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第124話 車で送るよ

累はしばらく私を抱きしめてくれていたが、そっと身を離して玄関で靴を履くと振り返って私の額にキスをしてから手を振って帰っていった。


一人残された私は寂しくて瞳が潤んだが、約束通りちゃんと施錠してからシャワーを浴びて布団に潜り込んだ、あんなに寝たのにまだ寝足りなかったのか、すぐにウトウトと眠りに落ちた。


 翌朝、スッキリとした気分で目覚めて累が作り置きしてくれていた野菜スープを食べながらニュースを見る。相変わらず変わりばえのないニュースばかり。その中で気になったのは子犬の譲渡会の話だった。


「はあ。いいなあ。寂しいからペット飼いたいけど、お世話なんてできないから無理だし…大きなぬいぐるみでも買おうかな」


言いながらいつも利用しているネットショップを開いてぬいぐるみを検索する。可愛いラインナップの中に、ちょっとシュールな見た目のぬいぐるみを見つける。それはどことなく累に似ていて、私はついそれをカゴに入れて購入してしまった。


「買っちゃった。届くの楽しみだな。大きいから抱き枕にして寝よう」


 私はワクワクしながら身支度を整えて家を出た。エレベーターを待っていると偶然登ってきたエレベーターに乗っていた良平に出会ってしまった。


「あ…久しぶり。元気にしてた?」


 私がそう言うと良平は複雑そうな顔で答えた。


「うん…元気だよ…。結菜は…元気そうだね。よかった」


 良平は昔みたいに頭を優しく撫でてからさっさと行ってしまった。私は懐かしいその行為に戸惑いながらエレベーターに乗った。

(良平と会うの気まずいけど、子供の頃みたいに頭を撫でられて嬉しいと思ってしまった)

それが累に対する裏切りのようで申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

 そしてエントランスを出ると見知った車がマンション前に止まっていた。


「おはよう結菜。迎えにきたよ」


「累!どうしたの?」


「昨日体調崩したばかりなのに満員電車はきついでしょ?今日だけ送るよ」


 累はそう言うと早く乗るようにと私を促した。路駐を長くしているのはよくないので、私も急いで乗り込んでシートベルトを閉めると車はゆっくり走り出した。


「でも私を送って累は仕事に間に合うの?」


「うちの事務所はラッシュから時間ずらすために10時から始業なんだ。だから気にしなくていいよ」


 さすが個人事務所。そう言うところで自由がきくのだと驚いた。

 普通の会社員しかしたことがない私からしたらそれはとても羨ましいことだった。


「個人だとそう言う自由があるのがいいね、うちの会社では子育てしている人は時短勤務で時間がずらせるけど、私は子供がいないから普通の勤務時間だから」


「そっか。ねえ。やっぱり俺の事務所で働かない?経理できる人今探しているから結菜が来てくれたら助かるんだけど」


「う〜ん。確かに経理はできるけど…今の会社は友達もいるし、気に入ってるから。ごめんね」


 そう言って私は断った。本当は累の事務所で一緒に働くのもいいかもと思っていたが、プライベートを持ち込んでしまいそうで怖かったのだ。

 個人事務所で私と累の2人だけだったらいいかもしれないけど、他に社員がいる前でラブラブモードになってしまったらいたたまれない。

 特に累は仕事をプライベートを分けていそうではあるけれど、何かしでかしそうで怖かった。

(やっぱりお互いの平穏のために距離を取るのは必要だよね)

 そう思って私は累と働きたいという気持ちに蓋をした。


 しばらく走ると会社が見えてきた。会社の目の前で別れるのは目立つので少し前で止めてもらう。


「結菜お仕事頑張ってね。んっ」


 累はそう言ってキス待ちの顔をした。私は周囲をキョロキョロ見回して誰もこっちを見ていないことを確認してから触れるだけのキスをして車から降りた。走り去る車に手を振っていると、後ろから肩を掴まれる。


「ひゃあ!なに!?」


 驚いて振り向くとそこにはニヤニヤ笑っている愛花がいた。

(ああ。今日は揶揄われるんだろうなあ)

 愛花は聞きたいことが山ほどあると言った様子で私の隣を歩く。


「ねえねえ。休んでいた間、もしかして累さんお見舞いにきてくれてたの?お泊まりとか?」


 さすがに恋愛豊富な愛花。よくわかっている。


「うん。泊まりで看病してくれたし、家事もしてくれてたんだ。おかげで累が来る前より部屋が綺麗になってる」


 そう。累は私が眠っている間に部屋中ピカピカにしてくれたのだ。普段掃除をサボるTV裏やフィギュアの棚も綺麗に磨いて、プラスチックケースを買ってきてそこにフィギュアを入れて埃で汚れないようにしてくれたり。至れり尽くせりだった。

 ご飯も美味しかったし、結婚したら累がいないと何もできなくなりそうで怖いと思うほどだった。


「いいなあ〜。今が一番楽しい時だよね。結菜と累さんが上手くいってるのきくとほっとするよ。一回白紙になった婚約はどうなってるの?」


 婚約という言葉に私はドキッとした。今はまだ考えられないが、いずれはその申し出もあるのだろうと思っていた。だが累は私がまた記憶を無くしてしまうことを恐れていて、婚約のことも結婚のことも口に出さなくなっていた。それは私も同じでお互い探り合いのような感じになってしまっている。


「う〜ん。今はようやく記憶と感情が戻って間もないから。もうちょっと落ち着いてから考えることにするよ」


「そんな悠長なこと言ってていいの?累さんのところ新入社員が入ったんでしょ?大丈夫なの?」


 私は累にもらった新入社員の写真を愛花に見せる。すると愛花はなるほどといった様子で微笑んだ。


「な〜んだ。新入社員ってイケメン2人なんだね。累さんの事務所って顔審査もあるの?」


「ふふ。そんなのないよ。たまたまみたい」


 私と愛花はそんなことを話しながら会社に向かって歩き始めた。



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