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第140話 看破

 逃げ回っていたせいか、桂木咲良の顔や服は酷く汚れていた。だが、垣間見える整った顔立ちには、隠しきれない美しさがある。私が彼女の顔に見惚れていると、天宮が冷静に問いかけた。


「桂木咲良さん。『安吾』というのは、御影安吾のことですか?あなたは捕えられたと聞いていますが」

「逃げてきたの。さっき、この工場棟で爆発が起きて部屋の鍵が壊れたから」


 私は戸惑いながら咲良を見つめた。


 ──桂木咲良。


 ミレニアの黒幕、桂木芙蓉のひとり娘である一方で、捕らわれている御影安吾の協力者。私は二人が恋人同士では?と思っていたのだが、先ほど咲良が「安吾」の名を呼んだところを見ると、やはり二人は親しい関係だったようだ。


 だが、ヤトは首を傾げ、音を立てずに私と上木の間にそっと入り込むと静かに呟く。


「…ねえ…あの人さ、本当に“桂木咲良”かな?」


 私はぎくりとした。そうだ。この棟には桂木芙蓉もいる。私たちは咲良の顔も、芙蓉の顔も知らない。つまり、目の前にいる彼女の正体は、咲良に化けた芙蓉かもしれないのだ。


 芙蓉はこれまで、幾度となく顔を変えている。そんな彼女の特徴は、指紋がないこと。

 指紋を確かめれば、彼女が芙蓉か確かめられるはずだが…。

 上木は小さく頷くと、私、そして天宮に目配せをして咲良に近づいた。


「怪我は?」

「さっき転んで、ちょっと血が出ちゃった」


 彼女の肘や膝は、僅かに血が滲んでいた。上木は咲良の手をそっと取り、穏やかに話しかける。


「消毒します」

「え…?あ、うん」


 上木は手に触れながら、慎重に指先へ視線を移す。そして、さり気なく手持ちのライトで彼女の指を照らし、目を凝らした。


「……?あの、指は別に怪我してないんだけど」


 咲良が不思議そうに首を傾げる。上木は誤魔化すようにふっと微笑み、咲良の肘と膝の傷を消毒しながら、天宮に視線で合図を送った。


 ──指紋は、ある。


 無言の報告に、天宮は小さく息をついた。どうやら、彼女は本物の「咲良」のようだ。そんな私たちの様子に気付くこともなく、咲良は口を開く。


「あなたたちSPTでしょ?私、桂木芙蓉の娘なの。母を止めたくて、探してる。私も連れてって。お願い」


 天宮と焔は短く視線を交わし、無言で頷いた。

 すると天宮が焔に歩みより、そっと木箱を託した。


 あの木箱に入っているのは──境界石。


 飛石同様、過去の道を拓く、もうひとつの鍵だ。天宮は神妙な表情で焔にささやいた。


「焔、飛石は凪さんが持ってる。これを使って君たちは過去に行って。芙蓉と安吾の捜索は僕たちが…」


 その言葉が終わらないうちに、再び廊下の奥で爆音が響いた。鋭く反響する金属音。どうやら、別の罠が作動したらしい。


「くそ!どんだけ罠が仕掛けられてんだよ…この棟はよォ!」


 財前が雷閃刀を抜いて稲妻を放つ。私と同じように、崩れかけた瓦礫を電撃で押さえ込んだ。上木も続けて雷閃刀を抜き、電撃で器用に壁を支える。

 だが…。


 ──ボンッ!


 勢いよく壁がぜ、奥からミレニアの使徒たちがぬっと登場。ゾンビ映画さながらの展開に戸惑いつつ、私は雷閃刀を構え、敵に向かって振り抜く。


 そんな中、ふと咲良の方を見やり、ギョッとした。崩れた壁が彼女に容赦なく迫っていたのだ。


「危ない!咲良さん!」


 咲良は咄嗟とっさに身をかわすが遅かった。

 次の瞬間、瓦礫が崩れ落ちた。咲良は辛うじて直撃は避けたものの。膝をついて顔をしかめる。


「大丈夫ですか!?」


 私が咲良に駆け寄ると、崩れた壁の隙間から新たな使徒たちがい出してきた。


 私は咲良を庇うように雷閃刀を振るい、目の前の敵を薙ぎ払う。最後の一体が倒れたその時、花丸の声が飛んだ。


「皆さん、怪我は!?」

「花丸さん、こっち!咲良さんが…」


 花丸はすぐさま咲良に駆け寄り、様子をうかがう。彼女の手首にはうっすらと血が滲んでいた。壁が崩れた時、手で庇ったのだろう。

 花丸が素早く手当を終えると、咲良は申し訳なさそうに微笑んだ。


「ありがとう。な……花丸さん。ごめんなさい。迷惑かけて」


 咲良の穏やかな声にホッと息をつく私。花丸も「気にしないでください」と短く告げる。


 一難去って和やかな空気で満たされた、まさにその時、針のような視線が唐突に背中を刺した。ハッとして振り返った私は、驚愕した。視線を向けていたのは焔だったのだ。


 表情はいつも通り冷静だが、その瞳は何かを見極めようとしているのか、氷のように鋭い。


 彼の眼差しはあまりにも真剣で、私の頬はあっという間に赤くなり、胸が高鳴る。いや、落ち着け。ドキドキしている場合か。私は自分にツッコミを入れつつ、ブンブンと頭を振り、焔に声をかけた。


「…あの…焔さん?どうしました?」

「いや…」


 焔は目を逸らし、思案する素振りを見せた。その様子に、私とヤトは一緒に首を傾げる。だが、その空気を断ち切るように、天宮が声を上げた。


「急ごう。また敵が来るかもしれない」


 確かにそうだ。こうも足止めされていたら、芙蓉が私たちの居場所を知るのも時間の問題。早く芙蓉と安吾を見つけなければ…。そう思って歩き始めた時、花丸の遠慮しがちな声が響いた。


「あ…あの…すみません」


 私たちは一斉に足を止める。

 これは…さっきと同じパターン…!

 財前も同じことを思ったのか、苦笑いを浮かべながらため息まじりに振り向いた。


「……耕太……お前まさか…また罠を掴んだ、なんて言わねえよなァ…?」


 だが、花丸の口から出た言葉は、予想していないものだった。


「違うんです!…あの、咲良さん」


 咲良は立ち止まり、きょとんとした顔で振り返る。花丸は少し震えながらも、一歩踏み出し、こう切り出した。


「もう一度、指を見せてもらえませんか?」


 花丸の言葉が放たれた瞬間、心臓がドクンと音を立てた。花丸の言葉の意図が彼女の指──正確には「指紋」の確認以外考えられなかったからだ。


 彼のひと言の深刻さを悟ったのか、焔と天宮の視線も一気に鋭さを増す。


「どういうことですか?」


 天宮の問いに、花丸は迷いない口調で続けた。


「さっき、咲良さんの手当てをした時、違和感がありました」


 咲良は小さく笑い、首を傾げた。何の話か理解していない表情だが、どこかぎこちない。

 とはいえ、私も戸惑っていた。咲良の指紋は、さっき上木がライトを照らして確認した。「指紋がある」と彼女はそう判断したはずなのに…。


 だが、花丸の眼差しには彼だけが知り得る確信が滲んでいた。


「僕、外科研修で傷や異物の触診トレーニングを徹底的にやりました。見た目だけじゃわからない違和感に気付けるように、指先の感覚は鍛えてます」


 その瞬間、咲良の表情が一気に凍りついた。笑みは消え、唇が僅かに震える。目はあちこちを泳ぎ、言葉を探しているようだ。沈黙の中、花丸は言葉を続けた。


「あなたの指、確かに指紋があるように見えました。でも、押した時の感触が本物の皮膚と違っていました。沈み方が浅いっていうか…。あの感じ、皮膚じゃない。見た目は普通だけど、精巧なシリコンカバーを被せて誤魔化してるんじゃないですか?咲良さん、もう一度──」


 彼の言葉を、私たちが最後まで聞くことはなかった。


 視界に広がる、血の飛沫。


 焔がすかさず雷閃刀を抜き、咲良──いや、咲良に化けていた桂木芙蓉の首筋を、目にも留まらぬ速さで切り裂いたのだ。

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