「――で、どこに連れてこられたかと思えば……」
クリスマスイブ。
突然出掛けると言い出した司に連れられるまま、電車で街の方までやってきた。
道中で目的地を教えてもらっていなかったので、一体どこに向かっているんだろうと思っていたが――――
「水族館、ですか?」
「ああ」
「どうしてまた」
「今日という日にピッタリだろ?」
「え……?」
今日という日?
十二月二十四日、クリスマスイブ……?
私はその意味を探るように周りを見渡してみた。
入場券を購入するための券売機に向かう客の列。
そのほとんどが若年層で、親しげな男女の組み合わせだった。
「ほら、デートコースの王道だろ?」
「で、デート!?」
思わず素っ頓狂な声を上げてしまい、咄嗟に両手で口を塞ぐ。
少し大きな声を出してしまったが、周囲に目を向ける限り驚いてこちらを見ている人の姿はない。
ホッと撫で下ろすのもほどほどに、不満の意思を込めて司を睨んだ。
「きゅ、急に変なこと言わないでくださいっ……!」
「くくくっ……!」
そんなに私が恥ずかしがっているのが面白いのか。
司は両腕を身体に回して、押し殺した笑いを溢していた。
「まったく、もう……」
「でもまぁ、実際デートみたいなもんだろ」
「いや、私は司の世話係として――」
「――俺は」
司が出掛けるなら、その身辺の警護のために私も傍を離れるわけにはいかず、同行しなければならない。
これは次期院瀬見家当主となる司に仕える世話係としての義務――と、そう説明しようとしたのだが、私の言葉に被せるように司が口を開いた。
「世話係としての結香じゃなくて、一人の女子としての近衛結香を誘ったつもりなんだけどな」
えっ、と声を溢すように口を開けてしまったが、呆気にとられたせいか実際に音には出なかった。
ただひたすら唖然として足を止めていると、券売機までの順番が回ってきたようで司が一歩足を踏み出す。
「ほら、行くぞ」
「あ、ちょ……どういう意味ですか!? ねぇ、司ってば!」
私の質問には答えてくれず、司はどこか可笑しそうに口角を持ち上げながら入場券を購入した――――
◇◆◇
今まで水族館に行った経験がなかったこともあって、最初は魚を眺めるだけの何が面白いのだろうかと不思議に思っていた。
でも、実際来てみると、大小様々で色や形も多種多様な魚が泳いでいる姿は想像以上に興味深く、何より司と一緒に過ごす時間は場所がどこであろうとそれだけで退屈しなかった。
しばらく水族館――司曰くデートらしい――を楽しんだあと、軽く喫茶店で小腹を満たし、日が沈んだ頃にまた別の場所にやってきた。
「ここが今日の本命の場所だ」
「わぁ……!!」
どうだ、とでも言いたげに得意気な表情を湛えて腰に手を当てる司。
いつもの私なら「別に司が用意したわけじゃないじゃないですか」とでも意味不明に得意気な態度にツッコミを入れていただろう。
しかし、今は目の前の景色に意識の全てを持っていかれてしまってそれどころではない。
燦然と煌めくイルミネーションの海。
今日は水族館に行ったこともあってか、この数えるには途方もなさすぎる数のLEDの光の粒が、水中から水面を見上げればこんな感じなのだろうかと想像が膨らんでしまう。
仮にここが煌めく水中とするならば、このイルミネーションに魅入られている私達は気ままに泳ぐ魚になるのだろうか。
そして、そんなイルミネーションの海の真ん中に聳え立つのは――――
「あっ、司! 司! 見てくださいあれ! でっかいクリスマスツリーですよ!」
高揚感に背を押されて、駆け足で傍まで寄ってみる。
すると、遠巻きから見るよりもそのツリーの高さがより実感出来た。
「綺麗ですねぇ……」
「だからって俺を置いて行くな……」
「あはは、すみません」
半目で見詰めてくる司に、私は両の掌を合わせて平謝りする。
「それにしても、どうしてまたこんなところに連れてきてくれたんですか?」
それは、今日一日私が疑問に思っていたことだ。
司が突拍子もないことをやり始めるのは昨日今日で始まったことではないので慣れているが、この外出は少し違うように感じられた。
水族館へ行き、喫茶店で小腹を満たし、こうして綺麗なイルミネーションで飾られたクリスマスツリーの前にやってくる。
その場で思い付いたことではない、計画性があるように見えた。
しかし、どうせまた何か予想だにしないからかいなのだろう。
と、そんな疑いを頭の片隅において呆れる準備をしながら尋ねると――――
「……答え合わせ、しようと思ってな」
意外にも、司は真剣な面持ちで向かい合って答えた。
微かに赤らんだ頬はイルミネーションに照らされているせいではないだろう。
気恥ずかしさを抱きながらも、勇気を振り絞って覚悟を決めたような強い光が、瞳に宿っている。
「答え合わせって……え……」
私は一瞬司の言葉の意味がわからなかった。
しかし、すぐに関連する記憶が連結したシナプスを通して弾き出される。
『私の心がどこにあるのか……司が当てられたら、答え合わせしてあげます』
それは、私が三神君の告白を断った理由を校門前で司に説明したときに言った言葉だ。
そう。
私にはとっくに好きな人がいるから、他の誰に好意を伝えられても、その想いに応えることは出来ない。
では、私の好きな人は誰か。
その心はどこにあるのか。
どこへ向いているのか。
司は、その答え合わせをしようと言うのだ。
「ちょ、ちょっと待ってください司! 私は……!」
「待った。俺はずっと待ったぞ」
司は自分の胸の辺りをギュッと掴みながら言った。
「この気持ちをいつか伝えたい。でも、それは立場上許されない。だから
普段の飄々とした態度はどこへやら。
その作りの良い顔も、榛色の瞳も、ただ素直に真剣にこちらを向いている。
そして、そんな視線が向けられる度に、言葉が紡がれていくごとに、私の胸の奥で心臓がバクバクと騒ぎ立てていく。
「でも、来ないいつかを待っているだけじゃ何も変わらない。たとえ周りが許さない想いなんだとしても、俺はもうこれ以上自分の気持ちに嘘は吐けない。誤魔化せないくらいに、気持ちが大きくなってしまったから」
一歩、また一歩……と、司がこちらに歩みを進めてくる。
「結香、好きだ。俺は世話係としてだけじゃなく、幼馴染みとしてだけじゃなく、近衛結香のすべてが大好きだ」
「……っ!?」
だから! と司は一回り声を大きくして言い放った。
「お前の……結香の心は、俺にあれ!」
「つ、司……」
必死だ。
強く掴んだせいで胸の辺りにギュッと寄るシワの多いこと。
いつもからかってはニヤニヤと細められる目は、真っ直ぐに私を見詰め、意地悪を言うのが大好きな口は不安からか微かに震えている。
最初は加速を続けて、終いには破裂してしまうのではないかと思っていた心臓は、意外にも落ち着きを取り戻していた。
ビックリしたせいで急激に火照った身体は、今はじんわりと心地よい温かさに変わっている。
ただ、ひたすらに思う。
あぁ、なんて幸せなんだろう……って。
気付けば、私は目の前の胸に頭突きを喰らわせるような勢いで飛び込んでいた。
「っ、結香……!?」
「あはは、馬鹿ですねぇ。司は」
「え!?」
「『あれ』だなんて命令しなくても、もうとっくにありますよ」
ギュッ、と司の腰の後ろに両腕を回した。
「答え合わせ――正解、です。私の心は、司にあります」
「結、香……」
「というか、気付くの遅いです。まったく、鈍いご主人様なんですから……」
周りにはカップルばかり。
この程度の抱擁なら、目立ちはしない。
加えて、イルミネーションが輝いているとはいえ今は夜。
仮に知人がいたとしても、私や司の姿を正確に判別するのは難しいだろう。
だから、私は遠慮なく司に抱き付いた。
胸に顔を押し込めると、その硬い胸板の奥で心臓が早鐘を打っているのがしっかり聞こえる。
「……結香こそ、俺の気持ちに気付いてなかっただろうが。鈍い世話係め」
司は不服そうに呟きながら、私の背中に手を回してきた。
腕の中で、私は尋ねる。
「でも、良いんですか? 司には千春さんがいるのに」
「問題ない。それはもう話をつけてある」
これはあとから聞かされた話だ。
司と千春さんの間で、両家の取引さえ滞りなく進められるなら、目的を果たすための手段に過ぎない婚約などは形ばかりのもので良く、一段落着いたら破棄すればいいという感じで合意しているらしい。
「じゃ、じゃあ……これから私は、司の何なんですか……?」
「正直なところ、今すぐ公に交際関係を見せることは出来ないだろうな。でも――」
司は私の両肩に手を乗せるようにして一度身体を離してから、真っ直ぐな視線を向けてきながら言った。
「いつか絶対に周りにも認めさせてみせる。近衛結香が、俺のパートナーだって」
「パートナー……」
凄くしっくりくる表現だった。
恋人、妻――もちろんそう言った意味も含まれるようになればいい。
しかし、今の幼馴染や世話係としての関係性も私にとっては非常に大切なもので、それが失われてしまうのは寂しい。
だからこそ、パートナー。
司と私。
二人だけの関係性の形を、私達が自由に作っていけばいい。
院瀬見家次期当主の司。
そんな家に代々仕える近衛家の私。
お互い、何かとしがらみが絶えない。
この先、私達の関係はそんなしがらみと戦っていくことになるだろうし、それだけ困難が待ち構えているだろう。
でも、それでも――――
「司、好きですよ……」
「ばーか。俺の方が好きに決まってる」
「そんなことないと思いますよ?」
「ホントかぁ? だって結香が俺に勝ったことないだろ?」
「そ、それはそうですが……気持ちだけは、誰にも負けませんもん」
何て気恥ずかしい言い合いなんだろう。
そのことに気付いて、司と私は二人して笑いを吹き出す。
そして、互いの熱を帯びた視線が沈黙の中で絡み合ったのを合図に、顔と顔がその距離を縮めていった。
――――この気持ちがあれば、私達は何があっても乗り越えて行ける。そんな確信があった。
両者の唇が、その気持ちの大きさを確かめ合うように、熱と感触を伝え合ったのだった。
「あはは、何だか恥ずかしいですね……」
「おっと、それは今に始まったことじゃない気が?」
「そ、それは司がいっつもからかってくるからじゃないですかぁ!」
「あははははは!」
「ぜんっぜん可笑しくな~い!」
ただ一つ、変わらないものがあるとすればコレだろう。
幼馴染でも世話係でも、恋人になっても、将来お嫁さんになっても。
どうせ、司はからかってくるのだ。
楽しそうに、嬉しそうに、そして可笑しそうに笑う。
何かとあればからかって、私は私でやり返す。
このからかい合う毎日は、多分、絶対、変わらずここにある――――