。彼女は花丸を睨みつけ、こう吐き捨てた。
「指紋のことを知っていたとはね。『安吾』の名を出せば油断すると思ったが、まさか幹部でもない雑魚に見破られるなんて」
この言葉に、花丸は負けじと芙蓉を睨む。焔も雷閃刀の切っ先を芙蓉に向けると、即座に反論を叩きつけた。
「花丸は優秀で信頼できる研修医だ。悪魔に魂を売った貴様よりも遥かにな」
そう言いながら、焔の身体に再び陰の気が
「御影稜馬……確か、御影一族の分家だったか。お前ら、人狼族の血は存分に利用させてもらったよ。『最凶』だかなんだか知らんが、安吾がずっと眠りこけていたおかげで、血は使い放題だった」
その言葉に、焔は陰の気を一層強く放出し、芙蓉目がけて一直線に駆け出した。すかさず、天宮の声が飛ぶ。
「焔!挑発に乗るな!」
だが、焔は止まらず芙蓉に近づくなり連撃を浴びせた。再び立ち上る土煙。すると、焔が唐突に動きを止めた。芙蓉の気配が消えたのだ。確かに目の前にいたはずなのに。その刹那──。
「ぐっ!!」
鋭い悲鳴が響く。横を見ると、上木が肩を押さえて膝をついていた。彼女の背後には──芙蓉。いつの間にか、焔の攻撃をかいくぐって、上木の背後に移動していたのだ。
「上木!」
天宮は声を上げ、即座に芙蓉に発砲する。だが、彼女は一瞬にして再び姿を消した。私たちは戸惑い、視線を泳がせる。その間に、天宮が素早く上木の元へ駆け寄り、彼女を支えた。
「大丈夫!?」
「へ…平気です。深い傷では…」
立ち上がろうとする上木を、花丸が慌てて制止する。
「動かないで!僕が診ます!」
「私も!」
私は膝をつき、ソルブラッドの力を解放した。この光は私に力を与えてくれるだけではなく、傷も癒せる。光は上木の傷口をそっと包み込み、彼女の血を止めた。それを見て、花丸がホッと息を吐く。
「傷口が開かないように、包帯も巻きますね」
花丸は救急キットを手に、素早く包帯を取り出して処置を始める。
その最中、天宮は周囲に目を光らせ、銃口を揺らしながら警戒を続けた。私も雷閃刀を手に、神経を研ぎ澄ます。同時に、ある疑問が頭をよぎった。
──芙蓉の瞬間移動…まるで「飛石」だ。
だが、飛石の使用には制約がある。一度使うと、次に安定して使えるまで半年間の充填期間が必要なのだ。すると、天宮が静かに呟いた。
「…どうやら、飛石の改良版を開発したみたいだね。恐らく、芙蓉は制約なしに瞬間移動できる」
「おいおいおい…やべえだろ………がッ!」
今度は財前に声が響いた。振り返ると、彼の背中から鮮血が噴き上がっていた。芙蓉が彼の背後に回り込んでいたのだ。財前はぐらりと体を傾けると、苦悶の表情を浮かべてそのまま地面に倒れ込んだ。明らかに致命傷だ。
「財前さん!」
私は真っ青になりながら慌てて駆け寄り、自分の左手の甲を躊躇いなく雷閃刀で切った。鋭い痛みが走り、指先が痺れる。が、その甲斐あってしっかり血も出てくれた。私はその血を財前の背中にそっと垂らす。
これほどの深い傷は、ソルブラッドの光を注ぐだけでは塞がらない。直接血を与えた方が早く傷を治せる。血は金色を帯び、財前の傷口をじわりと塞いでいく。
「すげえじゃねえの…凪……あいた!」
「動かないでください!あとちょっとで塞がりますから!」
私は治癒を続けながら、周囲を警戒する。芙蓉の気配はまたしても消えていた。だが、次の瞬間、ぞわりと空気が変わる。
先ほどとは比べ物にならないほどの邪悪な気配。重く、冷たい灰色の霧が私の足元から空間を侵食していた。
──幸村……藍……幸村……凪め……
霧の奥で怨念のように声が唸る。その時だった。視界の正面、空間に細く裂け目が走る。
まさか──!?
裂け目から飛び出してきたのは、芙蓉の手だった。その手に握られた鋭利な剣が、私に狙いを定めている。
「邪魔しおって…忌々しいソルブラッドが…!その腕、斬り落としてやる!」
私はギョッとして雷閃刀を構える。治療中の財前も、あまりの殺気に上半身を起こして身構えた。だがその刹那、空間の裂け目に焔の刃が容赦なく突きつけられる。刃先は寸分の狂いもなく、芙蓉の喉元を捉えた。彼女の表情が一気に苦悶で歪む。
「凪には指一本触れさせん。消えてなくなるのは貴様だ、芙蓉!」
芙蓉は陰の気を放ち、焔に向かって歯を剥き出しにして
その姿は、先ほどまでの妖艶さの欠片もない。狂気に支配された「異形」そのものだった。
すると、焔に貫かれた芙蓉の傷口が、
ちぎれた血管と筋繊維がうねるように繋がっていく。まるで強引に縫い合わせるかのように、避けた肉が元通りに閉じていくのだ。芙蓉は人間を、そしてミレニアの使徒以上の驚異的な再生能力をも有しているらしい。
彼女は痛みをものともせず、獣のように焔を睨みつけると、鋭く変異した爪を振りかざし、彼に飛びかかろうとした。──その時だった。
──
八咫の羽よ 共に舞え
我が意志を受け 敵を討て
疾風を纏い 光となりて
雷鳴の如き 刃となれ
──
ヤトの羽が光刃となり、芙蓉に降り注ぐ。だが、彼女は再び姿を消し、その場に静寂が下りる。
「おいおい、どうするよ。瞬間移動できるなんて聞いてねえぞ!」
復活した財前が焔に詰め寄る。焔は少し考えた後、冷静に答えた。
「私が陰の気を全放出する。芙蓉が空間を裂けば、その歪みで私の気が揺れる。それで位置を割り出し、一気に仕留める」
全員が頷く。治療を終えた上木も、ふらつきながら立ち上がった。
焔は深く息を吸うと、静かに陰の気を解き放つ。ズンッと足元が沈むような圧。空間が殺気で軋む中、小さな音が響いた。
──カラン。
小石が転がる音。反射的に全員が音の方を向くと、花丸の背後の空間が細く裂けていた。そこから滲む異様な気配…芙蓉だ。
「…え?」
皆の視線が一斉に集まって動揺したのか、天然な花丸はなぜか頬を赤らめ、ぽかんとする。
「悪ィな、耕太!」
「え…ええ!?……うわ!」
花丸の間抜けな声が響いた直後、財前が花丸を思いきり突き飛ばした。
そして──。
「うらあああ!」
財前が雷閃刀を勢いよく裂け目に突き立てる。すると、裂け目からぬっと芙蓉の腕だけが飛び出した。異様に伸びた爪が、禍々しい気配とともに剥き出しになっている。
次の瞬間、上木が駆け寄り、自らの雷閃刀を芙蓉の腕ごと背後の石壁に突き刺した。芙蓉は腕を痙攣させてその場から逃れようとするが、雷閃刀の稲妻が腕に絡んで逃さない。彼女の瞬間移動は封じられた。
上木は素早く両手で財前と花丸の手を引くと、全力でその場から離れる。
「おわっ!」
「ちょ…ちょっと…!」
戸惑う二人を尻目に、上木は天宮に向かって大声で叫んだ。
「今です!天宮隊長!」
その声に応じるように、天宮が即座に銃を構え、発砲する。銀に染まった銃弾は裂け目の奥へと伸びた。次の瞬間、芙蓉の腕がビクンと激しく痙攣する。どうやら、銃弾が直撃したようだ。
「焔!!」
天宮が連続して発砲しながら声を張り上げる。焔は雷閃刀を握り直し、陰の気を
数秒後、歩煙の中に現れたのは焔だった。彼の姿を見て、私は思わず顔がほころぶ。
──芙蓉を倒した…?
だが、焔の表情は険しかった。土埃が晴れた時、その答えがわかった。先ほどの腕は芙蓉ではない。別の異形の肉体、ミレニアの使徒だ。芙蓉は、初めに財前の攻撃を受けた時点で、使徒を身代わりにして逃げていたのだ。
すると、不気味な高笑いが響いた。顔を上げると、階段の上に芙蓉がいた。その表情には余裕が感じられる。どうやら、先ほど負った傷はすべて再生されたようだ。
「馬鹿め。この飛石がある限り、お前らは私に触れることすらできないんだよ」
そう言うと、芙蓉は首元の服を引き下ろした。そこに揺れていたのは、ネックレスのようにぶら下がった「飛石」。深い赤のような光を宿している。やはり、芙蓉は改良版を開発していたらしい。彼女は私を睨みつけ、にやりと笑った。
「私としたことが、忌々しいお前を前に、気持ちが昂ってしまった。何年も目的を果たすために生きてきたというのに。お前は私が過去に行った後で、なぶり殺しにしてやる」
私はごくりと唾を呑んだ。
芙蓉の目的は過去に戻り、磁場エネルギーを手に入れること。そして、おばあちゃんを殺すことだ。私を殺したいのはやまやまだが、同時に過去への鍵を握っているのも私。今はまだ殺せないのだろう。
「こちらへ来い。お前が来れば、他の連中の命だけは助けてやってもいい」
芙蓉はゆっくりと階段を降り始めた。が、ふと足を止めて顔を上げる。芙蓉の視線を追った私も、目を見開いた。
階段に立っていたのは瓜生
彼女は風を裂くように薙刀を振りかぶると、芙蓉めがけて