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「美味しかったね、ごはん」
「ちょっと……食べ過ぎた、かも」
「大丈夫?」
「多分」
そう言っている夏輝はちょっと苦しそうだ。
でも、食べ過ぎたのは仕方ないかな、と思う。
キャンプで食べると食事はなぜか美味しく思える。
加えて――多分用意されたお肉はどれも高級品だった気がする。
その相乗効果が生み出す美味しさは、ちょっと他では味わえないほどだった。
ただ……量はちょっと多かった。
夏輝ほどではないが、明菜もちょっと食べ過ぎたかも、と思う。
明日は頑張って運動しよう。
今いるのは、明るいうちに見つけた岩の上だ。
来るときはさすがに足元が不安なのでライトで照らしていたが、今は点けてない。
月が出ていないのでさすがにかなり暗いが、星だけでも十分明るい気がする。
岩の上に座って上を見上げると、本当に視界のすべてが星の煌めきで埋まる。
文字通りの『満天の星空』だ。今日は雲も全くないので、最高の環境だった。
「すごいね……本当に降ってきそう」
「俺も今まであちこち行ったことあるけど、これだけきれいなのはちょっと記憶にないな……」
かつてアメリカにいる頃、どこだったかの草原で同じような星空を見た記憶がある。ただ、その時のことはもう記憶も曖昧だし、多分その時より――きれいだ。
ここが空気の澄んだ山の上だからというのも、もちろんあるだろう。
ただそれ以上に――。
隣にいる夏輝の存在が、目に見える全てを輝かせてくれている、とすら思えた。
好きな人がいると何でもない光景を輝かせてくれるというのは聞いたことがあるが――あれはきっと本当だ。
この美しさはもう言葉では表せないし、おそらく写真でも表現できない。
ふと、夏輝の横顔を見る。
その距離は、五十センチもない。
星を見る夏輝のその顔に、愛おしさがこみあげてくる。
不意に、夏輝が明菜の方に振り返った。
至近距離で二人の視線が絡まる。
夏輝の瞳に星空が映っているのか、少しだけ彼の瞳が輝いているように見えた。
「夏輝君、星、見ないの?」
「……いや、見てる、けど」
そういいながら、夏輝も視線を外さない。
お互いの瞳が、想いが交錯し――明菜は自然、顔を近づけていった。
「……ちょっとだけ、星が見えなくなっていい?」
「え」
戸惑う夏輝に、さらに顔を寄せる。
そして目を閉じると――その唇を重ね合わせた。
あまりにも顔が熱くなる。なのに苦しさは全くなく、嬉しさや喜びが無限に湧き上がってくるかのようで――そして何よりも愛おしくて。
どのくらいしていたのかも全くわからなかったが、呼吸が苦しくなったということはないので、おそらくそう長くはなかったのだろう。
顔が離れて目を開けると、夏輝の顔は星明りでもわかるほどに真っ赤だった。
ただ、絶対に自分も同じだ。
「……よかったのか、俺で」
「今更だね」
本当に今更だ。
むしろ――種明かしするなら今かもしれない。
「それに、二回目だし」
「へ?」
「覚えてないかな、膝枕の時」
夏輝が思案顔になるが――思い出したのか、「あ」と言葉を漏らす。その後さらに真っ赤になった。
察するに、あの時のやり取りも全部思い出してくれたらしい。
「えへへ。なのでこれは、セカンドキスなのです」
覚えていてくれたことが嬉しくて、頬が緩む。
というか、これはもう――今日は多分ずっと緩みっぱなしな気がした。
すると、夏輝が明菜の肩に両手を添え――二人は真正面で向き合った。
思わず緊張して身を強張らせる。
次に来る言葉は予想できるが、それでもなお、明菜は息が詰まりそうだった。
「今更かもしれないけど――俺と、付き合ってくれるか?」
とてもほしかった言葉を、夏輝はそのまま伝えてくれた。
それが嬉しくて、涙が出そうになる。
だがここは、泣く場面ではない。
どうしようもないほどに嬉しいのだから、笑顔であるべきだ。
「うん」
短い、ただ承諾だけを表す言葉。
今の明菜には、それが精一杯だった。
それ以上何かを言えば――涙が溢れてしまう。
だからそれを見られないために、明菜はもう一度夏輝に顔をよせ――口づけた。
大好きで、嬉しくて、愛おしくて。
そんな感情が無限に溢れてくる。
どのくらいそうしていたのか――再び見た夏輝の顔は、どうしようもないほどに嬉しそうで、多分自分も、いや、絶対に同じだろう。
そしてもう一度好きだと言おうとして――別のことを思いついてしまった。
「ね。きーくん、って呼んでいい?」
「へ?」
「『夏輝君』だと、クラスのみんなと同じで特別感ないし。呼び捨てはなんか違うなぁって。だから、きーくん」
「……みーちゃんと同じつけ方か」
「そ。ダメ?」
このあだ名をつけるのは、香澄以来。もちろん男性では初めて。
明菜はこのパターンは可愛いと思っているが、香澄もこれを受け入れるのには結構時間がかかっている。
彼女の場合、本人が目指しているのがかっこいい系らしいので、可愛いあだ名は、と言っていたからだが。
そういう意味では、夏輝にこのあだ名はどうなんだ、という説はあるが――明菜にとって夏輝はかっこいいし可愛いのだ。
「それはいいが……」
意外にも夏輝はあっさり受け入れてくれた。
少し意外ではあるが、特別な呼び方をしてもらう方が嬉しいのかもしれない。
あるいは今のテンションのおかげか。
「もしかしなくても、俺も変えないとダメか?」
が、その後に続いた言葉は、明菜には予想外だった。
これまでも何回か『明菜』と他人行儀な敬称を付けずに呼んでくれていたのだから、それで決まりだと思ったのだが。
「きーくんはもう決まってるよ。他人行儀なさん付けしなければおっけー。男子でさん付けしないのを許すのはきーくんだけだから」
そこまで言ってから、一応別パターンもありか、と思いつく。
多分そちらの方がより恥ずかしいとは思うのだが。
「それとも合わせて、なーちゃんにする? あきちゃんとかあーちゃんでもいいけど」
ちなみにあーちゃんは昔母がそう呼んでいた。
あきちゃんは確か小学生の頃にそう呼ぶ友人がいた。
なーちゃんはもちろん今まで一人もいない。
香澄に頼んでみたら『恥ずかしい』の一言で却下された。
故に中学生以降はほぼ『明菜』で統一されている。
実際のところ、夏輝に学校で『あきちゃん』とか呼ばれたら……さすがに恥ずかしいので、このパターンを受け入れられるとちょっと困るかもしれない。
夏輝はしばらく思案顔で悩んでいたようだが――。
「……まだ、さん付けなし、かなぁ……」
「じゃ、決まりね。今後さん付けしたら私、不機嫌になるからね」
「不機嫌になると……どうなるんだ」
言ってはみたが、何も考えてはいなかった。
不機嫌になったら……普通ならむくれるとか怒るなのだろうが、それは明菜としてはいいとは思えない。どちらかというと――。
「んー」
突然、とてもいいアイデアが頭に浮かんだ。
その発想に、思わず顔がにやけてしまう。
「きーくんに抱き着いて離しません」
言うと同時に夏輝に抱き着いた。
これなら自分は嬉しいし、夏輝には――多分十分に効果がある。
「ちょ、明菜さん!?」
「ほら、さん付け。ほらほらー。離さないぞー」
「わ、わかった、わかったから、離してくれ、明菜」
早くもちゃんと言ってくれた。
ここはさすがに、素直に離してあげることにする。
本当はもっと抱き着いていたかったのだが。
真っ赤になったままの夏輝が可愛くて、愛おしくて、その反応が嬉しくて。
明菜は頬が緩むのを止められそうにない。
なおも笑っていると――空に一筋の光が流れた。
「あ、流れた!」
「俺も見えた。すごいな、二つ一気に来た」
「すごいね。やっぱ学校より、ずっときれい」
無数にある星々の間を駆け抜ける、一筋の光。
まるで、見えている星のどれかが流れたようにすら思える。
二人の見ている前で、流れ星が次々に光を空に描いていった。
あまりにあちこちの空で流れるので、結局岩の上に二人とも横になった。
その数は、四月のこと座流星群をはるかに上回る。
「すごいね……こんなにたくさん見れるなんて」
「うん、去年はバイトやってたから、これは見れなかったんだよな。でも、こんなすごいとは思わなかった」
「きーくん、連れてきてくれてありがとね」
「連れてきたのは俺じゃないけどな」
そんなことはない。
彼が言い出してくれなければ、今頃自分は、家で一人星を眺めていただろう。
それでも十分きれいだったとは思うが、今ほどに満たされた気持ちでいた可能性は、ない。
「でもそのうち、今度は明菜と二人だけで来たいな」
「うん、楽しみにしてる」
来年――はさすがに厳しいだろうが、その先も一緒にいるなら、きっとこの星空を見る機会はまたあるだろう。
その想像は――明菜にはとても嬉しい。
「あと、そうだ。なんか今更という気もするけど」
夏輝は一度身体を起こすと、持っていたボディバッグからきれいに包装された包みを取り出した。
「お誕生日おめでとう、明菜」
「え。持ってきてたんだ」
「うん、まあやっぱり当日に渡したくて」
このキャンプに持ってきてるのは正直に言えば期待していた。
ただ、この場には持ってきてないと思っていた。
渡されたのは、両の掌より少し大きな直方体だ。
「開けてもいい?」
「どうぞ。気に入ってもらえると嬉しいけど」
丁寧に包みを止めているテープを外すと、紙の箱が出てくる。
それを開くと――出てきたのは、やはり箱。
木製の少し装飾の入った小箱というところだが――。
ただ、見た目よりやや重い。
蓋を開くと、容量の半分は埋められていて、見た目通りの大きさの空間がない。
「これ……小物入れ……違う、オルゴール?」
「当たり。底にゼンマイを回すネジがついてる」
言われてから箱の底に手を回すと、ハンドルめいたネジに手が触れる。
回すと――音楽が鳴り始めた。
緩やかなメロディーが、美しい音色で奏でられる。
この曲はよく知っている――というより、明菜がとても好きな曲だ。
ただ、その話を夏輝にした記憶はないのだが――。
「あ、これ、私の好きな曲……でも、きーくんに言ったことあったっけ?」
「さすがに選曲は悩んでね……賢太に協力してもらった」
「あ、もしかしてみーちゃんに?」
香澄が夏輝の友人である佐藤賢太と付き合っているのは知っている。
その伝手でわざわざ彼女に聞いてくれたのか。
音を聞く限り、普通のオルゴールよりも音域が広い。
出来合いの物ではなく、おそらく音楽を注文するタイプだろうから、だいぶ前から準備してくれていたんだと分かる。
「ありがと。すごく嬉しい。大切にするね」
明菜もまた、持っていたバッグから袋を取り出した。
渡す機会があるかも、と思って持ち歩いていたが――ある意味最高のタイミングだろう。
夏輝に手渡すと、少しだけ戸惑ったようだ。
「これ……俺に?」
「うん。考えること、一緒だったね」
わざわざ持ち歩いていたのはお互い様だったと思うと、少し嬉しく思えた。
同じことを考えてしまうのだから、やはり――気が合うのは確かだと思う。
開けていいかと問うような夏輝の視線に、小さく頷く。
袋の中にあるのは、木製のマグカップ。
といっても、ただのマグカップではない。
「ククサっていって、北欧の工芸品。白樺の
何を贈るか迷って、折角だから自分のルーツの一つからヒントを得た。
前にコーヒーを飲んでいたし、きっと使ってくれるだろう。
「……ありがとう。本当に嬉しいよ」
夏輝はククサを袋に戻すと、明菜を優しく抱き寄せた。
明菜も抵抗せずに彼の腕の中に収まる。
さすがに夜も遅くなってきているので、少しだけ肌寒くなってきていたが――。
お互いの温もりで、むしろ心地よいくらいだった。
ずっとこうやって彼のことを好きでいて、そしていつか――。
そこまで考えて、ふと――あることに気付く。
「それにしても、なんだけどさ。この先一緒になったら、その時ちょっと……面倒というか面白そうだよね」
「面白そう?」
「名前」
「……ああ……確かに」
抱擁を解いて向かい合った二人は、思わず吹き出す。
このまま結婚するとなると――日本では姓をどちらかに寄せなければならない。
女性が男性の姓になることが多いが、そうすると明菜は『
かといって、これを回避しようとして夏輝が姓を変えると、今度は『
どうやっても面白ネームが完成してしまう。
ふと見上げると、また星が流れた。
見逃すのも惜しいと思えるので、再び岩の上に横になる。
ただし、手はつないだままだ。
「まあ、その時に考えるか」
「楽しそうだよね」
「確かに。どちらにせよ、一発で覚えてもらえそうだな」
「そだね。じゃ、その時まで……」
違う。結婚して終わり、ではない。その先もずっと、彼とは一緒にいるのだ。
叶うなら、この星々がはるか昔からそこにあるように、ずっとずっと――。
「ううん、その先もずっとよろしくね、きーくん」
「こちらこそよろしく、明菜」
星空を見ているので、夏輝の顔は見えない。
だが、きっと微笑んでくれているという確信がある。
「しかしその呼び方、クラスメイトの前でもする……んだよな」
やや戸惑うような気配。
どうやらクラスメイトの前で『きーくん』と呼ばれるのが恥ずかしいのか――というよりは、多分付き合っているという事実が知られることそのものにまだ困惑しているのだろう。
「もちろん。二学期から頑張ってね、きーくん」
夏輝が苦笑いをしているのが分かった。
多分二学期最初は大変だろう。
ただ――それでも、彼と過ごすこれからは、嬉しいことがきっといっぱいある。それだけは、確信できた。
彼のことを思うこの気持ちは、この先も変わることはない。
そして――ずっとずっと、強くなっていくだろう。
「ずっとずっと――大好きだよ、きーくん」
「俺も明菜のことが好きだ。この気持ちは、ずっと変わらない」
それは星に誓う言葉。
繋いだ手に力を籠める。
その二人を祝福するかのように――流れ星が空を彩っていた。