列車は地下に入り、次の駅に止まりました。
先頭と最後尾の車両のドアは開きませんでしたが、他の扉は全部開きました。
この車両は、VIP車両と言う事でしょうか。
乗客の乗降が終ると列車が走り出します。
モーターの音はしませんが、トトン、トトンという音は健在です。
景色は楽しめませんが、外をぼんやり眺めているとなんだか、文明を感じます。
今のこの世界は、まるで江戸時代です。
ほんの少し前までは、鉄の塊が空を飛ぶような科学力を誇った世界だったのに。
そんな世界での私は、新潟市で働く普通のOLでした。
突然、巨大な隕石が地球に衝突すると発表があり、テレビもSNSもその話題で騒然となりました。
でも、半年ほどは静かでした。心のどこかに、小さな不安はあるものの特に騒ぎはありません。
半年たった頃、海外の国で暴動が始まったと記憶しています。
私の実家は、県でも田舎の集落です。
集落では、天地海山教が信仰されていました。
この宗教は特殊で、キリスト教でも仏教でも同時に信仰して下さいとのことでした。
でも、相談したいことがあったら、遠慮無く来て下さいというスタンスでした。
それは、教祖様がすごい力の持ち主だから言えた言葉だったのです。
教祖様は、一瞬で姿を消して、違う場所に現れたり、人の考えを読み取る力がありました。
人の考えを読み取る力は占い師のそれとは、まるで違いました。
誰も知らないはずの個人情報を、初対面で当ててしまうのです。
信者の勧誘をする時は教祖様に会わせれば、みんなその場で教祖様にひれ伏し信者となりました。
教祖様の名前は、天地海山と書いてアマチミサと読みます。
天地海山教は、そのままテンチカイザン教と読みます。
私達は、教祖様を敬い尊敬していました。
この教祖様が、日本の暴動が始まる少し前に、「隕石は地球に衝突しません」と、そうおっしゃいました。
科学者は百パーセント衝突すると言う中で、教祖様だけは衝突しないと言い切ります。
私達信者は、教祖様を信じました。
少しずつ、食糧を集め暴動に備えました。
夜空に隕石が肉眼で見えるようになると、日本でも食料品がお店から消えました。
その後は暴動が始まります。
私は、危険な町を捨て、実家に戻りました。
日に日に隕石は、黄色く不気味に光り、大きくなっていきます。
後、すこしというところで、隕石は突然見えなくなりました。
教祖様の言う通りになったのです。
私達の集落では大騒ぎになりました。
「やはり教祖様は正しかった」
喜びました。私達は正しかったと。
でも、その時のこの国は、電気もガスも水道も無く、車すら走らないそんな世界になっていました。
世界は、戦争が起きて、核戦争で終るのだと思っていました。
でも、世界の文明の終わりは、隕石が衝突するという情報で来てしまったのです。
人々は、食べる物がなくなり、食糧の奪い合いで、殺し合いを始めました。
警察がいない世界では、人を殺しても誰も罪に問われません、無慈悲な殺戮が次々行われます。
そんな中、隣の集落が、暴徒に襲われました。
集落の男の人は、皆殺しにされて、女は連れさらわれました。
次はこの集落が狙われます。
私達は、集落につながる道路に深い落とし穴を掘りました。
そして、包丁や竹を加工し武器を作り戦う決意をしました。
隣の集落で味を占めた暴徒は、罠があるとも知らず、夜暗くなってから、のこのこやって来ました。
暴徒達は全員、落とし穴の底に落ちました。落とし穴の底には、鋭利に尖らせた鉄筋を立てておきました。暴徒達は、鉄筋に全身を突き刺され、横たわっていました。
私達は、暴徒達が持っていた銃を取り上げて、戦う為の強力な武器を手に入れました。
その日から、私達は暴徒達の退治をする為積極的に戦い始めました。
近隣の信者と、協力して暴徒を鎮圧していると、次第に仲間の人数が増えました。
仲間とは天地海山教という信仰で一つになり、団結することに成功しました。
私は、天地海山教、越後支部の支部長を名乗り、人々を指揮する事が多くなりました。
皆は、まるで上杉謙信公のようだと、口々に言うようになりました。
そのうち、ようだが無くなり、上杉謙信様と呼ばれるようになりました。
上杉謙信公の名前は偉大で、この名を聞いた人達が次々、私のもとに集るようになりました。
新潟だけで無く隣の富山や山形まで、上杉謙信の名が広がり、暴動は収まりました。
私は、治安の向上と食糧の供給を第一に考え、必死で毎日を過ごしました。
隕石落下前の日本には程遠いですが、何とか江戸時代のような生活なら出来る様になった頃、隣の県から、伊達を名乗る者が、侵攻してきました。
三度戦争をしました。
真正面から、「たいまん、たいまん」といって戦いを挑む茶髪の伊達に、私は落とし穴や、伏兵を使う戦法で三度とも大勝し撃退しました。
大体、私はたいまんが出来るほど強くありません。
四度目の侵攻が無いので不思議に思っていると、木田家という敵と戦いが始まったと、間者が調べてきました。
「助かった、あの赤鬼と戦わなくて済む」と喜んだのも束の間、私の所に木田家から使者が来たのです。
使者は、友好の使者でした。でも私達は、とても信じられませんでした。
部下がその使者を、斬り殺そうとすると突然ロボットがあらわれて、使者を助けて逃げ去りました。
その後、木田家松本軍が二千人で攻めて来ました。
五百の銀色のロボットと赤と青のロボット。立派な剣を装備した歩兵千五百人です。
上杉軍は倍の四千、その内鉄砲隊が三百人、残りは手作りの武器の部隊です。
でも、変でした。
松本軍と、戦った上杉軍は、負傷者は出るものの死者がでなかったのです。
木田家との戦いは倍の戦力にもかかわらず連戦連敗でした。
でも、不思議と死者が出ません。
前線は、どんどん押し込まれます。
そんな時、長野の海津城から援軍の要請がありました。
敵は、松本城で戸田軍の精鋭六百人を、数分で瞬殺した。
真田軍の赤備えです。
木田軍で手一杯でしたが、援軍を送らないと、次は新潟です。
泣く泣く、援軍五千人を手配して善光寺まで進軍させました。
そこに今度は、織田家柴田軍が、富山に侵攻、あっという間に高岡まで攻められて、兵士も住民も皆殺し、富山には守備兵を残し住民の避難を命じました。
もはや、最も人道的な木田家に降伏するしか無いと決め、木田家松本軍に使者をだしました。
使者を殺そうとした我々だから、断られてもしょうが無いと思っていましたが、意外にも松本軍の大将は木田家の大殿の所へ案内してくれたのです。
「上杉殿! 上杉殿!」
「あっ、はい」
「ふふふ、考え事ですか」
「いいえ、少し、思い出していたのです」
「そうですか。仙台駅に着きました」
「おおおっ」
仙台駅には、大勢の人がいました。
数千、いえ、一万は超えていると思います。
ここには、鉄道が有り、明かりが有り、人々の笑顔があった。