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第125話 マスター

会社に着くと私はまっさきに部長と課長の元に言って先日のことをお詫びした。


「部長、課長、先日は自己管理の甘さで体調を崩してお休みをいただいてしまい申し訳ありませんでした」


 すると2人は優しい笑顔で言った。


「いや。私たちが少し君に無理させていたのを放置していたのが原因だからね。気づくのが遅れてすまなかったよ。診断書見せてくれるかな」


 私は診断書を部長に手渡した。すると部長は中身を見て苦笑する。


「やれやれ、医者にも苦言を言われてしまったよ、君は思っている以上に状態が悪かったんだね、すまなかった。これからは君に業務が集中しないように気をつけるからね」


 課長と部長がそう言うと周りで聞いていた社員にも課長が通達した。


「これから泉川くんに業務を振る前に、こなせない業務がある場合私を通すこと。私が適任者へ振り分けるから。わかったね?」


「はい!」


 社員達は皆課長の声に反応していた。私はほっとして席に戻ると仕事を始める。誰かの代わりのものじゃなくて、朝から自分の仕事ができるのが嬉しかった。いつも自分の仕事は定時後にしていたからだ。


「結菜よかったね。これで結菜の平穏が保たれるよ」


「そうだね!嬉しい!」


 私は今の状況がありがたかった。今ままでせいぜい愛花に愚痴るくらいしかできなかったのに、課長と部長が揃ってかばってくれるなら、今までのようにむりやり自分がこなせない仕事を押し付けてくる人はいなくなるだろうと思った。


 だが現実は甘くない。私に仕事を振ってくる常連の先輩がこっそり仕事を持ってやってきたのだ。


「なあ。これ今日中に片付けないといけないんだけどお前が休んでいたから頼めなかったんだよ。急ぎで頼む。課長と部長の評判下げたくないんだよね。俺、仕事早いと思われてるから」


 私はその言葉にショックで声を失った。今まで散々フォローしてきた仕事は全て先輩がしたことになっていて、私に依頼していたことは伏せてあったのだとわかったから私は怒りのあまりはっきりと言った。


「今日は私も仕事が溜まっていますので無理です。課長と部長に相談してください」


「な!?今までやってくれてたのにそれはないだろう?お前ならこんな量パパパ〜とやってくれてもいいじゃないか」


「無理です。課長。部長。引田さんが仕事がこなせなくて困っています。よろしくお願いします」


 私は大きな声をあげて課長と部長に声をかける。すると引田は悔しそうに舌打ちすると課長と部長のところに歩いて行った。


「やるじゃん結菜。ダメそうなら私が助け舟出そうと思ってたけど、自分で撃退するなんてこの短期間に成長した?」


「だって、記憶無くしたり、感情消えたり、殺されかけたり。いろんなことのフルコースだったからあの先輩なんて全然怖くないもん」


「あはは。そうだったね」


 愛花は私にグータッチを向けてきたので、それに答えてグータッチした。


「今日定時に上がれそう?もし上がれるなら“蓮花”で飲まない?もちろん結菜はソフトドリンクで!」


「ありがとう!ちょうど行きたかったんだ。じゃあ溜まってる仕事バリバリ片付けちゃう」


 そう言って私は仕事に集中し、溜まっていた3日分の仕事を全て片付けた頃には定時の時間になっていた。


「どう?いけそう?」


「うん!今日は自分の案件だけだったから終わったよ」


「よかったあ!じゃあ行こうか」


 私と愛花は会社を出るとタクシーをつかまえて蓮花に向かった。

 蓮花には私たち以外誰もいなくて、ほぼ貸切状態だった。


「私はモスコミュール。この子にはジンジャエールで。あとはお腹空いたから蓮花スペシャル2つ」


愛花はさっさと注文を済ませると私に向き直った。


「ねえねえそれで累さんとは今どんな感じなの?ラブラブ?」


「うん…多分そうだと思う。でもなかなか慣れなくて…でもすごく優しいの」


「きゃ〜可愛い!そんなウブな感じもうとうに忘れちゃったよ。大切にされてるみたいで安心した」


「もう。恥ずかしいから声落として」


「あ。ごめんごめん。まさかあの堅物結菜とこんな話ができるようになるなんてねえ。なんだか不思議な感じ」


 愛花はそう言うとマスターが出してくれたモスコミュールを一口飲んだ。

 私もジンジャエールで口を潤すとマスターの作ってくれた蓮華スペシャル(日替わりメニュー)のカルボナーラを食べた。


「ん〜!マスターの料理ってなんでこんなに美味しいんですか?」


 私が聞くとマスターは少しおどけた雰囲気で話し始めた。


「私、調理師免許を持っているので。亡くなった奥さんがね。食べるのが大好きな人だったんですよ。だから美味しいものを食べさせてあげたくて資格を取得して、好物をどんどん作って食べさせて、美味しいって笑う彼女の顔。今でも忘れられません」


 マスターは亡くなった奥様を心から愛していたのでそのエピソードを聞けてよかったと思った。私は自分が食べるのが好きで調理師免許を取ろうと思っていたくらいだったから、マスターに尋ねた。


「調理師免許って独学で取れます?」


「いいえ。学校に通う必要がありますね。なんせ調理ですから。私は昼が休みで夜仕事だったから都合が良かったんですよ。ただ。周りは子供だらけだからかなり浮いていましたけどね」


 そう言ってマスターは微笑んだ。



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