「楽しい時間をありがとうございました」
玄関まで見送りにきたアリーシャに一礼したプロキオンは、オルキデアの両肩を掴む。
「いい奥さんを見つけたな」
「そうですね……」
仮初めの夫婦といっても、急に訪ねて来た上官に対する演技まで付き合ってくれる女性もなかなかいない。アリーシャには感謝しかなかった。
「結局、長居をしてすみません。今度またお邪魔します」
「とんでもないです。またいつでもお越し下さい」
アルフェラッツは一足先に屋敷前に停めていた車に乗り込んでエンジンの用意をしていたので、代わりにオルキデアが後部座席のドアを開ける。
アリーシャに礼を述べて車に乗り込んだプロキオンだったが、オルキデアと目が合うと指だけ動かして中に呼んだので、オルキデアはドアを押さえたまま車の中に頭を入れる。
「何でしょうか?」
「あのアリーシャって奥さん。先日の襲撃事件で捕虜にした娘だろう」
「い、いえ。彼女……捕虜の身柄は既に移送しています」
アリーシャに聞こえないように注意を払いながら、二人は会話を続ける。
「国境沿いの基地所属の知り合いから、お前が藤色の髪の女性捕虜を王都に移送したって聞いたんだが」
「そうですが……。しかしその捕虜は……」
「で、お前が王都に帰還してから、藤色の髪の娘が頻繁にお前の執務室を出入りしているのを見たという部下がいてな。たしか襲撃事件の捕虜はお前が執務室で監視していたはずだが」
「別人と勘違いしているだけでしょう。藤色の髪の女性はそう珍しくありません」
「軍部の各出入り記録を覗いたが、該当の日時に女性の出入りはそう多くなかった。その中に藤色の髪の女性の出入りは無かった。貴族階級が連れている使用人たちの記録も同じだ。そうなると、お前の執務室に出入りしていた藤色の髪の女性はどこから現れて、どこに消えたんだろうな……?」
「手元で監視したいと言うから何かと思えば」とまで言われて、言葉に詰まる。そんなオルキデアの肩をプロキオンは軽く叩いたのだった。
「まあ、なんだ。俺の奥さんも元はシュタルクヘルトの捕虜だ。だから、お前を責めはしないよ」
その話は聞いたことがあった。
シュタルクヘルトの捕虜でも、ペルフェクトの士官以上が身元を引き受けるなら、身柄を引き取れる制度があると。
大体は気に入った女性捕虜を自分の伴侶や愛人とする為に利用されているようだが、まれに貴族女性が男性捕虜を愛人として引き取ることもあるらしい。
プロキオンの妻の話はオルキデアがプロキオンの元に配属されるずっと前にあったことなので、どういう経緯でそうなったのかは知らない。
ただプロキオンもシュタルクヘルト軍に所属していた元女性兵士の身柄を引き取り、同棲生活の末に数年前に結婚したという話を聞いたことがあった。
そもそも普段あまり家庭の話をしない上官なので、オルキデアも上官の家族についてほとんど何も知らない。ただ過去に一度だけ、戦争孤児の子供を引き取った方がいいかと相談されたことがあり、その際にプロキオンの妻の話と子供もいない二人暮らしだという話を聞いたことがあった。
その頃のオルキデアは子供だけではなく、結婚にも全く興味がなかったので、上官の話はそのまま親友に丸投げしてしまったが。
「ただ上手くやれよ。……あの娘、シュタルクヘルトの新聞で見た顔だな。バレたら大目玉だからな」
どうやらオルキデアの上官はアリーシャが敵国の要人であるアリサ・リリーベル・シュタルクヘルトだと勘付いてもいるらしい。
そこでオルキデアの中に疑問が生じる。
「そこまで気づいているのに見過ごす理由は何ですか? 彼女を国に差し出せば、国から多額の報酬と今よりも高い階級、爵位や領地も恩賞として与えられますが……」
「部下の幸せと国からの報酬なら前者の方がずっといい。それだけだ」
話しは終わりだというようにプロキオンは掌を振ると、オルキデアを車内から追い出す。
「じゃあ新婚生活を満喫しろよ。なんだったら、残っている休暇を全部使ってくれたっていい。こっちは気にするな」
そうしてアルフェラッツに車を出す様に命じると、上官は去って行ったのだった。
「行っちゃいましたね」
「そうだな」
「素敵な上官さんですね」
車が見えなくなると、アリーシャに続いて屋敷の中に戻る。
プロキオンが持って来た結婚祝いを確認するオルキデアに付き合って、応接間を片付けるアリーシャに気になっていたことを尋ねたのだった。
「どうしてここに来たんだ」
「部屋の窓から見ていたら、居ても立っても居られなくなって……。私も何か役に立たなきゃと思ったので、せめてコーヒーを淹れようと厨房でお湯を沸かしていたら、アルフェラッツさんがやって来たんです。そこで事情を伺いました」