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第106話 ドライヤー

ふわふわとした空間で私はまどろんでいた。真っ白い空間。そこには何もなくて私はただ心地よくたゆたんでいた。


「…な…ゆい…結菜」


 名前を呼ばれてハッと目を覚ますと私は累におんぶされて家の玄関の前まで来ていた。いつの間に眠ってしまった私をここまでおぶって運んでくれたのだろう。私は恥ずかしさで累の背中に顔を埋めた。

 そんな仕草が可愛いと思ってくれたのか、累はクスリと笑う。私は累に合鍵を渡していなかったことに気がついて、カバンから鍵を取り出して手渡すと累は鍵を開けて家に入る。すると私を玄関に座らせて優しくパンプスを脱がせてくれた。

 私はなんとか自力でお風呂に行こうとしたが足元がおぼつかなくてフラフラしていたので、累が後ろから支えてくれてお風呂まで連れて行ってくれた。


「結菜が倒れたら困るからここで待ってるね。ゆっくりお風呂に入っておいで」


「ううん、今日はシャワーだけにしておく。眠くて…」


 累が近くにいてくれる安心感で私は脱衣所に入って服を脱ぐとシャワーの蛇口を捻ってお湯を出す。厚めのお湯は私の酔いを冷ませてくれて気持ちよかった。

 累が待っていてくれているので急いでシャワーを済ませて髪の毛を乾かさずにお風呂から出ると累は驚いた顔をした。


「早かったね。それに髪の毛…ちゃんと乾かさないと」


「累が待ってくれているんだからのんびりできなくて…」


「じゃあ俺が乾かすよ。ドライヤー借りるね」


 累は脱衣所においてあったドライヤーを持ってくると一緒にリビングに行って私を前に座らせて後ろから包み込むように座って髪の毛を乾かし始めた。

 鼻歌を歌いながら、それがとても楽しい作業のようにご機嫌で私の髪の毛を乾かす。私はそんな累の気配を背後に感じて少しドキドキした。恋人らしい行為がまだ慣れていなかったし、覚えている限り、こんなことをしてくれたのは初めてで、心臓が苦しかった。


「乾いたよ。結菜の髪の毛いい匂い。それに柔らかくてサラサラで綺麗だね」


 累は乾ききった髪の毛を一房手に取るとキスをした。その行為はあまりにも自然で私はまたドキドキする。この胸の高鳴りはなんだろう。恋というものはこういうことだったのだろうか。そう考えていた時累が後ろから私をぎゅっと抱きしめてきた。


「結菜の心臓の音、すごく早い。俺にドキドキしてくれているの?」


「うん…ドキドキしてる。これって累のことが好きってことなんだよね?」


 累は私の顎に手を当てると自分の方を向かせてそっと唇を重ねた。  

 それは触れるだけの優しいキスだったが、私は動揺して恥ずかしくてうずくまってしまった。


「ごめん。まだ早かったね」


 そんな私の背中を優しくさすりながら累がくすくす笑う。全然悪いと思っていない様子に私はちょっとムッとしたが、キスされるのは嫌じゃなかった。むしろ嬉しい。だから許すことにした。


「累は…女の子の扱いが上手だよね。なんだかちょっと嫉妬しちゃう」


 私は胸のモヤモヤを累に打ち明けた。感情が戻ってからずっと考えていたことだった。累はいつもスマートで私の喜ぶこと、して欲しいことを先回りしてやってくれている。私と付き合っていたせいもあるかもしれないけど、それにしてはあまりにもスマートすぎるのだ。


「うん。ごめんね。確かに結菜に会う前はそれなりに女の子と付き合った経験があるけど、こうして髪の毛を乾かしてあげたのは結菜が初めてなんだよ。こんな俺は嫌い?」


 ズルい質問だった。私が累を嫌いじゃないとわかっていながら私の口から言わせようとしているから。


「好き。過去に何があっても私は累のことが好きだよ」


 それを聞いた累は嬉しそうにふわりと微笑む。それを見ていたら何だかほっとして先ほどまで収まっていた眠気がまた襲ってきた。

 ウトウトし始めた私に累は言った。


「このまま泊まっていってもいい?もちろん、ただ添い寝するだけだから」


 思考がきちんと働いていない私はウトウトしながらコクリと返事をして二人でベッドに入った。私が落ちないように壁際には私、その横に累。誰かと一緒に寝たのは子供の頃以来だったので、その人肌が暖かくて心地よくて私は累にピッタリとくっついてスヤスヤと眠った。累も同じようで私の頭を撫でながらいつの間にか眠ってしまったようだった。


 夢を見た。私は白いドレスを着て誰かを待っていた。肩を叩かれて振り返ると

そこには白いスーツを着た累が立っていて、ああ。今日は二人の結婚式だったと思ったところで目が覚めた。


「もっと見たかったな」


 ポツリと呟くと声が帰ってくる。


「何がもっと見たかったの?」


 累が少し眠そうな目で私を見つめてくる。そういえば昨日累はお泊まりをしたのだった。そのことを思い出して、酔っていたとはいえ大胆な行動をしてしまったことに羞恥して真っ赤になってしまった。


「なあに?もしかして言えないような夢みてた?」


 累は面白がってそうからかうが私は焦って訂正する。


「違うの。えっと…私と累の結婚式の夢を見ていたの。幸せそうだった」


 それを聞いた累は私の手を握って悲しそうに微笑んだ。



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