にぎわう商店街からわきみち
ピタッと静まりかえる空気は
ちょっと不思議ゾーン
ほそいけれど
ちいさな三輪トラックが停まっている
運転さばきが問われるにしろ
車が出入りできる横道だ
さらに奥まで進むと
視界がひらけて
空地と駐車場と
摩訶不思議な紋章がペンキで描かれた
バラ線で囲まれた区画
空の青さが幻を砕く
廃墟のような雑居ビルが
これからかよう予備校
扉のない入り口
いきなり階段からはじまり
二階が受付
ずらり名前と花が並ぶ亜空間
ついこのまえ終わったばかり
中学受験合格者たち
授業の最初は
いつもの説教
塾が変わっても
おなじパターン
あと三年ないんだぞわかってんのか
あと二年と数ヶ月
それしか時間は残されていないんだからな
実をいうと最初それ楽しかった
はっぱかけられてるみたいで
励まされてるみたいで
厳しさより熱さがまさり
冷えた体に優しく感じた
ヒートアップする先生のトークが
名指しで誰かを批判する
あたる確率は教室でひとり
なんにんいるのか知らない
でも
すごい確率で
そのひとりが
おれだった
なんでそんなこと言われなくちゃなんないの
なんでそんなふう言いまくりで押しまくるか
明日もある
明日がある
それを楽しみにするのは罪かよ
あと二年と数ヶ月も
負い目とともに生き抜くのかよ
あと三年近くも怒鳴られるのかと思ったとたんに
おれは席を立った
条件反射だ
コツンとひざ打ってポーンと足が跳ねるみたいに
「おまえだよ、おまえ。なんだその格好は、よそゆきみたいにしちゃって。
これから戦争なんだぞ受験は甘くないんだぞチャラチャラしてんなよ?
なに浮かれて勘違いしてやがんだコノヤロー…って、おい待てこら」
いくらなんでも
おれにだってわかるよ
そりゃ
もっと早くからこの予備校で勉強してる同級生たちがいて
三年生と四年生の狭間で春休みのおれは浮いた存在かもしれないが
これでも親の期待を背負ってるんだ
こんなおれに「がんばってこいよ」「まけるな」と声をかけてくれた
父の笑顔を思い出す
とたんに悔しくてこらえきれない
いつものように母が「ちゃんとしなさい」と小言を並べても
おれはしっかり聞いてきたんだ
先生あんたがなにを知ってるのさ
そんなに受験が偉いのかよ
こんなに侮辱の言葉を吐いて
あんなに期待をよせてくれた家族に
どう申し訳がたつっていうんだよ
おれはステゼリフを吐くことなく出たけれど
叫びたかった
なぜだどうしておれは黙って
言いたい放題を言わせちゃったのさ
くやしい
くやしくてくやしくてくやしすぎて
帰れなかった
予備校のビルを出たけれど
もどれない
ひきかえせない
かえれない
たちつくしながら
立ったままも無理で
うろうろ
うろうろした
ごめんね
おとうさん
ごめんなさい
おかあさん
また 言われちゃうね
また 言わせちゃうね
『だから言うのよ、ひとりっこなんてどうしようもないって』
『ひとりっこって、わがままだよねー』
『ひとりっこなんて、あまえんぼうよ』
『へえ。ひとりっっこなんだ? にんげんのくずじゃん』
おれに向けられる悪意が親にも向かうのが
さらに許せなかった
だからおれは絶対になきごとをいわないって決めていた
兄弟がほしいなんていわないし
なにかを欲しくなっても 欲しいとは言わなかった
おれがいつ わがままを言ったって?
具体的に言ってみろよ
おれをさげすむ大人のほうが
よっぽどいつもわがままなことばかり言ってるし
好き放題やりたい放題に見えたから
おれは絶対に わがままは言わないって決めた
空腹と夕暮れが感情を整えてくれるか
おれは家路についたけれど
玄関どうにも立ちつくす
すると
「おう、おかえり。どうした、そんなところで、つったって。
早く、はいんなさい。ほら、もうすぐメシだぞメシ!」
ドアをあけた父
まるでホームラン決めた野球選手みたいな顔
まるで戦闘機を見あげた軍国少年の面影
いや
これから
ひとり息子の無残な敗北を聞かされるとも知らずに
たからかにラッパを背にして栄光を肩にかけた男
ああ
まともに見れない
「なあ、食事の前に大事な話がある。聞きなさい」
はい、と声なき声で答える
「思うところあって、今度おまえに、お姉さんができる」
はい、と声なき声で応えてから気づく、
ん?
いまなんて
「この春からな、うちに女の子を迎える。娘として。
おまえには、姉になる子だ。
とまどうかもだが、よくやってほしい」
おれは理解できたのか
おれは感情の起伏もなく
父の顔まじまじと見てから
母に視線を向けた
いままさになにかあたらしいお皿を持って運んでくるところ
話は聞こえていたのだろう
というより
父と話をあわせていたからだろう
すらすらっと
まるで桜の花咲く舞台で演じる乙女役のようにセリフ
「よかった、でしょ?
もう、これからは、ひとりっこじゃないからね」
ひきつってるようにも見える微笑が
なにか悪巧みのようにも感じられたが
おれは素直にうなづいて
「あ」わかりましたと言うつもりだったのに
「いやなら言え。言っていい」と父
「おまえは、ほんとにな?
ききわけがいい子だよ。
子供なんだから、もっと言いたいこと言え。
がまんするな。
大人になったら言いたいこと言えずに頑張るしかないことが増えるんだ。
いまのうちだぞ?
どんどん言っちゃえ、
なりふりかまわずやってみろ」
季節はずれの雪が降り
その雪も溶けて
バケツの水が氷らなくなったころ
あの花は
梅だったか
桜だったか
ボケだったか
水仙か
玄関先で冬を越したローズゼラニウムの葉っぱが風に香る
「はじめましてこんにちは!」
まるで雪合戦
ひとりの少女が声を投げつけてきた
やせ細っているのが冬服でもわかる
べしゃっとおれの額を直撃
つづいて足も狙われた
がくりと倒れそうになったのを
どうにかこらえて
おれは返事をするのが精一杯だった
あの
どうその
よろりく
おねがいしま
なにいってんだろ よろりくって
そうじゃなくて
どうぞよろしく
ちゃんと言えなかった
言えなかったけど
やりなおせる
今度こそ
おれの人生ちゃんと
ううん
そうじゃない
おれは もともと ちゃんと生きてる
だから もっと もっとちゃんとだ
このひとを悲しませるような弟になるものか
と
祈りのような誓いを立てておきながら
「よろしくね?」
って頭をポンされたとたん
おれは
いままで出したことのない声をあげて
ふるえた
のけぞりそうになったのを瞬間的にこらえ
とにかくふみとどまった
ふみとどまって
その目を見る
どこの誰がとどうしようもないくずであまえんぼうのにんげんだって?
わがまま?
わがまま!?
しきりなおせる
やれる
今度こそ