コンクリートの地面を踏み鳴らしながら、俺たちはダンジョンを駆け抜ける。ダンジョンの中だというのに、現代人工物の代表ともいえるコンクリートを踏んでいるのは奇妙な感覚だったが、それがこの階層のコンセプトなんだから仕方がない。
初めて、この階層に足を踏み入れるユウリたちがダンジョンという言葉からなんとも浮いてしまっている、この現代建築だらけの階層について疑問を呈さないのはきっと今俺たちが急いでいる原因にあるのだろう。
「ジェさんがエネミーってどういうことですか?」
ユウリがおそらく誰もが気にしているであろう疑問を口にした。つい先ほどのアスミとの通話によって判明した衝撃の事実だ。アスミが率いる組織、魔労社に所属しているジェという狼男……その正体が、ダンジョンのエネミーだったという。
それはつまり、ダンジョン内で死んでしまったとしても復活することはないということだ。アスミがあれほど焦っているのも理解できる。ジェに危険が迫っているというのは、俺たち普通の人間に危険が迫っているというのと訳が違うのだから。
「そもそも、エネミーが一緒に行動するって可能なの?」
「詳しいわけじゃないですけど、ダンジョンのエネミーにはエネミーで意識があるように思えるんで可能なんじゃないですか?」
さらにユウリに続けてチヒロが言葉を続けた。彼女の疑問に答えるように、ソウジが応じた。かつ、かつとコンクリートを踏みしめる靴の音が小気味よく重なる中で、俺たちはジェの情報を整理していく。
「まぁ現実問題、エネミーらしいジェがアスミたちと行動してるんだから、そうだろうとするしかないな」
「アスミのウソで、罠の可能性は?」
「それも考えたけど――わざわざ、アスミたちが俺たちに罠をかけてくる必要性は薄い。そうだろ?」
魔労社は既にギルドからの仕事を確保しているし、今起きている椅子取りゲームだと椅子を奪われないように死守する側だ。俺たちを狙うメリットは薄い。
それに――。
「そもそも、自分の仲間がピンチだからって駆けつけてくれると思ってるなら……相当に楽しそうな世界観で生きていますよね」
ソウジのコメントは辛口だが、その通りだった。
罠で俺たちを呼ぶなら、もっとマシな方便がある。少なくとも、今の理由は使わないだろう。そして何よりも。
「アスミの声が嘘じゃないことを物語っていたしな」
「ホント、おっさんってお人好しよね」
チヒロは呆れた様子でため息を吐いた。「そういうチヒロちゃんはずっとおっさん呼びなんだね……」と、ユウリがツッコミを入れる。サナカさんにまた怒られますよ、そんなの知ったこっちゃないわよ、というやり取りが続く。
そういう二人も相変わらずだなぁ、と心中で思いつつレナの案内に従いダンジョンの深部を目指す。現在は55階層。アスミたちは57階層まで下がっているらしい。合流を目指す傍らで、ジェに繋がる痕跡がないかを探さなければならない。
「そういえば、この55階層から59階層までのダンジョンにはどういう特徴があるんですか?」
ユウリとチヒロを尻目にソウジが全うな質問を投げかけた。
俺は周囲のがらんどうとしたビル群に視線を移して、この階層の特徴を列挙する。
「そうだな、まずはエネミーのほとんどは人型だ。知能が高くて、常に何組かで行動してる」
「他の階層のエネミーとは違って手強いということでしょうか?」
「そうだな、手強さの基準をどう設けるかで変わるかもしれないが、正面戦闘を想定するならここのエネミーは強敵だと思う。その代わり、他の階層での主ってのはいないが」
「突出した個がいない代わりにアベレージが高い、ということですね」
ソウジの結論に俺は首を縦に振った。
幸運なことに、現在エネミーとの戦闘は発生していない。ここのエネミーは他の探索者チームと戦っているみたいな雰囲気になってしまうから、あまり好きじゃない。いつも使う神経とは別の神経をすり減らす必要があるからだ。
――でも、最近の俺は対人戦が多いな。
最近の疲れの理由が分かったような気がする。
独り合点をした俺の隣にチヒロが現れた。どうやら、ユウリとの言い合いは終わったらしい。この階層の特徴について続きが聞きたいようだった。
「他には、何かないの?」
「そうだな、他には――丁度、今から見られそうだ」
僅かに、地響きのような音が聞こえ始めた。これは兆候だ――この階層のギミックが起動するという。
「え?」
足を止めた俺に合わせて、3人も困惑気味に立ち止まる。
徐々に大きくなる地響きは、ようやく3人にも伝わったらしく……3人は周囲に視線を向けて警戒を露わにしていた。
「えーっと、これは?」
「エネミーじゃないから大丈夫だ」
俺がそう言った瞬間、俺の言葉を肯定するように地面からビルが露出。
目の前に立ちはだかる巨大なコンクリートの壁は、そのまま凄まじい速度と風を斬る音と共に空へ、空へ立ち上っていく。
「え、えぇ!?」
ユウリとチヒロが目を丸くして、ビルが“生える”様子を呆然と見上げていた。
まぁ、俺も初めてこれを見た時は全く同じ反応をした。
「とまぁ、ここのギミックは世にも珍しい――繁茂するビル群だ」
「何、そのギミック……」
立派に出現したビルを眺めて、チヒロはなんとも言えない微妙な表情を見せていた。
気持ちは分かる。
別の階層に連れ去られてしまう水流、触れたら即死する溶岩と来て、この階層は地面から突然ビルが生えてくるなんだから……そりゃ面を食らう。ただ、この突然生えてくるビルが予想外に厄介なこともある。
「これに巻き込まれたら、突然高所に連れて行かれてタイムロスになるし……そもそも地形が変化し続けるからマッピングが通用しない。オマケに、この階層自体はだだっ広い空間だから、他の階層みたいに通路と部屋を総当たりなんてゴリ押しも難しい。結構難しい階層なんだ」
「その割にはスルスルと進んでるみたいだけど?」
「まぁ、それはウチのサポーターが優秀――伏せろっ!」
そこまで言いかけて、俺はチヒロを押し倒した。「は、えっ!?」チヒロの頭部があった場所を撃ち抜くのは弾丸だ。
「ソウジ、方向は!」
「ちゃんと見ていましたよ。かなり遠いですね」
チヒロから離れて、俺は立ち上がった。
遠いということはスナイパーか。「銃器を使うエネミーがいるんですか?」刀をゆっくりと引き抜いた。俺は首を縦に振る。
「ああ、最後の特徴として――ここのエネミーは主に重火器が得物だ。だが、長距離狙撃のスナイパーはいないはずだ」
「となると――他の探索者の妨害、ですね」
刀の切っ先を、恐らくスナイパーが撃ってきた方向へと向けたソウジは(心なしか嬉しそうに)呟いた。
ともあれ、この階層もスムーズに俺たちを通すつもりはないようだ。