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第269話 10 years ago・1

「藤堂さん、バカなの? こんなプログラムじゃ1年生以下だよ」

「ぐ、ぐぬう……」


 病棟のロビーで颯姫は同級生の痛い言葉に思わず突っ伏した。

 見舞いに来てくれたのは、同じプログラム部で最近部長を引き継いだ沢辺という男子だ。

 基本的に悪い奴ではない。むしろ颯姫は彼を天才だと思っている。だが、それ故に沢辺は凡人の事は理解出来ないというか、感性が独特な上に言葉に遠慮がないので、毎度ダメージを食らう羽目になる。


 彼は「買い置きのラーメン一個売って」と同じ調子で「バカなの?」と言うのだ。颯姫のことを蔑んでいるわけではなく、単なる事実を述べているだけである。


「じゃ、手術頑張って」

「あ、ありがと……」


 その証拠に、沢辺は「バカなの?」と同じ調子で「手術頑張って」と言って帰っていった。彼の中では「バカなの?」「ラーメン売って」「手術頑張って」は重さが同じなのだ。


「はぁ……べーちゃんはああいう奴だってわかってるけど」


 気が重い。手術前日にこれはない。


 颯姫は度々不整脈に悩まされてきた。呼吸が苦しくなりやすいこともあり、悪化してきたのは中学に入った頃からだ。

 ただ、時期的にこの時期に異常はなくとも不整脈や動悸を訴えるこどもも多いため、颯姫もそのひとりだろうと考えられていた。


 心房中隔欠損症という診断が下ったのは高校2年になってからのこと。先天性の場合幼少期には無症状の事も多く、成長するにつれ症状が現れることが多い。颯姫はまさにその典型例だった。


 先天性の心疾患と聞いたときには恐ろしさも感じたけれど、「原因不明の不調」に名前が付いたことは矛盾してはいるが安堵ももたらした。早い内に治療すれば、健常者と何も変わらない生活が送れるし命にも別状ないと説明されたからだ。


「じゃあ、来年は受験もあるし夏休みに手術しちゃおうか」


 親と担当医の一見軽い判断で颯姫の手術は決まった。元々勘の鋭いところのある颯姫は、それが彼らの「早い内に手術をして、本人にできるだけ負担がないように」という颯姫を思いやった結果であることに気づいていた。

 術後の経過が良ければ2週間程度で退院できる。そうすれば症状を抑える薬を服用し続ける必要もなくなる。


 いつ襲われるかわからない不整脈の苦しさに怯えていた颯姫は、「夏休みに手術」という提案にすぐに頷いた。


 そして、入院したのだが「文化祭用のプログラムちゃんと作っておいて」という沢辺の一言により、術前日だというのに検査が全て終わったので病棟のロビーでプログラミングにいそしんでいたのだ。


 元々プログラミングが得意なわけでもなく、好きなわけでもない。プログラム部に入ったのは、元々入っていた天文部の先輩がプログラム部と掛け持ちをしていて、「人数が足りないから名前だけでも」という圧に負けたからだ。

 それがどうだ、名前だけどころか、実質的に活動させられている。天文部との比率は完全に半々で、自分でも「どうしてこうなった」と首を傾げるときがある。


「プログラム? さっきプログラムって聞いたけど、君プログラム組んでるの?」

「ひゃっ!?」


 沢辺が帰ったので気を取り直してノートパソコンに向かったとき、間近から突然男性に話し掛けられて颯姫は思わず小さな悲鳴を上げた。

 驚いてそちらを向けば、点滴スタンドと管で繋がれた男性が、片手にそのスタンドを掴んだまま颯姫のパソコンの画面を覗き込んでいた。


「おお……なるほど、うん、いい具合にスパゲッティだ。これは新鮮」

「ちょっ――なんですか?」


 スパゲッティというのは、本来簡素が最もいいと言われるプログラムの世界で、プログラミング言語がぐちゃぐちゃに絡まっている事を示す。

 プログラムはひとつの役割が明確で簡潔で、他のプログラムにもその部分を流用できるような汎用性があることが望ましい。沢辺のプログラムなどはまさにそれで、目的のために無駄がないコードを書いているのが颯姫には「なんでそんなことできるの」と思うほどだ。


 颯姫は技術も知識も足りないために、迂遠なコードを書く。AかBかCかを判別させるために沢辺ならひとつのコードで済ませるが、颯姫は「Aかそれ以外か、それ以外だった場合、Bかそれ以外か、それ以外だった場合はCと判断する」というようなコードしか書けない。


「うーん、面白いね、本当に斬新だよ。なるほど、ここの判定をするためにこういうやり方もあるんだ……これは目から鱗」

「やー! 見ないでください! もっとスムーズにできたら良いんだけど、やり方がわからないんです!」


 まるでこどものように目を輝かせて颯姫の書いたコードを分析していた男性は、颯姫がノートパソコンを閉じてしまったので目をぱちくりとさせていた。


「そうか! やり方がわからないからあんな面白いコードを書いてたんだ! それは失礼をしてしまった」


 てへへと頭を掻く男性は、颯姫から見れば沢辺に匹敵する――いや、それ以上の変人に見えた。年頃は20代後半くらいだろうか。点滴スタンドを持つ手は痩せて筋が浮き出ているし、顔色もお世辞にもいいとは言えない。

 でも彼は、そんな物を全て吹っ飛ばすほど楽しそうだった。こどものような笑顔が、やつれた外見と酷くアンバランスでありながら。


「ええと、君のプログラムをもっと見せてもらいたいんだけど、まず自己紹介をしよう。俺は上野うえの智秋ちあき。天才プログラマーだよ」


 ――どうしよう、本物の変人に遭遇してしまった……。

 颯姫は思わず遠い目になった。自分を天才と自称する人間にはまともな人間はまずいない。沢辺ですらも自分を天才とは言わない。

 どうしよう、あんまり関わりたくないんだけど、ご丁寧にも自己紹介までされてしまった。礼儀上、こちらも自己紹介をしなければならないだろう。


「ええと、私は……」

「藤堂さんだっけ、さっきの子にそう呼ばれてたよね? はい、自己紹介終わったからプログラム見てもいいよね」


 上野と名乗った男性は、颯姫の自己紹介をさらりと中断させて、「やるべきことはやった」とばかりに颯姫の手元からノートパソコンを奪い取り、テキストエディタにベタ書きされたコードを実に楽しそうに見始めたのだ。


 この人はヤバい。

 直感的にそう思った。直感じゃなくても行動をまともに分析すれば彼が普通じゃないのは誰にでもわかりそうだ。


 できれば関わるのは御免被りたい――そう颯姫が結論を出したとき、上野はテキストエディタをもうひとつ開いてそこにスラスラと記述を始めた。


「ここの部分でやりたいことを簡単に書くとこうなるんだよ。じゃあ、詳しく解説するね」

「あ、私の意思は関係ないんですね……」


 口に出した瞬間「しまった、失礼にも程があった」と思ったが、上野は本当に気にしていないらしい。彼の視線は完全にディスプレイにしか向いていない。

 最初は「参ったなあ」と思っていた颯姫は、5分後には真顔で上野の解説に耳を傾けていた。自分がわからなかった点を彼は颯姫が書いたコードを見ただけで的確に理解し、考え方や適切なコマンドを提示してくれたのだ。

 部活ではあり得ないほどわかりやすい上野の指導に、初めて颯姫はプログラミングを「面白いかもしれない」と思うことができた。


「コマンドの後には注意書きを付ける癖を付けた方がいいね。後から自分で見たときに何をやろうとしてるのかが一発でわかるし、人に引き継ぐときにも重要になるから」


 上野の言葉には最後の部分だけ、少し自嘲的な響きが混じった。

 人に引き継ぐ――それは、部活ではまずあり得ない事態だ。上野が趣味ではなく仕事でプログラムをしている人間なのだと、颯姫はその部分で察した。 


「上野さんは、プログラマーなんですか?」


 いつの間にか自分の隣に椅子を持ってきて座っている男性に、颯姫は恐る恐る尋ねていた。いきなり見知らぬ女子高生に声を掛けてくる時点で、結構ヤバ目な人と判断すべきところだからだ。

 だが、彼の興味は颯姫ではなくて、颯姫の組んだプログラムである。その点は確信が持てた。


「そう、社畜プログラマー。社畜が祟って今は入院してるけどね」

「うわあ……」


 IT系は激務が多いと聞くが、上野も例に漏れない被害者らしい。


「それで、最初は病室にノートPC持ち込んで仕事してたんだけど、先生に凄い怒られて、ノートPC取り上げられちゃって」

「いや、それ当たり前ですよね!?」


 その状況でも仕事をしようとする上野は社畜というよりは仕事ジャンキーなのだろう。医師が止めるのも当たり前だ。完全に治療の妨げになる行為なのだから。


「だから、プログラムに飢えてて――思わずプログラムって単語が聞こえたから突撃しちゃったんだよね」


 肩をすくめ、はぁ……とため息をつく上野は、颯姫に衝撃を与えた。

 世の中には、「プログラムに飢える」人間もいるのだと……。


「あの、私心臓の病気で入院してて、明日手術なんですが」

「ええっ? それは大変じゃないの? こんなところで起きてていいの?」


 自分の事情を少し話すと、上野は目を見開いて大げさに驚いた。いや、その言葉はそのまま返しますよ、と颯姫は内心でひとりごちる。


「手術が終わって、ロビーに出てこられるようになったら、またプログラムを教えてもらえませんか?」


 今日初めて会った人に、しかも病人に頼むようなことではない。

 けれど颯姫はプログラミングで切迫していて、上野以上に優れた師に巡り会えることはまずないだろう。


 颯姫の提案に上野は目を輝かせて「もちろん!」と叫び、「上野さん、まだ起きてたんですか!? 病室戻りますよ!」と看護師に回収されていった。


 ――それが、颯姫の人生を変えた男との出会いだったことを、彼女は後に知ることになる。


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