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50.傀儡

 昏き騒然が押し詰まった都の路を花子と義人は進む。

 患者を抱えた家族が突如肌を濁らせて共々倒れ込み、すでに伏した者と折り重なって呻き、もがいて。

 外に出てこられた者はまだいいのかもしれない。建物の内で独り苦悶している者も多いはずだから。

「なんでこんなんしてんすかエルフ!! なんで俺にかかってこねーんすか!? 俺じゃねーみなさんにやらかすとかダメっしょ!?」

 走りながらわめく義人へ、花子は皮肉な目を振り向けた。

「君がなんでもありだって宣言したせいだ」

 やけに空気が重いのは、呪に侵されているせいだ。そこまでの濃度ではないにせよ、呪への免疫を持ち得ぬ常人がこれを吸い続ければ、たとえ今無事であったとて程なく倒れよう。


 ……妙ではあるんだけどね。無差別なはずなのに、あたしにはまるで障らない。

 そう、謁見の間に張られた結界から出たというのに、呪は彼女へまとわろうともしなかった。

 始めは魔力に反応して避けているのかと思ったが、これは違う。謁見の間に運ばれてきた患者には魔術師もいたし、それよりも周囲に伏した者も含めて全患者が男性となれば、敵の狙いは瞭然だ。

 男手を減らすってなれば、普通に考えて手っ取り早く戦力を減らしたい感じ? とりあえず保険かけといたのは正解だったかな。

 胸中でうそぶいて後輩のほうを見れば、彼は呪にまとわりつかれすぎてもうどろどろになっていた。

「それにしちゃ元気だけど」

 手の力が勝手に対抗しているおかげなのだろうが、ともかく急いだほうがよさそうだ。

 先ほどから義人へ試していたのだが、かつて呪師と死合った際に文字通り編み出した解呪の式はまるで効果がなかった。


 ――忌々しい話だけどね、古臭い呪もあたしがいなかった間に進歩したってことだ。


 呪は呪師を殺せば解ける。あるいは触媒となっている呪具を破壊するか。

 しかしながら、魔術師の魔具や癒師の聖具と異なり、呪具は呪師と強く結びついている。呪が感情や思念といった生々しいものを源としていればこそだが、ともあれ呪師を殺すことと呪具を壊すことは同義なのだ。体が死ぬか心が死ぬか、違いはただそれだけ。


「俺ぁ元気アリアリっすよ! でもナシっす! なんでもありったってこんなんナシっしょ!? ズルすぎっすよ!!」

「そろそろ弁えろ」

 低く遮っておいて、彼女は平らかに言葉を継ぐ。

「狡さの定義なんてものは各々で違うんだよ。君が狡いと思うから狡い? ありえないね。正しさが定義できないのと同じことさ」

 初戦が価値観の近いシャザラオであったことは幸いだ。ある意味最高の形で義人は異世界ルールの第一を学んだ。

 しかし、この世界には数多の種が存在し、各種はおろか個々でそれぞれの定義を持っている。

 元の世界のように統一された価値観がないこの世界において、義人のまっすぐさはつまり独善と呼ぶよりあるまい。

「独りよがりは自分だけでなく他の誰かも殺す。これで君が懲りてくれたらあたしとしても大助かりなんだけどね」

 とはいえだ。助かるためにはまず、押し黙っている単純バカを生き延びさせなれければ。

 さて。エルフはこの後、掟の穴をどう突いてくる?


 と。


 花子の眼前でなにかが弾けて。

「――右斜め前にエルフ!」

 鋭い声音が発せられたときにはもう、義人は矢の軌道を遡って駆け、ひとりの男を組み伏せていた。

「おっしゃ俺とタイマン張れやぁーあっ!!」

 もがく男に尖った声音を吐きつける彼の背後から、追いついてきた花子が「ちがう、これは挑戦者じゃない」。

 小振りながら強力な弓を手から取り落とした男。その頭を覆っていた布が竜魔の術式に解かれて落ちれば、特徴的な長耳と、額に刻まれた紋が露われる。

「傀儡紋……ようするに呪師が操り人形にした証ってことだね。でも、無理矢理刻まれたわけじゃあない。そうだろう?」

 魔力が練り込まれた声音に耳を掻かれた男は歯を剥き出し、紋を隠そうとあがく。

 本来であれば脳へまで食い込ませ、挙動はおろか思考までもを縛るのがエルフ式呪術における傀儡紋の真髄だ。それが頭蓋の上で停まっているとなれば、男は自らの意志をもって思考し、挙動しているわけで。

「意味わかんねーんすけど!?」

 まあ、義人には理解できまい。この男が自ら傀儡を演じているのだなどとは。

 挑戦者はひとり。その掟に障らずに数の優位を為すべく、彼は己を挑戦者の傀儡という“武器”へ変じたのだ。

 やり口の小狡ささはともあれ、これで知れた。


 挑戦者は呪師だ。


「同じような奴が都中にいるってことさ、っと」

 口ではそう言って、男に術式を編もうと指先を立てた、そのとき。

「俺のタイマンっす」

 力を滾らせた左手で義人がその指をそっと握って押し戻し、同様に力噴く右拳を男へ示して、

「わりーんすけどイッパツくらわすんで。よくわかんねーけどそんで大丈夫っすよね、先輩」

 いかも頭の悪そうな、それでいて的確なことを言う。

「ああ」

 あっさり答えてやったのは、超シングルタスクな後輩の脳に、手が力を発していることを悟らせないためだ。指摘すれば意固地になって力を消してしまいかねないから。

「じゃ、そういうこって、おらぁっ!」

 果たして義人が右ストレートで紋を弾く。

 ばぢっ! それはコンセントがショートしたかのような、少なくとも人体を打ったとは思えぬ凄まじい音と共にど黒い煙までもを噴き上げたあげく、蒸発。額を綺麗にされた男は白目を剥き出して昏倒した。

 直後、空気の重さが減り、いくらか和らぐ。

 わざわざ計ってみるまでもない。呪が薄らいだのだ。

「なるほどね」

 花子は男を編み上げた術式の呪縛で拘束しつつ空へと視線をはしらせた。

 傀儡は呪師の呪を受けて周りにばら撒くアンテナか。考えてくれたね。でも。

「策というには弱かったかな」

 アンテナを減らすほど呪は効果を減じていく。

 そしてアンテナが尽きれば、隠れ潜んだ呪師もまた隠れ果せられはすまい。


 って、アンテナが潜伏をやめてのこのこ出張ってきたわけはなんだ?

 呪のせい、呪のおかげ、呪のため……せいとおかげはないにしても、呪のため? 呪師でもない傀儡に呪は扱えないはずだし。

 いや、なにか見落としてるんだあたしは。これは鬼手だ。何百年も前の記憶で凌げる代物じゃあない。アンテナ……

「アンテナっ!」

 がばと顔を上げたときにはもう遅い。

 白目を剥いたまま、男は自らの左右の耳を掴み、そのまま一気に下へビヂィッ!

 たまらず眉根を歪めた花子だったが。

「せんぱっす!!」

 先輩すんませんっす!! 言い切れぬまま前へ割り込んできた義人が、男の口腔へ左手の指を突っ込んで、次の瞬間、がりっ。

「げぎぎぎぎぎぎいぎぎいぎいぎいぎぎい」

 男は呻きながら義人の指を噛み締める。

 正気を失った体は限界を越えた力を発揮し、彼は歯茎からずれ出た歯をそれでも獲物の皮を破って骨へと押しつけ、万力さながらに挟みつけた。

「あででででで!! いってぇマジ切れるって!!」

 わめきながらも指を引き抜こうとしないのは、彼がそうすれば男が舌を噛み千切って自死するからだ。それをこの単純バカが放っておけようものか。

「胸の真ん中ちょっと下!」

 後輩の背後から回り込んで確認。悪い意味で期待を裏切らない彼へとにかく花子が言えば、

「はっちぃー!」

 意味不明な返事をして、義人は右拳を男の鳩尾へと叩き込んだ。

 不十分な体勢で、脚も腰を使えていない手打ちながらも。

「げ、へぇええぇっ」

 男は声音と共に渾身から怪しげな煙を噴き出し、今度こそ倒れ伏したのだ。


「後輩くん、指は切れてないか!?」

 花子の尋常ならざる焦りに気圧されて、義人は左手を振ってみせる。

「あー、大丈夫っす」

 バンテージ代わりの包帯には防御術式が染まされていたし、中身の手も力を発現させてはいた。そのおかげで指を噛み千切られずに済んだことはよかった。よかったのだが。

「体の調子は?」

「あー、なんか、左腕ピリピリするっすけど、そんなやばい感じじゃねーんで」

「……防ぎきれなかったな」

 花子はため息をつき、彼の左腕を確かめる。

「なにがっすか?」

 わけがわからず素直に問えば、彼女は苦々しく答えた。

「呪をだ」


「読み違えてた。傀儡は呪を呪師から受信して都中に拡げるアンテナだと思ってたし、それは間違いない。でも、この男に与えられた任務はそれじゃないんだ」

 千切れた耳を切り口へ押し当てて術式で固定、ついでに体のほうも拘束しておいて、花子は視線を義人へと向けた。

「君だよ。君に呪を擦り込むことだった。自分の耳を代償に掻き立てた怨恨を呪師から受け取った術にべて、呪を発現させる呪具。それがこの傀儡なんだよ」


 あたしは自分が思ってるよりずっと頭が悪かった!

 彼女は後輩に気づかれぬよううつむき、忸怩を噛み締める。

 呪具を対象者の身辺に配して呪う術は比較的知られたわざなれど、よもや生きた同族を遣おうとは。

 形ばかり傀儡としたことも、つまりは術師との繋がりを深めて決め手の呪を中継しやすくするがためであるのだろう。よくも創意工夫をしてくれたものだが、しかし。


 この男が死んでたら多分、後輩くんは呪い殺されてたはず。噛み傷から染まされたのはあれだけど、彼の放っておかない主義は結果的に時間を稼いでくれたわけだ。

 でも!!

 こんなの掟破りにも程がある! エルフはなんでこんな横暴がまかり通ると思い込んだ!?


 ……他ならぬ花子自身が言ったではないか。新たな掟のせいだと。

 なんでもあり。この一文が解釈の拡大、つまりあえての曲解を許してしまった。


 結局はあたしのせいだけど、それも全部後輩くんのせいじゃないか!

 さすがに恨めしい視線を当の後輩に向ければ、

「マジっすか」

 真摯な顔で息を飲む。

 さすがに自分のやらかしを察したものかと、一瞬期待した花子は一瞬後にそれを打ち砕かれた。

「実は俺、今のハナシ半分くらいわかってねっす」

 いやいや、そうじゃないかなぁ、どうせ全部わかってないんだろうなぁとは思ってたけど。花子は気休めにしかなり得ぬ対呪の式を彼の身へまとわせ、言い直した。

「君呪われた。あたし呪い解けない。呪師倒せば解ける。時間ない。急げ急げ急げ」

「押忍、ガチ了解したっす」

 びしりとサムズアップを決めて、義人はいつもの調子で花子を促す。

「じゃ、行きますか! だってこういうエルフってまだいるんすよね? なんかよくわかんねーすけど耳取れたらいてーし、呪い解いてやんねーと!」

「おぉいぃ? 了解したんだよなぁ? 急いでさぁ? 呪師を探すんだよぉ? 君もそろそろちゃんとあたしの言うこと聞けぇ?」

「ぁうっ! 地味にやばいっす溜まってくるっすぅー!」

 肝臓をドラゴンフィストでコツコツつつかれ、体をくの字に曲げて苦悶する義人。

「頭に言ってわからないんだから次は肝に言ってみようかと思ってね」

 後輩を解放した彼女は表情を引き締めて、

「ほんとに時間ないんだからな。呪いはどんどん体の奥に食い込んでくる。遠隔だからか命に関わるほど強い術じゃないけど、君だって痛いのや苦しいのは嫌だろう」

「押忍!」

 力強い答がなんとも白々しく聞こえるのは、彼の人生が常に痛いと苦しいで満ち満ちているからだ。花子が知る限り……という注釈つきではあれども。

「ってか今横っぱらいてーし苦しっす!」

 うん、それについてはまったくもってそうだろうとも。

 しみじみうなずいて、彼女は右手の指先を蠢かせながら挙げた。そして上昇が止まった途端、バヂッ゛! 感電したかのごとき濁音が爆ぜて。

 花子は鋭い視線を後輩へと送り、

「1回おすわりだ!」


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