灯りの落とされたままの作戦指揮車の中で、宮之守は一人、椅子に座っていた。
彼女の顔を手元のタブレットの冷たい光がぼうっと照らし、開け放たれたままの運転席の窓からは秋の夜の乾燥した空気が入り込んで髪を揺らしている。肩に巻かれた包帯には赤い血がにじんでいるが彼女は気にする様子はなかった。
宮之守は髪を耳に掛け、タブレットの上で指を滑らせた。
画面には作戦に参加した隊員たちが並んでおり、顔写真と名前と共に緑、黄、オレンジ、赤のタグ付けがされていた。色は段階的に怪我の度合いを表しており、赤は死亡を意味する。今回の作戦での隊員の死者は七人だった。
タワーマンション内の変異した民間人の死亡者数を含めれば倍以上に膨らむことになるが全体の死傷者の数はまだわかっていない。レデオンが多くの住民を大蛇の肉としてしまったからだ。
住民の名簿の少なくない数の名前の横に行方不明と記載されることになる。宮之守はタブレットをデスクに置くと背もたれにもたれかかり、天を仰いだ。
七人の死と引き換えにタワーマンションの被害をなんとか押しとどめた。リーアは取り逃がしたが、隊員たちの奮戦のお陰で外へ出た魔力変異体はおらず、またレデオンの死によってその全てが活動を停止したことは確認できている。
宮之守は自分たちの後ろにいる市井の人々のことを思う。レデオンが生きていればもっと多くの被害が、もっと多くの未来が絶たれていたはずだ。そして自らが殺した数を思えば安い死とも考えた。
宮之守はふいに自分の頭に浮かんだ言葉に激しい嫌悪感を抱いた。
安い死……? 私は何を考えた!
机に置かれたペットボトルを発作的に掴み取ると勢いのままに壁に投げつけた。死に慣れすぎている自分が恐ろしい。いとも簡単に死者と生者を秤にかけるその思考がおぞましい。飛び散った水がデスクから滴り落ちる。
後部の扉が開き、佐藤が乗り込んできた。佐藤はデスクの濡れたキーボードや書類の惨状を見たが何も言わず、離れた席に座った。
「レニュは?」
宮之守は何でもない様子を取り繕い、乱れた髪を手ぐしで撫でつけながら佐藤に問いかけた。
「救急車でさっきね。一先ず大丈夫だそうだ」
「そう。小松君は右腕骨折だからしばらく戻れない」
「そんくらいですんで良かったわな」
「エリナは?」
佐藤は上を指した。
「今はタワマンの上の屋上。儀式場の方へ逃げたリーアを監視するってよ。なんかあれば来るし、用があれば呼べとよ。黒焦げの服のまま着替えもしねぇで見てる」
運転席の扉が開き、西島が座わると部隊の進捗を報告した。宮之守は班をまとめなおして分けることにしており。タワーマンションに残って事態収拾のための班と儀式場へと向かう班の二つに編成しなおしたのだ。
「準備できました」
西島がエンジンをかけた。
「よし。出して。止めに行かないと」
「聞いていいか?」
佐藤の声に宮之守は顔を上げ、そして何の質問であるか察し、目を伏せた。
「ああ……。昨日の」
「それもあるが、あの女。リーアだったか。どんな関係があるか聞かせてくれ」
「それ俺も聞いていいやつなんですか?」
「ええ、むしろ聞いてほしいかな。いずれ皆が知るべきことだから」
宮之守は静かに話し出した。別の名前があり、別の世界で生まれたこと、そして自分の力によって多くの世界は一度滅びたこと。
「ええ……っと。スケールが思ったより大きいというか。映画の話じゃぁ……」
西島はルームミラー越しに二人の重苦しい雰囲気を見て、真実だと受け止めざるを得ないと認識しなおした。
「すいません。続けてください」
「私がこの世界に来たのはリーアに対抗するためだった。リーアはこの世界に黒い力を撒いて滅ぼし、作り変えようとしている。私の住みよい世界にしようと」
「この組織を作ったのはおまえだったな。将来の備えのため、たしかそんなことを言っていた気がするが」
「初めは、私一人で戦うつもりだったんです。でも、もし私がまた自分の力を制御できなくなったらどうなるか。以前、この国には異世界に対抗する術がないからこの組織を立ち上げたといいましたよね。理由の半分はそうです」
宮之守は自分の手を見た。黒爪は白くなっている。
「この爪を全員に装備させればいい。そう思ったことはありませんか?」
「それって魔法を使うための道具って聞きましたけど、製法が独特だし機密だって話ですよね」
「建前はね。これは力を抑えておくためのもの。実際は私の力を抑えつつ使うための安全装置の一つ」
「全部話すのか?」
エリナがいつのまにか何食わぬ顔で助手席に座り、驚いた西島がハンドルを滑らせたが、エリナはハンドルを掴みとってすぐさま車体を安定させた。
「お、おどろいたじゃないですか……」
「じきに慣れる」
エリナはダッシュボードからタオルを取ると汚れた髪を拭き始めた。
「他にもあるのか? その安全装置ってのが」
佐藤の疑問に声を出したのはエリナだった。
「一つは我だ。そしてもうひとつはおまえだ」
「ふーん。はぁ……?」
「いざとなれば宮之守を殺す。そういう役目だ。聞いてないのか?」
「いや、おい! 待て! 待て待て!」
佐藤は勢いよく立ち上がったが、タイミング悪く車体が揺れ、頭を壁にぶつけてしまった。佐藤は眉間に皺を寄せる。痛む頭を撫でながら宮之守へ疑問の視線を向け、そしてエリナの方を見た。
「おまえは知ってたんだよな! いろいろと! 何がたまたま日本に流れついただ! 全然違うじゃねぇか!」
「誰から聞いた。我はそんなこと言っていないぞ」
「誰って……」
佐藤は思案し、そして何かを思い出して宮之守に怪訝な表情を向けた。
「……嘘ついてた? 俺に? 薔薇園のとき?」
「嘘ついてました」
「ました。じゃねぇよ!」
「ほら……だって、ねぇ? 私だって色々調べてたら何か言いづらくて」
「いろいろって」
「佐藤さんの身辺を洗っていくうちにご両親のこととか。墓参りのときも結局言えなくて。誰かに対する遠慮とかそんなの無いと思っていたんですが。いざ目の前にすると」
佐藤は肩を落とし、長い溜息を吐き出すとどかりと椅子に座った。体力の無駄。これからまた戦いになることを考えると余計なことに感情を振り回されるよりも少しでも休めたかった。
「はぁ。疲れたし、面倒くさすぎんだろこいつら」
「そう気を落とすな」
「おまえのせいもあんだろうが。クソ女神。それに宮之守。この前のしおらしいのと違って今日はあっけらかんと話しすぎなんだよ」
「そうですね。自分でもそう思います。たぶん、覚悟が自分でもできたから。でしょうか」
宮之守は静かな笑みをたたえながら続けた。
「リーアはこの世界を黒一色に染めて魔法を使えない人を一掃し、新しい人類で上書きするつもりです。もうすぐそこなんですよ、安全装置が必要になる時って。私が正面からぶつからないとあの子は止まらない。魔王と呼ばれたって言いましたよね。だから悪役なりに後始末しないと」
宮之守の不敵な表情の目の奥に佐藤は先日の夜の目を思い出した。
宮之守はやはり自分を許していない。佐藤は宮之守の背中に、無数の亡霊を見ているようだった。何千何万何億もの手がその肩、背中、脚に圧し掛かり、それでも立っている。今にも潰れそうな心を彼女はその不敵さの仮面で覆い隠し、耐えながらここにいるのだ。
「二人には私が制御を失ったと判断したら即座に首を撥ねてもらいたい。おとぎ話で魔族を打ち倒すのはいつだって勇者とそれを導く女神。そうでしょ? ここでおとぎ話の終止符をうってください。もう一度、勇者になってください」