それは、私が迷いの森から帰還してしばらくした日のことだった────
「みんな、今日がなんの日か分かってるわね……」
「抜かりはないゾ、バッチリだ店長」
店長とバイト仲間のルーナちゃんの声が、開店前のカフェに響く。
私のバイト先、カフェ・ドマンシー。
人通りが昼間は少ない通りにあるこの店はカフェなのにディナータイムに混む。
そのディナータイムに来る客の人数もピーク時を除けばあまり多くはないため、普段ならば休日といえどここの従業員が全員顔を合わせることはない。
しかし、今日は違った────
「おねーちゃん、私緊張してる……」
「大丈夫よ、ティナ。私もだから」
フォローになっていないフォローを店長がする。
それだけ店長自身もかなり緊張しているようだ。
「ま、終わってみればいつものようにぱーっと暇になるッスよ!」
飛び抜けて明るい声を上げるリタさん。
しかし、私は彼女の手が震えているのを見逃さなかった。
「いや、こういう日が来るの分かってるなら早めに頭数増やしておきません?」
「エリー、それ言わない約束」
経営に首を突っ込んだ私を、ミリアがいさめる。
そう、今日は半年に一度、「奴ら」が来る日──つまり戦争である。
そして私達は、今日この日を生きて帰れることよりも、店を守れる事を優先しなければならない。
私達は、本日の作戦を決めるため、店のテーブルを取り囲みそれぞれに座った。
皆ここで働いている時間は数年来になる。それぞれが家族のようなものであり、またそれぞれに
「敵の人数は?」
「10人だよ、おねーちゃん」
「ふっ、今回はやけに少ないわね……」
店長が、余裕だと言わんばかりに、ニヤリと口角を上げた。
「あの、お客さんのこと敵っていうの止めません?」
その言葉で、その場の全員の冷めた目が私に向けられる。
「え、私何かまずいこと言いました?」
「エリー、そこは雰囲気作りッス、知ってます? 雰囲気作り」
「そうだゾ、リタさんの言うとおりだ」
なに、私が悪いの?お客さんを敵って言うのを注意した私が悪いの?
「まぁ、前回と比べて人数は少ない。エリーの言う通り私達の敵ではないことは確実よ」
「いや、私そう言う意味で言ったんじゃ……」
いいように解釈された。
「店長、でも今日は【剛食のリンダ】が来るそうッス」
「う、うそ……【剛食のリンダ】が……!?」
「それだけじゃないッス、【爆食のラミル】も」
「【剛食のリンダ】に、【爆食のラミル】まで!?
なら、危険度はいつもと変わらず、か……」
もうだめだ、この人達客にあだ名まで付け始めた。
まぁ、かくいう私もその2人が来ると聞いては、やはり昼休憩も返上で働く覚悟は持たなければなかった。
面倒くさいと言うか気が重いが、仕事は仕事。こういうのは大抵手を抜いた後の方が面倒くさいので、やるときは私もメリハリを付けるべきだと考えている。
そう、今日はなんと言っても半年に一度エクレアきっての美食倶楽部【バロン】が、このドマンシーに来店する日である。今回は10人らしい。
いや、たった10人と侮るなかれ、彼ら彼女らは皆が皆、【美食家】にして【健啖家】だ。
先程紹介された2人は、軽く10人前は食べると考えていいだろう。
なぜうちの店に?と思うかも知れないが理由は簡単、この店はとにかく、メニューの種類が豊富で、味も良いのだ。
彼らは大食いであると同時に一介の【美食家】。例え胃がはち切れるほど食べることになっても、ただ単に同じものを永遠と食べ続けるというのは、彼らの肥えた舌が許さない。
さらに加えると、この店は先程からの私の指摘のように頭数が少ない。
店長のカレンさん、厨房のリタさん、バイトの4人である私、ミリア、ルーナちゃんにティナちゃん。たった6人で店を回す必要がある。
しかも本日は貸し切りではなく、通常の客も来る。
店の席の数はカウンターも含め25。今日は休日と言うこともあり、確実に店は満席になるだろう。
大食い10人だけでもキツいのに、さらに15人をどう捌くか。
この地獄を6人でこなすのは、まさに至難の業だ。
いや、正確には6人というのもやはり間違っているか────
「そろそろ、ね」
時間を見計らって店長が、隣の机に置いてあったいくつかの棒を手に持った。
「みんな、覚悟はいい? 貴女達には悪いけど、これはどうしてもやってもらわなければならないの……」
その場の全員が、ゴクリと生唾を飲んだ。
店長が待っているのは、文字の書かれた簡易なくじ。
棒にそれぞれ書いてある文字は、「厨房」、「ホール」、「ホール」、そして「リーエル」────
くじは現場監督兼会計兼ホールの店長と、厨房担当のリタさんを省いたバイトの私達4人で引くこととなり、そこに書かれている役職が、本日それぞれが担当する役職となる。
そして店長は4本の棒をよく混ぜ、それぞれに引かせた。
お願いだ、「リーエル」のくじだけは、「リーエル係」だけは当たりませんように────私が引いたのは────
「よかった、私ホールです」
ほっと、安堵の息を漏らす。
「あ、私もだよ、よかった!」
もう一本のホールと書かれた棒を引いたのはミリアだった。
「良かった! 厨房!!」
「今日一日よろしくッス」
厨房を引いたのはティナちゃん。彼女は今日一日厨房でリタさんの補助をすることになる。
「と、言うことは────」
その場の全員の注目が、ルーナちゃんの棒に集まる。
「あ、あ、あああぁぁぁぁ─────!!」
今にも泣きそうな声でルーナちゃんが叫んだ。
その声は、嗚咽にも断末魔にも似ている。
「て、店長! やっぱり可愛そうッス!! ルーナだけにこんな大役!!」
「分かってる!! 分かってるわよリタ!! でも、でも────」
「やっぱり誰かがやらなきゃならない、だよね……」
店長に代わり、ミリアが言葉を発した。
そう、これは誰かがやらなければいけないこと────
「代わりに店長じゃだめなんスか!?」
「現場監督がいないのにどうやってお店を回すの!!」
「る、ルーナ、嫌なら別な方法を────」
「わ、私やるゾ!!」
ルーナちゃんが決心したように叫んだ。その瞳になんの迷いもない。
「くじで決めたことを嫌だからやらないなんて間違ってる!!
これは誰かがやらなければいけないことだゾ!
なら、それは『ハズレ』を引いた私なはずだ!!」
「ルーナ!!」
彼女の決心に、思わずティナちゃんが飛びついた。
その眼には涙さえ浮かべている。
「ルーナ……ルーナ!!」
「ありがとう、いつも感謝いてるゾ、ティナ。私は大丈夫だ……」
2人は同じ国立図書館で働く図書館司書。そしてこの店の奥にある寮に住む仲でもある。
クレアや私より、一緒にいる時間は長い、言わば「親友同士」なのだ。
「分かってるッスね、ルーナ。ここにいる私達の運命は貴女にかかってるッス」
「『ミスは許されない』、だな?」
ルーナの決心は、やはり揺らぎないもののようだった。
「ルーナちゃん……気をつけてね!!」
「応援してます」
私とミリアの声援を受け、ルーナちゃんは笑って頷いた。
かわいそうに、彼女だって本当は今にも泣き出したい気分なのだろう。
「ルーナ、ありがとう。でももう時間がないわ。今すぐ着替えて出発して」
「了解だ、すぐ行くゾ」
そう言うと、ルーナちゃんは一度制服を着替えるために店のロッカールームに入っていった。
「さぁ、みんな、準備はいいかしら?」
「大丈夫ッス」
「みんな、がんばろうね!」
「私も大丈夫です」
「右に同じく」
正直帰りたいが、まぁ、今日は本気で頑張るしか道はない。
さぁ、戦争の始まりだ。