第104話 女王の楔
それは、彼女だけに許された世界。200年の時を生きる魔法少女、レーツェン。彼女の魔法の本質は加速であり、極限まで鍛え上げられたそれは、ほとんど時間停止の領域まで足を踏み入れていた。
彼女の世界、彼女より速く動ける魔法少女など存在しない。それは、反転魔法という次の段階へと踏み入れたクロバラでさえ例外ではない。
だがしかし、タダで終わらないのがクロバラの強さであった。
一本のナイフ。シェルドン博士から譲り受けたそれに、クロバラは全魔力を集中。それにより、ナイフは速さの壁を超えて、レーツェンと同じ領域まで辿り着く。
そこから先は、一進一退の攻防である。レーツェンはその身を、クロバラはナイフ一本に全神経を集中させて、斬り結び、相手の先へと。
本来ならここは、レーツェンだけに許された世界である。ナイフという一部分に力を集中させることで、クロバラはなんとか追従するものの。あくまでも、アドバンテージを持つのはレーツェンである。
全方位から放たれた魔法が、クロバラの本体に迫る。
届かない。ナイフ一本では、防ぎようのない攻撃である。
このままクロバラは何も出来ず、不可避の魔力弾によって地面に沈む。
本来なら、そのはずだったのだが。
赤の魔力が、その全てを帳消しにする。
攻撃が命中したと思ったら、クロバラの肉体が実体のない花びらへと。
まるで何事もなかったかのように、クロバラはレーツェンのすぐ側へ。
「ッ、無法な!」
思わず、心の声が漏れる。
攻撃を無力化し、肉体を花びらへと変える魔法?
それに加え、特定の座標への瞬間移動すら可能に見える。
ナイフ一本とはいえ、超高速の世界に対応するだけでも異常だというのに。
ここまで無茶苦茶な魔法少女は、今まで見たことがない。
「くっ」
背後から足を払われて、レーツェンは地面へ倒れ込む。
そんな彼女に、クロバラはナイフを向けていた。
「もうよそう。殺そうと思えば、こちらには何度もその機会があった」
「……だったら、殺せばよかったのでは?」
「どんな立場、何をした相手だろうと、わたしは魔法少女を殺さない」
「そんな綺麗事で、あなたは世界を救えるとでも!?」
互いの主張が、交錯する。
強い信念を持つ二人だからこそ、その想いは決して交わらない。
「――デルタ!!」
レーツェンの一声を受けて、デルタが再び動き出す。
戦局を変えられる強い魔法少女は、もう一人居るのだから。
けれどもクロバラは、焦ることなく振り返り。
鮮やかな手さばきで、ナイフを構える。
「……お前も、もう疲れただろう」
女王の仮面によって、本人の意志とは関係なく、その力を振るわされる。
仮面の下で、彼女は何を想うのか。
それを断ち切れるだけの力が、今はこの手にある。
デルタは無言で両手を構えると、凄まじい魔力が凝縮され。
教会を吹き飛ばした際と同レベルの衝撃波が、クロバラめがけて放たれる。
最上位魔法少女、グランドクロスの一撃。
今までのクロバラであったら、本気の魔力障壁でなんとか受け止めるしかなかっただろう。
けれども、今は違う。
反転魔法によって、その魔力、獣の瞳は赤く染まり。
真正面から、ナイフによる一閃を振り払った。
音が割れ、空気が震える。
周囲で見守っていた仲間や、他の魔女たちにはもはや理解の及ばない領域である。
クロバラもデルタも、その場から一歩も動かずに。
ただ、互いの魔法を打ち消しあっただけ。かと、思われたが。
パキッ、と。小さな音が。その方へと目を向けると。
デルタの仮面に、大きなヒビが入っていた。
対するクロバラは無傷。
まさに、圧倒的。
だが、そんな中で。
レーツェンだけが、別の心配を。
最悪の結末を予期していた。
「いけない」
そう呟くも、亀裂が塞がることなどなく。
瞬間、
まるで湯水のように、凄まじい魔力がデルタの仮面より溢れ出した。
声にならない叫びが、仮面の下から聞こえてくる。
明らかに、良い状況には見えなかった。
(……女王の魔力の暴走。完全に壊せば、解放できるか?)
仮面を不完全に壊したからこそ、このような状況になった。
だったら今度こそ、本気の一撃を叩き込めば。
その考えで、クロバラは再びナイフを構えるも。
それを止めるように、レーツェンが間に入る。
「やめなさい。そんな事をしたら、ここにいる全員が死ぬわ」
「なに?」
その言葉に、クロバラも動きを止める。
「確かに、仮面から女王の魔力が漏れているようだが。所詮、デルタが抑え込んでいる魔力だけだろう? それくらいの魔力なら、わたしが受け止めてみせる」
「分かっていないようね。グランドクロス、仮面の持つ力はその程度じゃないの。すべてが、一つに繋がっているのよ」
レーツェンが語るのは、仮面の少女たちに課せられた役割。
「知っての通り、このイギリス本土には膨大な魔力がインフラとして流れているわ。でもそれは、他の国のように人工的な魔力炉から抽出されたものじゃないの」
「まさか」
「ええ。この国に流れているのは、女王の魔力よ。そしてそれが暴走しないように、最低でも1人のグランドクロスが、イギリス本土に存在する必要がある」
国中に流れる女王の魔力。それを制御するために、仮面の魔法少女が本土にいる必要がある。
今現在。
イギリス本土にいるグランドクロスは、デルタただ1人だけ。
「今、この状況でデルタの仮面が壊れたら、本土中に流れる魔力が一斉に制御を失うわ。それが、どれだけ危険なことか、あなたにも理解できるわよね」
「……」
この国は、生活に必要なインフラのほぼ全てを魔力で賄っている。
市民の生活する地上から、ハイヴの奥深くまで。
今思い返せば、零領域でクロバラを阻んだ障壁も、膨大な都市魔力があるからこそ。
もしも、それが決壊でもしたら。
女王の魔力に頼り切ったこの国は、壊滅的な被害を受けるだろう。
物理的な被害だけでなく、魔獣からの脅威にも晒されてしまう。
ここで、デルタ1人を解放するためだけに、そんな危険は冒せない。
レーツェンの言葉を裏付けるように、唐突に地面が揺れ始める。
すでに、仮面が破損したことによって、魔力の制御機能に異常が出始めているのかも知れない。
「完全に壊れていないのなら、まだ仮面は直せるわ」
そう言って、レーツェンはデルタのもとへ。
持っていた杖から、仮面に魔力を流し始めた。
そして、クロバラの方へ振り返る。
「おめでとう、クロバラ。今日、この場における戦いにおいては、わたしの負けです。仲間と一緒に国外へ逃げるなり、お好きにどうぞ」
「……そうさせてもらう」
このまま、デルタを仮面の呪縛から解放できないのは悔やまれる。
だがしかし、本来の目的を忘れてはならない。
クロバラには、シェルドンから託された手紙が。
なによりも、守るべき仲間が存在する。
もうこれ以上、この国で出来ることはない。
「とはいえ、タダで逃がすというのも、虫の居所が悪いので」
「なに?」
レーツェンは杖の力を使い。
その声を、この国の全域へ。
「――帝国に属する、全ての魔法少女に伝えます。先程、異国からやって来た魔法少女により、女王陛下が攻撃を受けました。現在発生している地震、魔力の異常はその攻撃によるものです」
国の混乱。
その矛先を、一点に。
「敵は、アジアからやって来た6人の魔法少女です。リーダーは白髪に、左目には眼帯をつけています。彼女とその仲間を、この国を脅かす侵略者として排除しなさい!」
「……なるほど。そう来たか」
レーツェンによる、最後の悪あがき。
この国の全てが、クロバラたちの敵となった。