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episode_0202

 遠い記憶だが、まだ学生だったセシリアと子供向けのおもちゃ屋に行った際に見た気がした。

 確か、セシリアの弟たちの誕生日か何かの祝いごとがあって、「弟たちに渡すプレゼントを選びたいので手伝って下さい」とセシリアに頼まれた時だった。セシリアに付き合って、一緒に子供向けのおもちゃ屋に出掛けた際に、店頭に出ていたワゴンの中にあったのを見た覚えがあった。


「そのうち買ってきてやるから、そう肩を落とすな」

「は~い……」


 それでも納得がいかないのか、アリーシャは自分でアヒルを支えて、湯船に浮かばせていたのだった。


 しばらくはそうやって遊んでいたが、やがてアリーシャの手を離れた一羽が、ぷかぷかとオルキデアの元に近づいてくる。

 幅広の身体にぶつかると、アヒルは止まったのだった。

 そんなアヒルを追いかけて、腕を伸ばすアリーシャの姿が視界の端に写った。


「あ……」


 その時、勢いをつけすぎたのか、アヒルに向かって手を伸ばしたアリーシャが体勢を崩す。

 その手はアヒルを行き過ぎて、オルキデアの脇も通り過ぎる。

 バシャと薄紫色の湯が大きく跳ねて、オルキデアの胸の中に顔から倒れてきたのだった。


「おい……大丈夫か?」


 両肩を支えながら、浴槽の縁に両手をついたアリーシャを見つめる。


「大丈夫です……」


 鼻を押さえながら身体を起こしたアリーシャの胸元のタオルがずれて、豊満な胸が見えているのに気づく。

 オルキデアはさっと顔を背けて、見なかった振りをした。

 しかしその様子から気づいたのか、アリーシャも胸元がはだけて、浴槽の中に落ちかかっているバスタオルに愕然として、両手で胸を隠したのだった。


「今、胸を……」

「見てない。何も見てない!」

「でも、耳まで真っ赤です……」

「温まったんだ! 今日の湯は少し熱いな……!」


 どうやら、オルキデア自身も耳まで真っ赤になっていたらしい。

 昨晩も見たにも関わらず、顔が赤くなったのは、急な出来事だったからか、明るい陽の下で見たからなのか。

 それは、オルキデアにもわからなかった。


 オルキデアに背を向けて、タオルを直すアリーシャに「そのまま、後ろに下がれ」と声を掛ける。

 言われた通りに、背を向けたまま、アリーシャが近づいてきて、やがて自分の胸にぶつかってくる。


「あっ、すみません」


 首だけ後ろに回して謝るアリーシャに、「いや、これでいい」と細身に腰に腕を回しながら返す。


「このまま、膝の上に居ろ。そうすれば、お前の頭が影になって胸元が見えない。その方が安心出来るだろう」

「それは、そうですが……」

「それに、アヒルと遊ぶにも広くていいだろう」


 そう言って、黄色いアヒルを拾って渡すと、「ありがとうございます」と大切そうに両手で受け取る。


 膝の上に座って、両手にアヒルを持っていたアリーシャが、「あの」と寄りかかりながら、首だけ回して見上げてくる。

 その際に、一つに結った藤色の髪が顔を擦って、肩に当たった。

 オルキデアと同じ匂いが、鼻先を掠めた藤色の髪から漂ってきたのだった。


「こんな朝もいいですね」

「……そうだな」


 ふと気づくと、アヒルに視線を戻したアリーシャの耳が目の前にあった。

 そっとアリーシャの耳朶を咥えて甘噛みすると、「くすぐったいです!」と身体を捩られる。


「おい、逃げるな」


 優しい声音で話しかけながら、白く華奢な身体を引き寄せる。


「だって、くすぐったくて……!」


 温まって赤く染まった白磁のような頬に、自分の頬を寄せる。


「いいから、このままでいろ」

「何も手を出さないって、言ったじゃないですか……」

「耳を甘噛みして、顔を寄せているだけで、何もしていないだろう」


 そう言って頬に軽く口付けると、アリーシャは「もう……!」と呆れたように呟く。

 アリーシャの声を聞きつつ、また頬を寄せると、頬を通じて、焼き立ての柔らかいパンの様な柔肌を感じる。

 愛する人と過ごす穏やかな朝の喜びに、オルキデアはそっと目を閉じたのだった。



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