宮之守は膝を抱えて座っていた。湾を挟んだビル群の一つ一つの輝き、人々の営みの明かり。
渦巻く黒煙は輝きの全てを飲み込むだろう。
宮之守は黒煙に手を伸ばした。
「私の魔法なら、私に従え」
黒煙は変らず、雷鳴を轟かせながら渦を巻く。宮之守の意思も願いも何もない。すべてを染め上げようとする暴力的な黒があるだけだった。
「どうして戦うときは、あんなにも自由にできているのに。壊したくない思いには応えてくれないの?」
自分は死の中心となる。かつてはるか昔に一人で歩いたあぜ道よりもずっと、ずっと暗い。色の失われた世界を歩くことになる。冷たい世界などは少しも望んでいないというのに。
“こんな世界捨ててしまえばいいじゃない。エルフの世界はどう?”
心の内からリーアの幻が甘く囁く。
“数千か数万年。それかもっと……。気に入っているなら、それからまた来ればいいわ。”
そんなの私は望んでない。ここの人たちは私を受け入れた。
“そう? あなたの本当の姿を知らないのに?”
宮之守は膝を抱き寄せた。
“知っていたらどうだったかしら。ずっと自分を押さえつけていたじゃない。それでも受け入れてくれたかしら? 今見せているのはあなたの仮面であって、その下の本当の姿なんかじゃない。我慢して、我慢して、ようやく作り出して偽った顔でしょう?”
うるさい。
“爪を外して魔法を解き放った時のこと、もう忘れちゃったの? あれは楽しかったわね。とっても活き活きとしてた。”
あれは私じゃない。
“嘘ね。”
「だって私の魔法は誰かを傷つけてしまう。そんなことをしたかったんじゃない!」
宮之守は立ち上がり、見えない幻を振り払おうと手を振るった。地面の上を炎が滑り、爆発を引き起こして、地面を抉って巻き上げ、土が降り注いだ。
「どうしてよ……」
宮之守は自分の開かれた手をもう片方の手で握りしめ、押さえつける。
“ほら。「私は」本質的な魔法の使い方を知っているのよ。火は何かを燃やすためにあるのと同じ。魔力無しがあなたを怖がるのかわかる? 壊れちゃうからよ。少しの火で、少しの痛みで、小さな刃ですらあの出来損ないたちは怖くて怖くてしかたないの。じゃなかったらお父様もお母様も、ああはならなかったでしょ。”
宮之守は耳を塞いだ。
“意気地なし。意気地なし。意気地なし。聞こえないふりなんかしても受け入れるしかないの。本当は気づいてるくせに。”
風は不快な熱を帯び、血と腐臭のにおいを混ぜ合わせていた。
「私が魔法でしたかったことはこんなことじゃない」
「そうだな」
宮之守は目を見開き、声の方へ顔を向けた。
そこにはもうひとりの宮之守が、ミラーナが立っていた。
「おまえが炎で大きな花を咲かせたときの感情は覚えてる。滝の傍の練習していた時の感情を覚えてる」
「ミラーナ……」
「久しぶりだな」
「あなたもリーアと同じなの? 私に黒い力を使ってほしいの?」
「途中まではそうだった。でも今は違う」
ミラーナは手を掲げ、吹き荒れる黒い力の煙に手を触れた。
「リーアは……死んだか。なら、音川の目的はひとまず果たされたというわけか」
ミラーナが後ろを振り返る。宮之守は不安そうな音川が立っていることに気が付いた。
「まみちゃん……」
「遅くなりました。室長。勝手にいなくなって……すみませんでした」
宮之守は何も言わなかった。音川は目を伏せた。
「唐田さんは封鎖部隊のとこに戻って民間人の避難誘導にあたっています。インさんも一緒です」
音川は遠慮がちにつづけた。
「ミラーナさんのおかげで帰ってこれました。その過程で……ミラーナさんからは室長のことをいろいろと聞きました。ミラーナさんは良くしてくれました」
宮之守にとってはすでにどうでもよいことだった。すべてが終わろうとしている状況でミラーナがどうしてここにいるかなどはほんの些細な出来事に過ぎない。
澄み切った夜空に黒い力の煙がベールとなって広がっている。世界の静かな終わりを告げる暗幕のようだった。星々の輝きはいずれ幕の向こうに隠され、人々は輝きが失われたと知ることもなく黒に塗りつぶされる。
「まみちゃんも逃げてほしかったけど。もう遅いよね。この力はたぶん……あの時よりも強くなっている」
ミラーナが燃えかけの木杭を拾い上げた。
「かもな」
ミラーナは木杭を握り潰した。
「でも、繰り返したりしない」
「私もどこにも行きません。私のやるべきことはここにありますから」
音川の赤い目がかすかに光る。
「上を見ろ」
ミラーナが指さす方向へ、宮之守は空を見上げた。
黒い力のベールが星々を覆う中で、強く輝く二つの光を見た。光は並んで闇を切り裂き、そして二方向へ分かれ、止まる。
「あれは、エリナ……」
「今この場で二つの肉体を今はあえて統合する利用がなくなった。って言ってたぞ」
エリナの二つの体が輝き、銀の長髪が激しく揺れて乱れる。二人のエリナの間に光る線が走り、割れ、瞼が開かれるかのように広がっていく。巨大な円の魔法陣が作られてようとしていた。
「あっちは準備完了だな」
ミラーナの角飾りがしゃらんと揺れた。
「女神が押しとどめているうちにさっさとやっちまおう」
ミラーナは宮之守に近づくと手を差し伸べた。
「さぁ立て」
宮之守は手を掴まないでいる。
「あの男の治療も終わったところだ。いつまでそうしている」
「あの男? ……生きているの?」
「生きてるぞ。危なかったけどな」
ミラーナは歯を見せて不敵な笑みをみせた。
「よう、大将さんよ」
「佐藤さん……!」
「止めるぞ。みんなでな。おまえもやるだろ?」