今占ったらロクな結果が出ない気がする。
思いつつ、俺は音夢の『今の自宅』へと足を踏み入れた。
「ここが自宅、ねぇ……」
狭い、正方形の空間だった。
ひっくり返した木箱が二つ置いてある。椅子とテーブル代わりだろうか。
あとは、ほとんど何もない。
目に映るのは、壁に立てかけてある箒くらいなものだ。
他と比べてここを小綺麗に感じるのは、音夢が掃除を欠かしていないからだ。
問わずともわかる。この女は、いっつも率先して教室の掃除やってたし。
「寝床は?」
「奥よ」
音夢が、部屋の奥に目を向ける。
そこにはドアがあった。本来は休憩室か何からしい。鍵もついているようだ。
「座って」
促され、俺は木箱の一つに腰を下ろした。
すると音夢がもう一つの木箱に座って、こちらを見てくる。
「何から、話せばいいかしら……」
と、悩み始める音夢。
しかし、きくべきこと、確かめるべきことなど一つしかない。
「じゃあきくが」
「何かしら?」
俺は問う。
「誰を人質に取られてるんだ?」
「え……」
「いるんだろ」
「どうして、それが……」
音夢が驚きに呆けるが、何だその反応。気づかないとでも思ってたのかよ。
「あまりに『らしくなかった』からだよ。おまえが」
俺が知る小宮音夢は居丈高な相手にへつらうような女じゃない。
立場が上の相手でも、筋が通っていないなら公然と口答えするようなヤツだ。
もう高校生じゃない、なんていう理由でこいつが自分を曲げるものか。
その音夢が、あんなにも恥ずかしい挨拶を声高に叫んでいた。
何か理由があるに違いないと思っていたところに、俺が求められた『贄』とやら。
「吉田帝国に入れてもらうには、人質を出さなきゃいけない。そうなんだろ?」
「……うん」
音夢が、深く俯いた。
ここに来るまでに感じた、重苦しい雰囲気。その理由の一端が、人質の強制、か。
「最初は、私が『贄』になろうとしたの。でも、
小宮玲夢。
音夢の三つ下の妹、だったか。
「妹さんは、今は?」
俺の質問に、音夢は声を出さずにかぶりを振る。わからない、ってことか。
「情けないお姉ちゃんだよね、私……」
「いや、仕方がねぇだろ。妹さんが『贄』にならなきゃ、姉妹揃って死んでたぜ」
吉田帝国の庇護下に入らなきゃ、二人の末路は決まっていた。
音夢には、最初から選択の余地なんてありゃしなかった。これは、責められない。
「……ふむ」
俺は腕を組み、しばし考え込む。
参加者に対して人質を取るってのは、相手を従わせる手段としてはかなり有効だ。
だが、そこまでする必要のあることか、という疑念も出てくる。
帝国、などと名乗る以上、この集団内ではおそらく身分制度が確立されている。
ロンゲが名乗った『Tシャツの吉田』、というのも身分の一つっぽい。
俺と音夢が属している『名ばかりの吉田』は、いわば最下層民。
そこから始まるとして、何かで帝国に貢献すればランクが上がっていくのだろう。
それは、シャッター前でロンゲが『貢献度』と言っていたことからも窺える。
少数の上層民と多数の下層民。
大雑把な構図としては、おそらくこう。でなければ人質を取る意味がない。
上層が多数なら、最初から下層民を数の暴力で従わせればいいからだ。
人質である『贄』は下層民の反乱を抑止するためのもの。
それはわかる。だが、思考をそこまで進ませると、次の疑問も湧いてくる。
この吉田帝国が成立した理由だ。
帝国上層部になった連中は、どうして多数の避難民を支配することができたのか。
それを可能にするだけの理由は必ずあるはずだ。が――、
「うん、まぁいいや」
俺はそこで思考を打ち切る。
色々、まだ知りたいこともあるが、そこは枝葉末節に過ぎない。
人質のことが明らかになったなら他に聞きたいことはあと一つだけだ。
「なぁ、音夢」
「うん? 何?」
顔をあげる音夢に、俺は改めて尋ねる。
「何で、吉田帝国とやらにはゾンビがいるんだ」
音夢から、返答はなかった。
ただ眼鏡の奥の瞳を大きく見開いて、俺の顔をまじまじと見つめていた。
その顔は「どうしてそれを」と言わんばかりである。
「わかるんだよ、俺は」
『ですわね~。探査魔法に思いっきり引っかかってましたものね~』
と、それまで黙っていた小鳥エラが、俺に念話を送ってきた。
吉田帝国とやらは、この地下繁華街と直上の『天館ソラス』を領有している。
それは、探査魔法でわかっていたことだ。
何せ、多くの人間の反応がそこに集中している。
だが解せないのは、地下街の上にある『天館ソラス』にゾンビの反応があること。
数は、そう多いワケではない。精々三十にも満たない程度だ。
しかし裏を返せば三十体ものゾンビが、人間と共に存在していることになる。
「ゾンビから逃げた俺達の居場所にゾンビがいる。おかしいよな?」
「橘君、それはね……」
と、何かに顔を青くして、音夢が教えてくれようとする。そのときだった。
〈――ッ、……ザザ、ッ、ガ――、ピ――。ハロハロハロハロォォォォォ!〉
地下街全体に突然ノイズが響いたかと思うと、やけに陽気な声が聞こえてくる。
こいつは、アナウンス放送か。放送機器が生きてるってことか。
〈我がいとしき帝国臣民諸君、ご機嫌麗しゅう! 諸君らに愛されること早二週間、栄光の吉田帝国の初代皇帝! 『偉大なる吉田』であぁぁぁぁぁぁぁぁぁるッッ!〉
うわぁ、バカだ。
俺はその声を聞いて一発で確信した。この声の主はバカだ。間違いない。
〈本日は、なななななな、何とォ! 三日に一度の諸君の朕への御目通りが叶う、念願の、待望の、お待ちかねの『謁見の日』であぁぁぁぁぁぁぁるッ!〉
「ああ、しまった。今日だったわ……」
初代皇帝の声に、音夢が陰鬱な面持ちで軽く頭を抱えた。
〈諸君、楽しみにしてたかな? 朕は楽しみにしてたぞぉぉぉぉぉ! この三日間、とても、とても、とぅおとぅえむぅお、寂しかったのであるぞぉぉぉぉぉ! だって帝国臣民諸君から称えられないと、朕、即位した実感湧かないんだもぉン!〉
「……これでもかと言わんばかりに自己主張激しいな」
俺は腕を組み、そんな感想を漏らした。
〈場所は朕の宮殿である『吉田城』五階、謁見の間であるぞぉぉぉぉぉぉ!〉
吉田城じゃなくて『天館ソラス』で謁見の間じゃなくて催事場じゃねぇか。
と、俺が内心で呆れつつツッコんでいると、
〈――開始時間は、今から五分後だ〉
声の調子が、いきなり重く冷たいものに変わる。
〈遅刻した者は全員『輪廻刑』に処す。朕、待ってるからね? ブツッ!〉
そこで、放送は終わった。
何だったんだ、今の。どうやら帝国のトップからの放送らしいが。
「おい、音夢。今の――」
「行かなきゃ」
音夢が、俯いたままガタガタと震えていた。
俺ですら見たことがないような、恐怖に強張ったその横顔。俺は眉を寄せる。
「音夢?」
「行かなきゃ!」
木箱から立ち上がって、音夢は俺のことも無視して走り出した。
「おい、音夢!」
と、俺もすぐに『占い館』を出る。
すると、通路の先にあったのは、上への階段に押し寄せてごった返す人だかり。
さっきまでうなだれていた連中が、階段へ我先にと詰めかけている。
「おい、押すな! 邪魔するんじゃねぇ!」
「うるせぇ、おまえこそ通せ!」
「私が先なんだから、通してよ! いやよただの遅刻で『輪廻刑』なんて!」
う~ん、モンスターに襲撃された街の様子を思い出す光景。
『いや、懐かしさに浸らないでくださいませ。音夢様、右往左往してますわよ』
ルリエラに言われ、俺は音夢を見る。
「あ、あの、通してくれませんか……、すみません。あの……!」
音夢は、人だかりの外側で何とか内に入れないかと隙間を探していた。
あーあーあーあー、こういうときに自分を優先できない悪癖が出ちゃってるよ。
「仕方ねぇなぁ」
俺はツカツカと歩いて音夢の肩に手をかけた。
「あとでセクハラとか言わんでくれよ」
「え?」
返す音夢には答えずに、俺はそのままこいつを両手で抱き上げる。
お姫様抱っこの形であるが、わぁ、軽ぅい。仲間だった女戦士の半分以下かもぉ。
「な、な……!?」
「ちょっと揺れるから一応口閉じてろ、舌噛むぞ」
あたふたする音夢に告げて、俺はそのまま床を蹴る。
俺達二人の身はふわりと浮いて、そこから俺は人だかりの上を走り出した。
人の肩から肩へ、頭上から頭上へ、次々に飛び移る。
体重が移動しきる前に移るので、下の連中は軽く押された程度にしか感じない。
「な、何? 何!?」
「口閉じてろって言ってんだろうがよ……」
音夢が目を白黒させているが、驚くようなことじゃない。
ちょっと、水上歩行と同じ理屈で、人の上を駆け抜けているだけである。
「確か、五階の催事場だったな」
階段を満たす数百人の上を駆け抜けながら、俺は五階を目指した。
さて、この吉田帝国、どう潰してやろうかな。