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第99話 掲げよ

「佐藤さん。生きてて……」

 良かったと宮之守は口にできなかった。また親しい人を自らの魔法で、こんどこそ殺めてしまうかもしれないことが恐ろしい。


「もう、私の元へはこないでください」

 宮之守は胸を抑えつけながら後ずさった。

「勝手なのは分かってる。でも、もうどうにもできない。みんなにはせめて別の世界に逃げてほしい」


 佐藤は深く息を吸い、そして聖剣の鋭い切先を宮之守へ向けた。宮之守は誰かに命を絶たれることを望んだ……望んだはずであった。実際に切先が向けられ、湧き上がる感情は悲しみと恐れであった。

 それでも宮之守は手を広げ、胸に刃が入り込むのを待った。手は震え、喉が乾く。


「殺してくれないのかと思ってました」

「何を勘違いしてやがる」

「え?」


 佐藤はいつになく、自信に満ちた不敵な笑みを見せた。

「俺はおまえを助けに来たんだぜ。もう一度勇者になれって言ったよな?」

 佐藤は首を回した。

「そこで俺は考えた。勇者には何が必要か、と。すると剣だ」


 佐藤は宮之守が何かを言おうとしたのを止めた。

「言いたいことは分かる。そこにあるだろってな。実際この聖剣は実戦的で頑丈で名剣と呼ぶにふさわしい。だが、俺のいた軍の量産品であって特注品ってわけでもねぇ。そこで今ここでおまえの力を俺が受け取って俺が聖剣に送り込み、鍛えなおす」

 佐藤は目を輝かせていう。まるで子どものようであった。


 宮之守は開きかけた口を閉じ、もう一度開ける。

「そんなちっぽけな剣に、私からあふれだす力を封じ込めようというの?」

「そうだ」


「全部が入ると思っているの?」

「全部は……」

 佐藤は顎に手を当て空を見る。

「無理かもわからんが、やってみるさ」


「馬鹿なの?」

「やる前から馬鹿呼ばわりはやめてほしいね」


 ミラーナが佐藤の肩に手を置いた。

「失敗したらどうせ滅ぶんだ。どんなことでも試してみる価値はある。たとえどんなに馬鹿なものに見えたとしてもな。あたいはおまえが信じた男を信じてみようと思う」


 宮之守は下を向き。目を閉じる。少しして再び顔をあげた。表情は呆れたものをみる顔であったが、どこか前向きな諦めを感じさせた。


「室長……」

 音川が宮之守の手をそっと掴む。

「私も魔法が使えるようになったんですよ。だから今なら手伝えます。どこまでやれるか分からないですけど、魔法がどんなものか分かってきたんです。やりましょう」


 宮之守は短い溜息を吐き出した。

「分かった。でもまず、佐藤さんに黒い力を入れるには私の力に指向性をもたせないといけない。でも私の戦う意思以外には力は反応しない。私にはもう戦うこと以外に制御できないんです」


「それでいい。俺と戦う気でこの剣に打ち込んで来い。おれが全部、受け止めてやる」

 佐藤は笑っていた。


 宮之守の拳が強く握りしめられる。熱い風が胸を吹き抜けて、赤い髪を揺らす。それは黒い力や自分の魔法によって引き起こされた熱とは違う。心を芯から燃やし、焚きつけるものだった。


 宮之守は前を向き、手を広げて佐藤に向けた。その顔は自信と不敵さに溢れていた。

「大将はそうでないとな」

 佐藤は剣を構えた。


「今度は死なないでくださいね」

「ハハ! やってみろや」


 宮之守は指を猛禽の鋭い爪のようにして構えた。

「行け!」

 少し前の魔力に酔い、飲まれた宮之守はもういない。信じ、突き進む。宮之守は佐藤へ魔法を放った。


 乱暴に薙ぎ払った指の間から黒い力漏れ、凶暴な熱を孕んだ煙となって佐藤へ向かう。雷鳴を轟かせる煙を、佐藤は体の正中線上に構えた聖剣で受け止める。魔力の煙はするりと聖剣を躱し、たちまち佐藤の体を包み込む。結晶化した魔力が鋭く、歪な破片となって佐藤の肌を切り裂く。


「見ていられないな。佐藤」

 鈴の音と共に現れたエリナが佐藤の体を支え、破片を弾いた。


「いいのかよここに降りてきて」

「なに、もう一つの体に魔法陣の維持を任せただけだ。我が黒い力の流れを何とか整える。おまえは力を受け取って聖剣に力を注ぐことに集中しろ」


 エリナが二人の周りに銀に輝く魔法陣を作り出し、美しい二重螺旋を描く魔法陣は煙をからめとった。無秩序に暴れる力が溝に流れ込み整えられていく。聖剣の淡い輝きと、銀の二重螺旋による輝きは共鳴するかのように光を強めていった。


「魔法よ! 万物の力よ! 我、ここに命を与えん!」

 エリナの力強く紡がれる言葉が鈴の音を響かせた。


 宮之守は佐藤とエリナに応えるために右手を天に突き立てて開く。

「黒き力! 私に従え! 私から生まれた力なら私に応えて見せろ!!」


 手が握られ、指の間から赤黒い雷光が漏れて零れ落ち、地面を焼く。

 宮之守の頭上で滞留する魔力より生まれた雷雲が蛇の形となって大口を開け、赤黒い炎を纏い、佐藤とエリナを睨みつけた。


 エリナは自分たちを取り囲む黒煙の隙間から宮之守へ呼びかけた。

「我らの体への気遣いは不要。存分に打ち込み。存分に振るえ」


 宮之守は手を掲げ、振り下ろした先の未来を思い描いた。佐藤とエリナは魔法を受け止め、黒き力が変化するか。それか力が二人を飲み込み、世界を飲み込むか。宮之守は目を閉じ、体が強張るのを感じた。最悪の未来を考え、怯む。


「恐れるな!」

 佐藤の声が宮之守の目を開けさせた。

「おまえが俺らを信じたなら。もう一度俺らを信じてくれ。おまえが俺を引き入れた決断が間違っていなかったと証明させてくれ」


 佐藤もまた聖剣を天高く掲げ、頭上で獲物を飲み込まんと口を開ける黒い大蛇へ向ける。

 宮之守は自分の中にこれまで感じたことのない感情があることに気が付いた。熱さ、温かさ、柔らかさ、安心。もう寒さに震える必要はない。かつて少女であった自分へそう心から言えるかもしれない。それでも断ち切れぬ迷いが手が振り下ろすことを止めさせる。


「やってみせろ。ミーシャ」

 腕をミラーナが掴んで支える。音川がそこえ手を添える。


「おまえから生まれたあたいは恐れそのものだった。この角、この尻尾も初めは嫌いだった」

 ミラーナの赤黒い角がほのかに光を帯び始め、長い尻尾の先は燃え上がり、炎は尻尾を駆け上がって彼女の全身を包み込んだ。


「今はこの角も尻尾も好きだ。どうしてだと思う。受け入れたんだ。リーアを見て拒絶は壁を生み、溝を人と人の間に深く刻み込む。繋がりに亀裂を走らせる。あたいはその先に未来がないことをあいつから教えられたんだ。だからおまえの中のあいつに証明して見せろ」


「室長。私は室長が強い人だって知っています。私の目標なんです。いつも自信があって、凛としてて。そんな室長が私の目標なんです。だからずっと私の先を歩いてください」

 音川の赤い目が輝く。

「あと魔法のことも、もっと知りたいです」


 宮之守は頷き、上を向く。涙が零れ、頬を伝う。もう蒸発することのない涙が対面する佐藤とエリナの光を反射した。


「これは私! 黒き力も! 誰かを傷つけた力も! すべてを滅ぼしたこと、恐れも全部! 私は受け入れる。佐藤さん! エリナ! 魔王とは私の心にあった恐怖と怒り! 私はあなたちを信じてる。私は私を信じてる!」

 宮之守が手を振り下ろす。


 燃える黒煙の大蛇が吠え、佐藤とエリナに襲いかかった。佐藤は聖剣を掲げ、エリナが体を支え、剣の柄に手を添えた。

「疲れているのか佐藤。手が震えているぞ」

「うるせぇっての!」


 岩よりも固く、重く。土石流よりも激しい奔流が二人を押しつぶさんととめどなく流れ込む。佐藤は黒い力を感じ取った。痛みを伴う冷たさと、身を焦がすほどの灼熱が精神を蝕む。暗い感情が怒りや恐れとなって胸の内から溢れる、佐藤の心を揺れ動かす。


 エリナの魔法陣が荒れ狂う力を整え、佐藤が受け取る。全身の筋肉、血管が燃えるように熱く、額には汗が浮かぶ。黒ずみかけていた腕が再び疼き、筋肉と神経が痛みにあえぐ。剣を手放して逃げろ。生物としての本能が佐藤へ訴えかけた。


 佐藤は聖剣に魔力を流し込んだ。聖剣は輝きを増すとともに刀身が少しずつ黒ずんでいった。魔法陣の銀の光を刀身は反射していた。それも徐々にくすんでいった。


「どんでもないものもってやがる」

 佐藤は聖剣に魔力を送り込む速度を一段とあげる。聖剣とは勇者の象徴である。聖剣は佐藤の思いに応え、光を強めた。


 勇者は決して倒れない。光によって道を照らし、仲間に己の存在を強く示し、ここにいるぞと呼びかける。

「俺は勇者だ! やって見せるさ!」

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