「断る」
佐藤は腕を組み、きっぱりと言い切った。
「俺が人を人として斬るのはレデオンで最後だ。おまえじゃない」
「私は魔王です。勇者の敵ですよ」
「俺は認めない。こんな魔王がいるかよ。あとそれ言ったら魔王から給料頂いちゃってんだけど。そんな勇者がどこにいるよ」
「エリナ。あなたは果たしてくれますよね」
「宮之守がいなくなった世界のスイーツは美味しくないな」
「何を言ってるの?」
「おまえのいなくなった世界の菓子は美味しくない。よって断る」
エリナは助手席から転送魔法によって消え、佐藤の隣に腰をおろした。
「約束が違う。私のもとに来た時はそういう約束だったでしょ。エリナが望むものを提供する。だから協力するって!」
「我の元々の目的は女神とは異なる魔法を感知し、監視するため。リーアを止め、歪んだ次元によって分かたれた我が魂の欠片を取り戻すため」
「……嘘つき」
「人は時の流れとともに変わる。女神である我もまた時の流れによって考えを変える。おまえといるのが存外、楽しくなった」
宮之守は佐藤とエリナを交互に見、力なく背もたれに体を預けた。
「そう……」
「室長。俺からも頼みます」
西島が運転席からルームミラー越しに言った。車は海を跨ぎ埋立地へと繋がる橋へ差し掛かっていた。
「この仕事はまだ怖くてしかたないですけど、新しい居場所でもあるんです。だから寂しい事言わないでください」
「西島君も。そうか」
「そういうことだ。ここにいない音川も唐田も、レニュだって大将の死はきっと望んでいない。誰もだ」
「分かった」
宮之守は手を組んで顔を覆い、その両肩は震えていた。
「皆の気持ちまでは考えてなかった。自分の目的のため。リーアを止めなくちゃって思って」
佐藤は諭すようにいった。
「リーアを止める。一人で抱え込むな。そのための対策室なんだろ」
「そう。そうだよね。そのための対策室」
佐藤は宮之守に近づき肩に手を置いた。俯き、震える肩を通し佐藤は気が付いた。途方もない時を生きてきたが、彼女はまだ子どもなのだ。責任感と罪の意識に囚われたまま大人にならざる負えなかった子どもなのだと。
「私は」
宮之守から細い声が漏れ出て、佐藤は聞き返そうとし、だがとっさに彼は宮之守の肩から手を離した。
自分の意志と関係なく、佐藤の戦士としての長い経験から来る勘が、彼に手を離せと叫んだからだ。本能に訴えかける危機感は佐藤に剣の柄を掴ませるまでに至ったが、理性で彼はそれを辛うじて抑え込む。相手は宮之守だ。抜いていいわけがない。
「私は間違ってた」
宮之守の黒い髪が赤く染まっていく。
佐藤はこれは本来の色なのだと理解した。抑え込んでいた力が暴風のような魔力の圧となって押し寄せ、車が大きく揺れる。クラクションが鳴らされた。
西島がハンドルに寄りかかり意識を失っていた。魔法を扱えない人間に宮之守から放たれたれる魔力の圧を前にして意識を保つなど不可能だった。
宮之守の目からは涙が零れている。頬を伝い、零れ落ちるかと思われた粒は儚く蒸発していく。熱だ。車内を熱が満たしていく。
「エリナ! 西島を外へ!」
エリナは頷き、転送魔法で運転席に飛ぶと西島を抱えて飛び立った。
その直後、作戦指揮車は大きく蛇行しガードレールに車体をこすりつける。
『こちらA班! 何が起きている!』
後続車からの通信に宮之守が静かに耳のインカムに手を当て答えた。
「こちら宮之守。攻撃目標を伝える。目標、異世界生物侵入対策室、元室長。宮之守絵里子。見つけ次第、撃て。戸惑うな。私を殺せ」
宮之守の耳からはずされたインカムが炎に包まれた。そして彼女は立ち上がり、佐藤を見据えた。
「私は魔法の王女!」
彼女は声を張り上げた。
「そして魔王! 勇者に伝える! この首を取りに来い! おまえが! おまえたちだけが私を殺せる!」
宮之守の体から黒い炎がうねり大きく広がり、それは車体を貫いて焦がした。
「宮之守!」
燃えながら走る車の中で彼は叫んだ。
燃えていく。小松の座っていた椅子が。音川の操るドローンの操縦桿が。様々な情報を映し出したモニターも七色に輝くキーボードも。炎になめ尽くされていく。
「おまえは魔王じゃない。俺は勇者でいたくない!」
佐藤は宮之守へ、手が熱に焼かれるのもかまわずに伸ばした。
宮之守は胸に手を当てそして一歩下がり、戸惑いながら手を掴もうとし、しかし彼女は手を掴まなかった。佐藤の背後の、燃え盛る炎の向こうに自分が燃やした人々の姿を見た。
宮之守は上を向くと、車の天井を吹き飛ばして飛び上がった。激しい衝撃が車内を襲い、佐藤は体を揺さぶられ転倒する。佐藤が顔を上げた時、宮之守の体には炎が蛇のようにまとわりつき、飛び去っていくところであった。
「佐藤! 掴まれ!」
エリナの声に佐藤は我に返り、呆然と空を見上げていたことに気が付いた。
「もう、この車はダメだ」
エリナは佐藤を無理やりに近くに寄せ、転送魔法で飛び去った。
二人は歩道に降り立つ。そばにはガードレールに寄りかからせた西島がいる。二人は燃える車を見送ることしかできず、そのすぐあと大きな爆発音が響き、陽の落ちた空を赤い炎が染めた。