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第256話 伝説のテイマー・回想1

 柳川果穂が冒険者になった切っ掛けは、八つ当たりだった。

 出産前はバリバリと仕事をこなして周囲にも頼られ、産休を取るときには「ちゃんと戻ってきてくださいね」「君の席は空けて待ってるから」と周囲に惜しまれながら職場を一時辞した。

 ところが、娘の柚香が生まれて保育園に入れようとしたとき、保育園に空きがなく、抽選でも落ちて職場復帰ができなかった。


 仕方なく一度退職し、柚香が3歳で幼稚園に通うようになってから再就職をしようとしたが、思わぬ壁が果穂に立ちはだかったのだ。


「柳川さん、お子さん幼稚園入ったんだって? お迎え何時? 具合悪くなったりしたら早退もするよねえ。やっぱりこどもがいる人は正社員はとても無理だよ。パートでならなんとかってところだけど、厳しいかなあ」


 職場を去るときには「君の席は空けて待ってるから」なんて調子のいいことを言っていた上司が、ニヤニヤ笑いを貼り付けて遠回しに「君なんか要らないよ」と態度を一変させてきたのだ。

 ――いや、思えば初めからそういう男だったのだろう。面倒な仕事ばかり女性で係長の果穂に丸投げし、男性部下に対しては贔屓をしていた人間だった。


 胸の中にメラメラと怒りを燃やしたまま帰宅して勢いよくクローゼットを開けたとき、その奥に夫が以前使っていた冒険者装備があるのがたまたま目に付いた。

 バックラーとそこそこ性能のいいらしいショートソードを持ち、ダンジョンアプリを衝動的にインストールして、自転車で近所の初級ダンジョンに向かう。


「女は要らねえって、初めから言えばいいんだよ、クソ部長ーッ!! 本当は私より仕事できないくせにーっ! 3年後につるっぱげになってしまえー!」


 周囲には数人の冒険者がいて、雄叫びを上げながらゴブリンを一撃で倒す果穂を「なんかヤバい人がいる」という目で見ていたが、果穂は気にしなかった。

 幸い、年季の入ったオタクのさがでショートソードの動きは頭に叩き込まれていた。本職冒険者をしていた夫の武器も初心者が本来手にするようなものでなかったので、初ダンジョンでのソロ狩りにも関わらず、面白いように敵を倒せる。

 柚香の幼稚園バスが帰ってくる時間が近いとアラームが知らせるまで嵐のように暴れ回り、拾ったアイテムを換金したときには実にすっきりとした気分になっていた。


「ダンジョン……もしかして最高?」


 手にしたお金は2500円ほどにしかならなかったが、ストレスも発散できて、ちょっといいランチを食べられるようなお小遣いも手に入る。

 サザンビーチダンジョンは当時住んでいたアパートから近く、柚香を幼稚園に送り出して家を簡単に掃除してから通っても問題ない。


 今日は会社に行ってからだったが、自由に使える時間を目一杯使えば、それこそパートと同等の稼ぎを得ることは可能だろう。しかも冒険者は昇給が早くて天井がない。


「パート、これでいいじゃない」


 やけっぱち気味に呟き、その日はダンジョンでの収入でちょっといいお肉を買って焼き肉にした。一番肉を食べたのが果穂なのは言うまでもない。

 ――後に伝説のテイマー、歩く災害と言われた冒険者「かほたん」誕生の瞬間だった……。


 最初に武器を持ちだした日に夫にはダンジョンに行ったことを明かしたが、かつて冒険者だった彼は「楽しいだろう?」と笑顔で言うだけで果穂を責めはしなかった。

 夫は、果穂が再就職に失敗したことを知ってストレスのはけ口にダンジョンを選んだことを、「人に迷惑を掛けない一番穏便な方法。自分さえ危なくならなければ」と容認したのだ。



 ステータスが同じでも、冒険者の強さは同じとは限らない。その点果穂には才能があった。――膨大な、各種の武器を持った動きのパターンを習得していたからだ。

 最初は斬りかかることしかできない初心者が多かったのに対して、果穂は状況判断が素早かった。敵が固まっていればフェイントで分断して差を作り各個撃破し、ダンスで鍛えたステップで素早く自在に回避をする。


 1ヶ月も経つ頃には、「やたら強い初心者のソロファイターがいる」と界隈では噂が広がり、当時LV20程度で中級ダンジョンで活動をしていた毛利にスカウトされた。

 こうして、「時給」は格段に跳ね上がり、装備も充実していった。



 平日は近場の江ノ島ダンジョンで狩りをし、柚香が小学校に上がってからは習い事と称して週に2日ほどは遅くまで上級ダンジョンで稼ぐ。

 連休は泊まりがけで友達と旅行と偽り、上級ダンジョン踏破をするのも当たり前。

 果穂はファイターとしての頭角をめきめきと現し、所属パーティーもぐんぐんと成長していった。


 藤堂颯姫と知り合ったのもこの頃だ。

 たまには気分を変えて骨でもバラしてやろうかい、とソロで鎌倉ダンジョンを訪れた際、傷だらけになりながらも戦う魔法使いの少女に出会った。


 装備も整っておらず、魔法の才能だけで中級ダンジョンにソロで挑む無謀さに最初は驚き、思わず手助けをした後で事情を聞いた。


「強くならなきゃいけないんです。一刻も早く」


 17歳の颯姫は思い詰めた目で果穂に訴えた。彼女には自棄的な様子がなく、何かのっぴきならない事情があるのだろうと気づいた果穂は、メンバーに颯姫を推薦した。

 魔法適性を持ちながらもファイター適性もあり、状況に応じて臨機応変に戦い方を変えることができる颯姫は果穂とは違う意味で強かった。

 果穂のパーティーで実力を付けると彼女は新宿ダンジョンに行くと言ってパーティーを離れたが、メンバーとの交流はそれからも続いていた。


 数年後、レベリングに協力した金沢の元で武器をクラフトしてもらった颯姫に「角材が出ました……」と言われたときには爆笑したが、魔力補助の役割を持った物理攻撃武器が出たことと、「破城槌」が出会った頃の颯姫の無鉄砲さと重なって妙に納得したものだ。



 柚香が小学2年生の時、果穂のパーティーは上級ダンジョン中層でレア湧きしたフレイムドラゴンに遭遇した。


 撤退するか、限界までアイテムを使っても戦うか。どちらも無事には済まない。生存率で言うならまだ迷わず撤退を選んだ方がマシ。

 密かに交わされる会話の中で、果穂は「うちの子にする」と宣言した。

 毛利は今でもその時のことを、「顔の怖さと言葉のお気楽さに差がありすぎて狂気を感じた」と語っている。


 赤く輝く鱗を持つ絶対的強者であるフレイムドラゴン。それを目にしたとき、果穂はまず「綺麗」と思ってしまったのだ。

 レアモンスターなのだから、倒せば膨大な収入を得られるだろう。だが、倒そうと思えなかった。


 周囲のモンスターを格下と見て一瞥すらせずに闊歩するフレイムドラゴンの前に、果穂は立ちはだかった。


「絶対に、うちの子にする」


 その気合いに満ちた宣言は周囲を圧してパーティーメンバーの足を止めたし、フレイムドラゴンすら果穂の存在に目を留めて凝視してきたほどだ。

 フレイムドラゴンにとっても、自分は強者という自覚があったはずだ。なにせ、フロア中のモンスターがドラゴンを恐れるように遠巻きになったくらいなのだから。

 その自分の前に武器も構えずに堂々と立つ人間、その行動の異様さはドラゴンの興味を惹いたのだろう。

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